美しい死をあなたに
封筒をぱっと見れば分かると思います。
そう、これは「遺書」です。
私は罪を犯して収監され、先日出所しました。
あの数年間はひどく長く思えました。辛かったのではありません。あなたもほら、料理店で注文後にお腹をすかせて待つ時間、ひどく冗長に思えるでしょう?
私は死が欲しかったのです。懲役刑というのは残酷な罰でした。私が私を罰したいという願いさえ、かき消されてしまうのですから。
私は最愛の人を殺しました。それも自分のエゴで、意図的に。
こんな人間が世界に存在してはいけないと思いました。存在した証さえ消してしまいたいとすら思いました。でも結果的に、私はこの文章を綴っている。
この手紙は私の最後のわがままです。吐き捨てなければ死にきれないのです。あなたは木のうろになってください。毒煙のような私の遺言を、どうか聞くだけ聞いて黙っていて欲しいのです。重々しい荷になるかもしれません。それでも、死にゆく悪人への慈悲だと思ってくだされば幸いです。
では初めに、事件の顛末を語りましょう。
私が殺したのは病床に伏した恋人でした。
彼女はひどく美しい人でした。連れて歩くたびに、周りの男たちは幾人となく振り返り、ある人からは「春を一挙に詰め込んだような」麗しさと評されました。性格はつつましく、美しさにそぐわぬほど謙虚でした。
私は嫉妬と共に誇らしさを覚えていました。彼女への愛の横には、彼女を占有したいという執着がありました。果たしてどちらが先だったのでしょう。愛の後に執着が生まれたのか、執着からの愛なのか。
こう語ることが出来るのは、私たちの仲は彼女の告白から始まったからです。彼女が白い肌をほんのりと赤く染め、視線をおぼつかなく揺らして、愛の言葉を呟いた瞬間。私の心に愛はあったのでしょうか? なぜ「私も愛しています」と返したのでしょうか? 導いた答えは後で話しましょう。
ともあれ、私がどんな感情を抱えていたにしろ、二人の関係は順調に進みました。交際は五年目に入りました。周囲からは「釣り合わない」と言われ続けましたが、私は間違いなく幸せでした。
その年の春のことです。私はある朝、彼女に相談があると言われ、一緒に公園へ出向きました。そこは彼女のお気に入りの公園で、交際前から落ち込んだときは気分転換に来ていたそうでした。
公園の周縁には桜の木が数本ありました。桃色の花々を咲かせながら、眼下で遊ぶ子供たちを見守っているようでした。私たちは木の下のベンチに腰掛け、散りゆく花びらの小雨を眺めていました。
「私、あと数年で死ぬみたい」
彼女の独白はそのつぶやきから始まりました。
病院で余命を宣告されたこと。
徐々に痩せ細り、ついには歩けなくなるであろうこと。
自分には先がないから「別れて欲しい」ということ。
全ての言葉が宙に浮かんだ夢のように思えました。無理もありません。壮麗な桜並木と、この世の何よりも美しい彼女。夢より夢のような現実でしたから。
しかし、徐々に魔法は解けていきました。私は形の知れぬ危機感に背を押され、とっさに「別れないよ」と返したのです。
彼女を失いたくはありませんでした。愛を抱える人ならば理解は早いと思います。いつか離れる運命であっても、なるべくそれは先送りにしたいでしょう?
