第13話『子を育む母の強さ』
「強くおなりになりましたね、ルシア様」
そう言われたのは、侍女のミリアからだった。
ある晴れた午後、王宮の回廊を歩くルシアの姿は、
妊婦らしい穏やかさと、しかしどこか凛とした気配を纏っていた。
胸元に刺繍をあしらった淡いローズグレーのドレス。
張り出した腹を自然に包むラインの中に、一輪の小さな花飾り。
風に髪がなびき、顔を上げたその表情は、かつて“泣き顔しか似合わない”とささやかれていた令嬢のものとは、別人のようだった。
妊娠してからというもの、ルシアは体調の波と向き合いながら、
“母になる”という実感を少しずつ自分に馴染ませていった。
最初は不安の連続だった。
王宮の誰もが自分を見ていた。
“噂の妊婦”“将軍に捨てられた妻”“また連れ戻された女”――
そんな眼差しが、廊下の隅々まで追ってきた。
けれど、それでも毎日、ノアが手を取って「おはよう」と言ってくれた。
眠れぬ夜には「大丈夫、俺がいる」と抱きしめてくれた。
そのぬくもりが、少しずつ彼女の心に“根”を張らせた。
(私、この子のために、ちゃんと強くなりたい)
(何があっても、この命だけは、守れるように)
その決意が、少しずつ行動にも現れていく。
まず、彼女は“王妃教育の再受講”を申し出た。
本来、将軍の妻である以上、貴族としての礼儀や知識は一通り済ませていた。
だが、再婚という経緯がある以上、一度“立ち位置を自ら見直す”姿勢を見せたほうが良いと判断した。
「再出発するのに、恥ずかしいことはないわ」
周囲の驚きに、ルシアはにこやかにそう答えた。
また、妊婦としての身体を労りながら、
医師との連携や助産婦との面談も積極的に行った。
周囲の侍女たちは「ルシア様は妊娠してからのほうが、生き生きしておられる」と口を揃えて言った。
──それは、おそらく正しかった。
“ひとり”ではないという実感。
“未来がある”という確信。
そして、“守るべき命がある”という責任。
そのすべてが、かつてのルシアに欠けていた「芯」を形作っていた。
「……どこか、変わったな」
ある夜、ノアが言った。
久しぶりにふたりで過ごす寝室の中。ルシアの髪を梳かしながら、ぽつりとつぶやく。
「あなたが変わったんでしょ。だから、私も変わったのよ」
「俺か?」
「うん。……あの時、私が嘘をついたのに、あなたが抱きしめてくれたから。
“間違っても、やり直せる”って、信じられたの」
「……お前は、昔から強かったよ。気づいてなかっただけだ」
「違う。私はずっと弱かった。信じることが怖くて、自分を守るために嘘ばっかりついてきた。
でも今は、ちゃんと信じたい。あなたのことも、この子のことも、そして私自身のことも」
その言葉に、ノアは黙って彼女の額にキスを落とす。
強くなったのは、彼女自身が選んだ“道”だった。
誰かに頼るだけでなく、
誰かを信じるだけでなく、
自分で歩き、自分で立ち、自分の声で命を守るために進む道。
妊娠八ヶ月。
ルシアの腹は、以前よりもずっと重くなっていた。
階段の上り下りは侍女がつき添い、長く歩けば腰に痛みが走った。
それでも、彼女は凛としていた。
朝には花の香りを嗅ぎ、昼には筆で日記を綴り、
夜にはノアの帰りを、灯を落とさず待っていた。
子を宿したから、優しくなったわけではない。
弱くなったわけでもない。
ただ、彼女のなかに“生きる芯”が根づいたのだ。
ある日、王妃付きの侍女長が彼女を訪ねてきた。
「……王宮では、こう言われていますわ。
“あの将軍の奥方は、今では王妃よりも穏やかに宮を歩かれる”と」
「恐れ多いですわ」
ルシアは柔らかく微笑んだ。
「でも、“歩く”ことに意味があると、今は思うんです。
噂も、視線も、全部、子どもに届くでしょう?
だったら私は、まっすぐに背筋を伸ばしていたいの」
「……見違えましたわ、ルシア様。
正直、最初は“同情された妊婦”という印象しかありませんでした」
「私自身が、そう思っていたからでしょうね」
侍女長は深く一礼して、ルシアにこう言った。
「どうか、その強さのままお子をお産みください。
この王宮にとって、貴女はもう“将軍の妻”ではなく――“母であり、柱”ですわ」
その言葉に、ルシアは涙をこらえきれず、笑った。
「……ありがとうございます。
私は、この子の母であることを、何より誇りに思います」
ふたりの間に宿った命。
それは、かつて崩れかけたふたりを、再び結び直した絆でもあった。
そして、ルシアは――
もう迷わない。もう逃げない。
“誰かに守られるだけの女”から、“誰かを守る母”へ。
ゆっくりと、しかし確実に、彼女は変わっていった。