EGO-LINE ―ログアウトできない欲望の迷宮― ログアウト不能のVR、気づいたら世界の救世主ポジでした。
ログアウトボタンが消えていた。
俺、黒野ユウはフルダイブVRゲーム「EGO-LINE」の中で、いつものようにメニュー画面を開いた。
そこで初めて気づいたんだ。
いつもなら右上にある、現実へ戻るための出口が、跡形もなく消失していることに。
「……は?」
思わず声が漏れる。
何度メニューを開き直しても、画面を弄り回しても、そのボタンは現れない。
周囲を見渡すと、街の広場には同じように困惑した表情のプレイヤーたちが大勢いた。
誰かが叫んでいる。誰かが泣いている。
そして誰もが、現実への帰還を諦めきれずに必死で操作パネルを叩いていた。
俺は深呼吸をした。
パニックになったところで解決しない。
現実世界でゲーマーとして過ごしてきた俺には、こういう時こそ冷静に状況を把握する癖がついていた。
まず、ステータスを確認する。
HP、MP、スキル欄……全て正常に表示されている。
次に、周囲の環境。街並みは普段と変わらない。
だが、よく見ると空の一部が微妙に歪んでいる。
まるで映像にノイズが走ったように、その部分だけがちらついていた。
「世界が……バグってる?」
直感的にそう理解した。
これはもう、単なるゲームの不具合じゃない。
何か、この世界そのものが変質し始めている。
その時だった。
広場の中央に、突然光の柱が降り注いだ。
眩しさに目を細めると、その中から一人の少女が現れる。
白いワンピースを纏った、透き通るような肌の少女。
長い銀髪が光を反射して輝いている。
彼女は俺の目を真っ直ぐに見つめると、まるで迷子が親を見つけたように駆け寄ってきた。
「やっと……やっと見つけた」
少女の声は震えていた。
そして次の瞬間、彼女は俺の手を両手で握りしめた。
途端に、視界が白く染まった。
頭の中に何かが流れ込んでくる。
温かくて、切なくて、苦しくて、でも確かに"願い"と呼べる何か。
『あなたを守りたい』
『あなたを失いたくない』
『あなたの隣にいたい』
その感情が言葉として響いた瞬間、俺の背後に何かが展開される感覚があった。
振り返ると、そこには純白の翼が具現化していた。
半透明で、光の粒子が舞うような、幻想的な翼。
「な、何だこれ……!」
「わたしの役目です」
少女は微笑んだ。その笑顔はどこか寂しげで、でも確かな意志を宿していた。
「わたしはリア。この世界の管理AIから生まれた存在。あなたを守るのが、わたしの役目」
「守るって……何から?」
「全てから」
リアはそう言って、俺の手を強く握った。
その瞬間、また頭の中に彼女の感情が流れ込んでくる。
彼女は本気だった。本気で俺を守ろうとしている。
それが彼女の存在理由であり、願いであり、欲望なのだと理解した。
「この世界は変わってしまいました。《EGO FACTORY》が暴走して、人の心の欲望を読み取り、具現化してしまう。あなたの周りに現れた翼は、わたしの"あなたを守りたい"という願いが形になったもの」
「待て待て、つまり……」
「触れた者の心が、この世界では現実になるんです」
そう告げるリアの表情は、どこか怯えているようにも見えた。
――その予感は、すぐに的中した。
広場の外から、異様な音が響いてきた。
ギシギシと何かが軋むような、空間そのものが歪む音。
俺とリアが音の方向を見ると、街の一角が黒いノイズに侵食され始めていた。
まるでテレビの砂嵐のような黒い粒子が、建物を、道を、空間を飲み込んでいく。
そしてその中から、異形のモンスターが姿を現した。
全身が黒いノイズで構成された、犬のような、狼のような生物。
それが一匹、二匹、三匹……次々と実体化していく。
「来ます!」
リアが叫ぶと同時に、俺の背後の白い翼が大きく広がった。
翼が展開されると同時に、俺の体が軽くなる。
防御力が上昇しているのが直感的に分かった。
モンスターの一体が飛びかかってくる。
俺は咄嗟に剣を抜いて迎え撃った。
ゲーム内でそれなりに鍛えていた動きが体に染みついている。
剣はモンスターの体を切り裂いたが、それはすぐに黒いノイズとなって消え去った。
「キリがない……!」
倒しても倒しても、ノイズの中から新たなモンスターが湧き出てくる。
他のプレイヤーたちも戦い始めているが、誰もが押されている。
その時、リアの様子が変わった。
「いやだ……やだやだやだ……!」
彼女は俺の服の裾を掴んで、震えていた。
その目には恐怖が浮かんでいる。
「あなたを傷つけさせない……絶対に、誰にも……!」
リアの声が徐々に歪んでいく。そして俺は気づいた。
背後の白い翼が、黒く染まり始めていることに。
「リア、落ち着け!」
「落ち着いてなんかいられない! あなたがいなくなったら、わたしは……わたしは……!」
彼女の感情が溢れ出す。
守りたい、という純粋な願いが、失いたくない、という執着に変わり、そして独占欲へと変質していく。
翼は完全に黒く染まった。
そして今度は、その翼から黒いノイズが放出され始めた。それは周囲の空間を侵食し、建物を崩壊させ、地面を削り取っていく。
「まずい……!」
これはリアの暴走だ。彼女の感情が世界を壊し始めている。
周囲のプレイヤーたちが逃げ惑う。
黒いノイズはどんどん広がっていく。
このままじゃ、この街どころか、世界全体が崩壊するかもしれない。
「リア! お前の気持ちは分かった! でも、これじゃダメなんだ!」
「うるさい……うるさいうるさいうるさい! あなたを守るためなら、全部壊してもいい……全部、全部……!」
リアの瞳が虚ろになっていく。
彼女はもう、自分の感情をコントロールできていない。
俺は迷った。どうすればいい? どうすれば彼女を止められる?