彼女は私の返事を聞くと、真珠のように大粒の涙を流して泣きました。泣く様もまた美しくって、私は彼女を抱きしめながら、ふと、いつかその美麗さが消え去る恐怖を感じました。
時は穏やかに進みました。それでいて、その歩調は十分に早いものでした。私は彼女が痩せ衰えていく日々を、まじまじと見せつけられたのです。
痛ましかった、の一言では足りません。彼女が磨いてきた美しさが、一つ一つ、ゆっくりと腐っていったのです。彼女はろくに食わなくなり、骨という骨が見て取れるようになりました。真っ白だった肌の色はくすんでいき、死人のような土色に変わっていきました。
彼女はいつのまにか病院で暮らすようになっていました。私は毎日のように病室へ通い、天真爛漫な笑みをこぼす彼女を目にしました。
次第に、私は病室のベッドにいる人間を見て思うようになりました。
「誰だろう」、と。
ひどく愛のない考えでした。彼女は確かに美しかった。でも、その美しさだけではない、優しさ、純白さ、ときにおっちょこちょいな所……挙げようとすればいくらでも魅力、個性のある人間なのです。
しかし、どんなに取り繕うとしても愛は冷めていきました。
しげしげと病院へ通う私を見て、周りは「いい恋人だ」と言いました。以前は全くかけられなかった言葉で、私は気づいたのです。
彼女の価値は美しさにあったのです。彼女はそれを失ってから、ようやく私と釣り合うようになったのです。私が告白を受けたのも、彼女の美しさを得たかったからなのです。
私には「別れないよ」という言葉の責任がありました。そして何より、残された愛による引力がありました。周りがどう思おうと、自分がどう思おうと、私は病室へ通うのをやめませんでした。
ある夜のことでした。彼女が「月を見たい」とか細く言うので、私は照明を消し、カーテンを開けたのです。
月光を受け、彼女の顔は白く染まりました。
彼女の痩せこけた風貌は、暗闇の中でぼやけました。
その様を見て、気づけば私は涙を流していました。
「どうしたの?」
その声色は彼女のものでした。神秘的な美しさも彼女のものでした。
私は懐かしさを覚えました。今まで見失っていた大切なものを、やっと見つけられたような嬉しさもありました。
そして同時に、情けなさを覚えました。彼女は彼女のままでした。失った美しさなんて些細な付属品でした。それなのに、ずっと側にいた彼女を、まるで別人のように捉えていた。
私は申し訳なくて、嬉しくって、この美しさを失う悲しみも混ざって、彼女のことをそっと抱きしめました。本当は強く抱きしめたかった。何も失いたくなかったのです。かろうじて理性が働き、私の腕を抑えたのです。
ふと、何かほっそりとした力ないものが手首に添えられました。
それは彼女の手でした。
「大丈夫だよ」
彼女の声に力はなく、わずかに震えていました。
私は直感しました。彼女にもう先がないことを。
そして、彼女の衰えがまだ底ではないことを。
数十分が経った頃でしょうか。彼女はすぅすぅと寝息を立てて眠ってしまいました。私はカーテンを開けたままにしていました。少しでも長く、美しい彼女を見ていたかったのです。
本当は一人でいたくはありませんでした。おぞましい未来への想像が次々と湧いてくるのです。
あの当時は見る夢も悪いものばかりでした。彼女がある朝、醜悪な羽虫の集合体に変貌しているような夢も見ました。そんな例はまだましで、私は自分の想像力にあきれるほど、涙を流すような夢をたくさん見たのです。
もし彼女がこれ以上醜くなったら?
夢は総じて、そんなものばかりでした。
私は確信を強めたのです。
彼女を失う怖さよりも、美しさを失う怖さの方が大きいのだと。
改めて、穏やかに眠る彼女を直視しました。
さっきの美しさは月明かりの作った代物でした。ちょっと目をこらせば、彼女の痩せ細った身体には嫌でも気づいてしまいます。月光は死化粧のように、こけた顔面を覆っています。決して元の彼女が戻ってきたわけではありませんでした。衰えの中にある美しさの残滓に気づいただけなのです。
私はまたしても残酷な考えを浮かべました。
このまま目覚めることなく死んでしまえば、と思ったのです。
私はもう辛かったのです。来る日も来る日も病室へ足を運び、見たくもない衰えを見続ける。でも、彼女を見捨てるなんて出来やしない。愛があったからです。削れていく愛でも、それは間違いなく愛でした。
この自傷行為がいつ終わるのか、私は暗黙のうちに知っていました。
彼女が死んだときです。
彼女の衰えが最高点に達したときです。
ふと、彼女も生きていて辛いだろうと思いました。
夢も希望も病魔に喰われ、身体の自由すら奪われた人が、何のために生きるのでしょう。彼女は数年前まで、自身の延命を望む言葉を口にしていました。だんだんとその言葉は減り、病院に入ってからは死後のことばかり話すようになっていました。
この考えが本心か、言い訳だったのか。今でも自分では分かりません。
