犬猿峠
N県には犬猿峠と呼ばれる山道がある。犬と猿では何ともかわいらしい名前だが、地元の歴史研究家によれば、そうではないという。
犬猿の語源は「居ぬ」と「去る」、すなわちここは忌避すべき場所だ、という意味なのだ。実際に、犬猿峠は江戸時代には交通の難所として知られ、死亡事故も頻発していたという。
そして残念なことにそれは現在でも変わっていない。峠道が舗装整備された1970年代以降も、数年に一度のペースで運転手が死亡する自動車自損事故が発生している。自治体は注意喚起を行うなどしているが効果は上がっていない。
犬猿峠は大岩や崖を避けるため、見通しの悪い急カーブが連続していることが事故の原因であると考えられている。特に晩秋から冬の入りにかけては積雪前でも、幾つもの岩陰の路面が凍結することがあるため大変危険である。
ただ、これらの事故に一つ奇妙な点を挙げるなら、スピードである。いずれの事故も警察による実況見分によれば事故車は推定で100キロ前後の速度を出していたというのだ。
例えばそれらか峠を攻める所謂「走り屋」であるなら話は簡単なのだが、事故を起こしたのはそのほとんどが地元の一般住人である。軽トラックに乗った老人や、軽自動車で買い物に出かけた主婦がそれほどの速度を出すとは考えにくい。その上、彼らは犬猿峠の危険性を熟知しているはずなのである。
ところで、犬猿峠には古くからの言い伝えがある。曰く、「犬猿峠を通る時は決して途中で振り返ってはいけない。そして、もしも振り返ってしまった場合、追いかけてくるものに追い抜かれてはいけない」
戦前までの地元の住人たちはこの戒めを堅く守っていたそうだが、今ではそれも途絶えて久しい。また、現代の自動車には後方確認のためのバックミラーが装備されているが、事故に遭った者たちは何を見たのだろうか?
(追記)
1985年に犬猿山トンネルが開通して交通の便が改善して以来、途中に何の施設があるわけでもない峠道を通る必要性は無くなっている。彼らは何故峠道を選んだのだろうか?
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