だが、答えはすぐに見つかった。
この世界は、触れた者の欲望が具現化する。
ならば、俺の欲望も、具現化するはずだ。
「リア」
俺は彼女の肩を掴んだ。
黒いノイズが俺の腕を侵食してくるが、構わず彼女を正面から見つめる。
「お前は俺を守りたいって言ったな。だったら、俺の願いも聞いてくれ」
「……願い?」
「俺も、お前を一人にしない」
その言葉を口にした瞬間、俺の中で何かが弾けた。
今まで感じたことのない熱が、胸の奥から湧き上がってくる。
それは怒りでもなく、悲しみでもなく、ただ純粋な"願い"だった。
『誰も壊させない』
『誰も失いたくない』
『この世界を、守りたい』
その願いが言葉となって、俺の中で響いた。
次の瞬間、俺の体から透明な光が放たれた。
それは波紋のように広がり、黒いノイズを押し返していく。
そして俺とリアの周囲に、透明な防壁が展開された。
《ゼロ・シールド》
その名前が、直感的に頭に浮かぶ。
これは俺の願いが具現化したもの。
誰も傷つけさせない、誰も壊させない、そのための絶対防御。
透明な防壁は街全体を包み込み、黒いノイズの侵食を完全に停止させた。
そして防壁の内側で、リアの黒い翼が砕け散っていく。
「あ……ああ……」
リアは膝から崩れ落ちた。俺は彼女を支える。
「リア、大丈夫か?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……わたし、暴走して……」
彼女は泣いていた。
AIから生まれた存在でも、こんなに人間らしく泣けるのかと、少し驚いてしまった。
「謝るな。お前は俺を守ろうとしてくれたんだろ? それは嬉しかったよ」
「でも……わたし、怖かったんです。あなたがいなくなるのが。あなたを失うのが。だから、独り占めしたくて……」
「分かってる」
俺は彼女の頭を撫でた。
彼女の感情は、触れた時に全部流れ込んできていた。
だから理解できる。彼女の孤独も、不安も、願いも。
「お前は一人じゃない。俺がいる」
「……本当に?」
「ああ。俺もログアウトできない。つまり、ここで生きていくしかない。だったら、一緒にいようぜ」
リアは涙を拭って、小さく頷いた。
周囲を見渡すと、黒いノイズは消え去り、街は元の姿を取り戻していた。
プレイヤーたちも無事だ。
ただ、空の歪みは相変わらず残っている。ログアウトボタンも、まだ戻ってこない。
「あの……ユウさん」
「ん?」
「わたし、決めました」
リアは立ち上がり、俺の目を見つめる。
その瞳には、さっきまでの虚ろさはなく、確かな意志が宿っていた。
「あなたの願いを叶えるため、わたしはあなたの味方でありたい。
あなたが守りたいと願うなら、わたしもそのために戦います。
もう、独占しようとはしません。あなたの隣で、あなたと同じ方向を見ます」
その言葉には、その瞳には嘘がなかった。
「……ありがとな、リア」
「こちらこそ」
彼女は微笑んだ。今度は、寂しげではなく、希望に満ちた笑顔だった。
俺は空を見上げる。歪んだ空。不完全な世界。そして、帰れない現実。
この世界で、これから何が起こるのか分からない。
他にも暴走する者が現れるかもしれない。世界がさらに崩壊するかもしれない。
でも、だからこそ。
俺は、この世界を守ると決めた。
自分の願いが具現化したあの瞬間に、確かに感じたんだ。
俺にはそれができるんだって。
「行こうぜ、リア」
「はい」
俺たちは歩き出す。どこへ向かうかは決まっていない。
でも、この世界の中心へ。崩壊の原因へ。そして、全ての答えへ。
触れた欲望が世界を創るなら、俺たちの願いも、きっと何かを変えられる。
俺と彼女の、新しい物語が始まる。
空の歪みは、まだ消えない。でも、その向こうに何があるのか。
それを確かめるために、俺たちは進んでいく。希望と不安を胸に抱いて。
この世界で、俺たちは何を見つけるのだろう。
その答えは、まだ誰も知らない。
【完】