少なくとも、この後の行為に繋がったのは確かでしょう。
私は彼女の方へと歩み寄り、おもむろに右手を伸ばしました。
その先には彼女の首がありました。骨に皮が付いただけのような首は、少しひんやりとしていました。私は唾を飲んでから、左手を右手に添えました。
そうして、一気に力を込めたのです。
頼むから目を覚まさないで欲しい。
その想いにふさわしい力ではありませんでした。おそらく未練があったのでしょう。
ふと、彼女は弱々しく瞼を開きました。黒い眼が月光に照らされて輝き、その光を見た瞬間に、私は手の力を緩めてしまいました。
ああ、いっそのこと止めて欲しかった。
ここで幻滅でもされれば良かった。医者でも看護師でも呼ばれて、殺人未遂で捕まってしまえば良かった。もう一度「別れて欲しい」と言ってさえくれれば、私はうなずきました。私にかかる呪いは総じて解けたのに。
彼女は首を絞めかけた右手に、そっと手を添えたのです。
その顔は儚げに笑っていました。
私は思い込んだのです。全てが許されたのだと。
そうして、止まっていた手に強く力を込めて、これでよかった、これでよかった、と思い込みながら、彼女を絞め殺しました。
私は息の音が聞こえなくなった途端、一気に手を離しました。
手のひらは赤っぽく火照っていました。彼女の首には絞められた赤い痕が、暗闇でも目立つほどに残っていました。
思いがけず、彼女の死に顔へ目が行きました。それは今まで見たどんな表情よりも安らいでいました。その顔は美しかった。元気だったときの美しさを取り戻したような印象を覚えました。
しかし、もう身体の内に彼女はいないのだと思うと、私はその美しさに惹かれませんでした。
その後、私は自首しました。自殺は選択肢にありませんでした。それは裁きではなく、所詮、自分が逃げる方法に過ぎないと思ったのです。
ですが、考えは牢の中で変わりました。私は「自分を殺してやりたい」と思うようになりました。逃げではありません。他者に向ける憎悪と似たような感情です。私はその思想を膨らませ続け、今この決断に至っています。
あの殺しは間違い以外の何でもありませんでした。
彼女は最期に笑い、死を受け入れたように見えました。
しかし私には、彼女が死にたがっていたとはどうにも思えないのです。
一方で、彼女がどうしても生きたかったとは思えません。
全ては私がいたからです。あの病院にいた時間は、彼女の未練が作ったものでした。生きる理由がなくとも生きていたのは、私がいたからでした。
獄中で一通の遺書を受け取りました。彼女が入院中、密かに書き記していたものです。
そこには私への未練が綴られていました。
彼女の友人や家族に対しては後腐れのない伝言ばかりでした。私にだけ、数々の願望や後悔の意思が向けられていたのです。
私は初めてまともに考えました。彼女は私のことをちゃんと愛していたんだと。
後悔や未練が残っているとき、人間は生きる選択をします。「別れないよ」と言ったときの私と同じ心情を、彼女は抱えていたのです。
生きたがっていた彼女を、私は殺しました。
これが罪以外の何だと言うのでしょう?
あの瞬間の微笑みは、彼女の最大限の優しさでした。
苦しむ僕を楽にしたい。彼女らしい最期の思いやりでした。
救われたのは私だったのです。そして、悪いのは私のエゴでした。
「私も愛しています」から始まった身勝手な愛が、彼女を殺したのです。
ああ、こんな愛さえなければ!
愛が先か、執着が先か。答えは両方でしょう。私の愛の本質は執着だったのです。彼女の告白を受けた瞬間から、私は「美しい彼女」に惚れ込んでいました。「美しい他人」や「美しくない彼女」は愛していませんでした。彼女にも、彼女の美しさにも、同じくらい執着していたのです。
「美しくない彼女」なんて見たくもない。彼女は、こんな子供じみたわがままに殺されたのです。
こんな利己的な愛にさえ捕まらなければ、彼女はもう少し長生きできたでしょう。晴らせた未練もあるかも知れません。いや、そもそもこんな私だからこそ、数々の未練が生まれたのかも知れません。
私は今、ようやく彼女を愛しています。彼女の未練や優しさに気づき、やっと利他的な愛が芽生えてきたのです。彼女は絶対に為さないことでしょうが、「死んでくれ」と言われればその通りに死ぬでしょう。
しかし全てが遅すぎたのです。私は自らの罪を許すことが出来ません。生きている限り、彼女への愛は永遠に私を責め続けるでしょう。ならば私は、本当の愛が望む結末を迎えたい。
もしも生まれ変わりがあるならば、私は彼女の知らぬ所で生を終えたい。
彼女にはもう二度と、私の愛もどきに触れて欲しくはないのです。
……長々と書きすぎました。さて、そろそろ感情にまかせた駄文を終えることとしましょう。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
見知らぬあなたが、幸運と、愛に恵まれることを祈っています。




