第17話『三人で迎える初めての朝』
朝陽がカーテン越しに部屋へと差し込み、白く整えられた寝室を優しく照らす。
鳥のさえずり、風の音、控えめな気配。
王宮とは思えぬ穏やかさの中、ノア・ヴァリスは早くに目を覚ましていた。
けれど、起き上がろうとはしなかった。
静かに隣の妻を見つめる。
ルシアは、安らかな寝息を立てていた。
その両手は自然とお腹の上に重なり、そこに宿る命を守るように添えられていた。
柔らかな髪が額に落ちて、口元にはほのかな微笑。
誰よりも強くて、誰よりもやさしい“母になる女”の横顔だった。
“夫婦に戻った”その日から、ふたりの暮らしはゆっくりと変わっていった。
かつては“夜”しか共に過ごせなかった日々。
戦場へ赴く前に急ぎ交わされた言葉。
互いをすれ違わせ、心を閉ざし、ひとつの嘘でさえ決裂を招いた。
それが今では、朝が来て、昼に手を取り、夜に寄り添う。
“当たり前の時間”を、ふたりで分け合えるようになった。
「ん……ノア……?」
ルシアが目を覚ましたのは、日がもう少し高くなった頃だった。
「おはよう」
「……おはよう、もう起きてたの?」
「お前が寝顔を見せてくれるからな。いつまででも眺めていられる」
「……やめて、恥ずかしい」
彼女はそう言いながらも、顔をノアの胸に寄せた。
「昨日、夢を見たの。あなたと、この子と、三人で朝ごはんを食べてる夢」
「……それは良い夢だったな」
「うん。すごく穏やかで……。朝の光がこんなに気持ちいいって、今まで知らなかった」
その日。
ふたりは“初めての三人分”の朝食を準備した。
といっても、ルシアが椅子に座っているだけで、手を動かすのはノアと侍女たち。
「おい、味見はまだか?」
「あなた、味見が“主食”になってるわよ」
「いや、これは確認だ」
「ふふ……確認ね」
テーブルには、栄養バランスを考えた温野菜のスープとパン。
そして、ほんの少しのジャムとリンゴのコンポート。
「この子の朝ごはん、なんだからね」
「知ってる。俺は“ついで”でいい」
「そのわりに、スープ2杯目ね?」
「将軍はよく食べて、よく戦う」
「今は戦ってないわよ。……あ、でも育児って戦場よね」
「よし、鍛えておく」
笑いながら食卓を囲み、ふたりは“もうひとつの命”と共にある時間を噛みしめていた。
その後、庭に出て、白い日傘の下でお茶を飲む。
ルシアはゆっくりと、腹に手を当てながら言った。
「ノア、私ね。あのとき“子どもはあなたの子じゃない”って言ったでしょう?」
「……ああ」
「嘘だったって、もう何度も言ったけど……その嘘が、あなたをどれだけ傷つけたのか、
本当は、今になってようやく分かった気がするの」
ノアは椅子を引き寄せ、彼女のそばに座った。
「俺は、お前のそばにいられなかった。それが、全部の原因だ」
「でも……それでも、“面倒を見る”って言ってくれた。
あの言葉だけが、嘘をついた私を救ってくれたの。
今こうして三人で朝を迎えられるのは、あの夜のあなたの言葉があったから」
ノアは黙って、彼女の手を握った。
「……俺も救われたよ。お前が“戻ってきてくれた”って思えたから。
あの日から、ようやく俺は“父”になれた」
風が、彼らの周りをやさしく通り抜けていく。
ルシアはそっと、ペンダントを胸から取り出した。
そこには“ミレイア”の文字が彫られている。
「この名前、ほんとに好きよ」
「ありがとう。お前が“つけて”と言ってくれたから、俺は父親になれたんだ」
午後になり、部屋へ戻る頃には少し疲れていたルシアが、
ベッドに横たわると、ノアはそっと腹に耳を当てた。
「なあ、ミレイア。今日はパパの朝ごはん、どうだった?」
「……もう、“パパ”なんて言葉が似合うようになったのね」
「そりゃもう。将軍もパパも、どっちも板につける」
「じゃあ、次は“おむつ替え”も習得しないとね?」
「え……」
「え、じゃないわよ」
笑い合うふたりの間には、
かつてのような疑念も、距離も、嘘もなかった。
ただ、静かにひとつの命を待ち望む――
“本当の家族”の時間が流れていた。