第14話『王城での波紋と“彼女”の再来』
王宮の空気がざわついたのは、ある女の来訪がきっかけだった。
リーナ・アルディ。
ノアが遠征から戻った晩、彼とともに王城へ姿を見せた“あの女”だった。
厳密には、ノアの部下である中級将校の妻であり、
遠征先で負傷した夫の代わりに、戦後処理と書状を届けるため一時的に同行していたに過ぎなかった。
だが、王城の人間にとって“彼女”はひとつの象徴だった。
──ルシアが家を出るきっかけになった“誤解”の火種だと噂になっていた。
だからこそ、その女が再び王城に現れたとき、噂は再燃する。
「将軍の正妻とあの女……鉢合わせたらどうなるのかしら」
「もしかして、また何かあるんじゃ……」
「このまま“火種”が再び燃え上がったら……」
だが――当のルシア本人は、騒ぎを静かに受け止めていた。
「彼女が来ています」とミリアから耳打ちされたのは、午前の読書室にて。
ルシアは本から目を上げて、静かに尋ねた。
「どなたの奥方だったかしら?」
「中将補アルディ殿の……」
「ああ、あの方ね」
それだけで、また本に視線を戻す。
ミリアは一瞬、反応に困ったが、やがて安堵の息を漏らした。
それから数日後。
ついに、ふたりは“正面から”顔を合わせることになる。
舞踏会前の貴婦人の茶会。
王妃主催のもと開かれた正式な催しに、リーナが“将校の妻”として正式に招かれていた。
ルシアは、その場に当然のように現れた。
誰もが固唾を呑んだ。
再婚後、初めて“公の場”で“噂の女同士”が顔を合わせる瞬間だった。
「……ご無沙汰しております、ルシア様」
リーナは、おそるおそるというよりは、やや気後れした様子で会釈した。
「こちらこそ。アルディ夫人、お加減はいかが?」
ルシアは、涼やかに、けれど冷たすぎない笑みをたたえた。
「ご主人のお怪我、大事には至らなかったと伺っております」
「……はい。将軍にも、遠征中は大変お世話になりました」
ふたりのあいだに走る空気は、見えない剣のように張り詰めていた。
その空気に耐えきれず、周囲の貴婦人たちは目線を逸らす。
だが、沈黙を破ったのはルシアだった。
「……あの晩、私、あなたを見たの。
ノアの隣に立って、袖を掴んで笑っていた姿」
「……はい」
「ただならぬ雰囲気に見えました」
周囲の空気が凍りつく。
けれど、ルシアはそれを静かに打ち消すように微笑んだ。
「でも誤解でした。私は己の未熟さから“嘘をついてしまった”。
だけどその嘘のおかげで、夫婦の絆が深まりました」
リーナの目が、見開かれる。
「……本当に、申し訳ありませんでした。あのとき、私は無自覚でした。
将軍の奥様が、そんな思いをしていたなんて……」
「謝らないで。あなたは悪くなかった。
私が、勝手に怯えて、勝手に逃げたの。……でも、今はもう違う」
ルシアはゆっくりと歩み寄り、リーナの手を取る。
「貴女が誰かを支えたのなら、きっとその人は今でも貴女を大切に思っているわ。
私たちのことは、もう過去。これからは、“それぞれの隣”を、信じて歩いていきましょう。互いの夫に恥をかかせないように」
「……ありがとうございます」
そのやり取りを見ていた王妃が、後に侍女へこう告げた。
「女の強さとは、剣ではなく、誇りでもなく、“赦し”であると初めて知りましたわ」
その日から、王宮でのルシアの評価は一変した。
“嫉妬深い正妻”ではない。
“気丈で品のある母”であり、“器を持つ女”として認識され始めたのだ。
その晩、ルシアは寝室でノアに話した。
「リーナさんに会ったわ。……もう、大丈夫。私の中で、整理がついた」
「そっか。ありがとう。……お前が一歩、進んでくれて嬉しい」
「でも、“ちゃんと睨み返してくれたらよかったのに”って顔されたわ。貴婦人たちに。喧嘩するところが見たかったのね」
「……そんな顔したら、俺が惚れ直してただろ」
「ノアったら」
「……どんな君でも愛しいよ」
ふたりの手が重なり、
夜風がカーテンを揺らす。
過去の火種は、ふたりの“誠実”によって静かに消えていった。




