第19話『「ずっと守る」――未来を誓う夜』
出産予定日まで、あと十日。
昼間は王城付きの医師が定期診察を行い、夜は侍女がつきっきりで安静を守る。
妊婦としてのルシアは、いまや王宮で最も大切にされる存在のひとりになっていた。
だが彼女自身にとって、“特別”だったのは扱われ方ではない。
――この命を、誰よりも“夫”と共に守ってきた、ということだった。
その夜も、ノアはいつもと同じように寝室にいた。
出産が近づいてからというもの、彼はどれほど遅くなっても、どれほど仕事が詰まっていても、
必ず日が暮れるまでには戻ってくるようになっていた。
「……おかえり」
「ただいま。どうだった、今日の診察」
「順調だって。……この子、あんまりじっとしてくれなくて、先生が苦笑してた」
「元気なのはいいことだ。俺に似て、落ち着きがないんだろうな」
「じゃあもう少し空気を読んでくれてもいいのに。
今日は昼寝中に蹴られて起きたのよ?」
「それは……すまん。俺が今度、きつく言っとく」
「やめて。お腹に向かって小言を言う父親とか嫌」
そうやって笑いながらも、ふたりの心の奥には、
“近づくその時”への緊張が、少しずつ高まっていた。
言葉には出さないが、ノアはわかっていた。
ルシアは、また何かを一人で抱えようとしている。
だから、その夜は彼のほうから切り出した。
「……なあ、ルシア。今日の夜、少しだけ時間くれないか」
「……いいけど、なにかあったの?」
「話したいことがある。……というより、誓いたいことがあるんだ」
ベッドのランプを落とし、淡い灯の中、
ふたりは並んで腰かける。
ノアは、膝の上で何かを握っていた。
それは、小さな革の紐に通された銀の指輪だった。
「これ……?」
「もともと戦地に持っていこうとしてた。
戻ってきたら、これを渡すって決めてた。……でも結局、あんなことになったから」
「……気持ちは、届いてたわ」
「そうじゃない。俺の口からちゃんと伝えたかった。
お前とこの子を――“一生守る”って」
静寂の中、ノアは言葉を続けた。
「お前が俺の子を身ごもって、
その命を懸けてこの子を産もうとしてること、俺は絶対に軽く見ない。
もしこの先、お前に何かあったら……って思うと怖くてたまらない」
「私もよ。
この子を産むのはきっと、痛くて苦しくて怖い。
でも、あなたがいてくれるなら……耐えられる気がするの」
ノアは指輪を取り出し、彼女の左手に通した。
冷たい銀の感触が、指先を包む。
心臓の音が、ふたりの間で重なる。
「……これが、お前とこの子への誓いだ。
この命に代えても、守り抜く」
「そんな大げさな……」
「大げさでもいい。俺は、俺なりにずっと後悔してたんだ。
お前が嘘をついた夜、俺は何も言えなかった。
ただ信じるって言うだけの言葉さえ、あのとき出なかった」
「でも、あなたは来てくれた。私を信じて、待っててくれた。
あれ以上の“誓い”って、ないと思ってた」
「……じゃあ、これは“更新”だな。
夫として、父として、改めて誓う。“ずっと守る”」
ルシアはその言葉を、涙の出る寸前で笑顔に変えた。
「……ありがとう、ノア。
私、この子をちゃんと産むわ。あなたと一緒に“家族になる”って、約束する」
ノアはそっと彼女の肩を抱き寄せ、
額にキスを落とす。
それは、ふたりが何度も交わしてきた愛の証。
そして、いちばん“新しい誓い”の印。
その夜、ルシアはぐっすりと眠れた。
夢の中で、小さな手が自分の指を握っている気がした。
“もうすぐだよ”
そう、誰かが囁いているように思えた。
翌朝。
ノアが目を覚ますと、ルシアはすでにベッドから離れて、
窓辺の椅子に腰掛けていた。
「起きた?」
「ああ。……お前、体は?」
「うん。穏やかよ。……でも、なんとなく分かるの。
きっと、もうすぐ会える」
「……そうか」
ノアはベッドから降りて、彼女の隣に膝をつく。
そして、耳を彼女のお腹に当てた。
「……おはよう、ミレイア。リアム。どっちにしても、そろそろ出てこいよ」
「ふふ。呼びかけて促すの、やめて。気が早いんだから」
「でも……早く会いたいんだよ。お前とこの子とで、“新しい朝”を迎えたい」
その願いは、そう遠くない未来に叶う。
家族になる誓いを果たすその瞬間が、
もうすぐ、すぐそこにまで来ていた。




