第15話『世継ぎの父と母』
王命によって再婚が成立してから、およそ三ヶ月。
ルシアの腹は、もう誰の目にも明らかに大きくなっていた。
腰に手を添えなければ歩けず、寝起きには背を支えてもらわなければならない。
だが、そんな彼女の表情は、不思議と明るかった。
――それはきっと、「ようやく、すべてを赦されてここにいる」ことを実感できていたから。
そんなある日。
王城から公式な勅使がフィーレン家へと使わされた。
届けられたのは、ひとつの宣言だった。
『ヴァリス将軍とルシア・フィーレンの間に生まれる子は、
国の正式な後継候補のひとりとして、世継ぎ名簿に記載される。
父母ともに公的な称号を持ち、将来の大義に資する家系として保護対象とする。』
それは、形式だけでなく、名実ともに“次代”を任される器と見なされたことを意味していた。
「……すごいわね、ノア。うちの子、“世継ぎ候補”ですって」
部屋で手紙を読みながら、ルシアが苦笑する。
「それが嬉しい?」
「ううん、ちょっとだけ怖い。でも……ちょっと、誇らしい」
ノアは彼女の隣で、黙って頷いた。
「お前が、この子を抱えて生き抜いたからだ。
王も、皆も、ようやく分かったんだ。お前が“支えるに値する女”だって」
「ふふ……それを最初に言ってくれたの、あなたよ?」
「俺は見る目だけはある」
「ほかに“だけ”ってつくの、何があるのかしらね?」
「……泣き虫の自覚」
「そこは胸張らなくていいわよ」
ルシアは自分の手をお腹に添えながら、ふと真顔になる。
「……でもね。プレッシャーじゃないって、言ってあげたいの。この子に」
「世継ぎにされたからって、“お前は立派でなきゃいけない”なんてことは言いたくない?」
「うん。普通でいい。健康で、笑って、生きてくれればそれでいい」
「じゃあ、そのために……俺たちが立派にならないとな」
その後、ルシアは正式に“宮内の母子保護管理下”に置かれた。
出産までは王宮専属の医師が管理し、専任侍女と助産婦が配置される。
母体の安定と子の成長が最優先――その名目のもとに、彼女はより慎重に扱われ始めた。
けれど、彼女自身はそれに“守られている”とは思っていなかった。
むしろ、それは――
(この子の重みに、ようやく“私たち”がふさわしくなってきた証)
そう感じていた。
ルシアは日記をつけていた。
“母親になる”と決めてから、彼女は毎日の体調や、胎動の回数、気分の変化などを克明に記録していた。
ある日の記述にはこうあった。
『今日、この子がしゃっくりをした。小さな規則的な動き。
可愛くて、愛しくて、胸が詰まる。
世継ぎとか、肩書きとか、どうでもよくなる。
この子がいる。生きている。それだけで、私は十分だった。』
だが、王城内の空気は、そう一枚岩ではない。
とくに“宰相派”の古い貴族たちは、ノアとルシアの間にできた子が“将軍の子”であることに難色を示していた。
「武人の血筋を王宮に入れるとは……」
「しかも、以前一度離縁した女が母か。波風が立たなければいいが」
そんな声があることも、ノアとルシアは知っていた。
けれど、ふたりはもう揺らがなかった。
今さら何を言われても、命を抱えてここまで来た日々に比べれば、取るに足らぬ。
その証として、ある日ノアは“王宮の晩餐会”にて、こう口にした。
「この子が、将来どんな立場になるかは分からない。
だが、俺の名と剣を継ぐにふさわしいと判断されたなら、誇って育てる。
――だが、それは“俺の力”ではなく、“母であるルシアの強さ”によって生まれた名誉だ」
その場にいた者たちは、しばし言葉を失った。
男が権威をもつ公の場で“妻の功績”を称えた。
それは、この宮廷では異例の出来事だった。
だが、それこそがノアの、そしてふたりの答えだった。
夜。
寝室でノアがふと尋ねた。
「この子、男の子だったらどうする?」
「あなたに似て、口下手で照れ屋な将軍候補?」
「そっちか……。お前に似て、賢くて強情な宮廷官僚になるかも」
「じゃあ……女の子だったら?」
「……お前に似て、俺を振り回すお姫様だな」
「正解。間違いなくそうなるわね」
ふたりは、くすくすと笑い合う。
将来がどうあろうとも、
この夜だけは、ただ“親になるふたり”として、穏やかに笑っていた。