第1章:忘れられた記憶
橘 樹は、ふとした瞬間に頭の奥に浮かぶ「記憶」に戸惑っていた。それは、鮮明でありながらも曖昧な、何かが欠けたような映像。日常の中で時折よぎるそれは、過去の事件に関連しているように思えるが、手に取るようにはっきりとは見えない。何か重要なピースが欠けているのだ。
「あの夢……あれは何だったんだ?」
橘は自宅の部屋で一人呟いた。最近見続けている夢の内容が、現実とリンクしているように感じ始めていた。犯人との対決が終わった後も、どこか現実が不安定に感じる。あの日、倉庫での決着がついたはずなのに、橘の胸にはずっと重くのしかかるものがある。
彼はデスクに散らばる書類の中から、一枚の紙を手に取った。それは、以前神崎が調べていた「記憶操作」に関する情報の一部だ。だが、その中に含まれる情報はほとんどが断片的なものに過ぎない。彼らが経験した事件の全貌をつかむには、まだ足りないピースがあった。
「まだ、何かが残っている……」
橘は、事件が完全には解決していないという予感を胸に抱いたまま、目を閉じた。
翌日、橘は学校で奈々と顔を合わせた。奈々の表情にはどこか疲労感が漂っており、彼女もまた、最近の夢に悩まされている様子だった。橘はそれを察し、静かに問いかけた。
「奈々、何かあったのか? 最近、顔色があまり良くないけど……」
奈々は少し驚いたように目を見開き、すぐに苦笑いを浮かべた。
「樹に隠すつもりはなかったけど……実は最近、よく夢を見るの。あの事件が終わってから、何かが私の頭の中で繰り返されているみたいで……」
「夢?」
橘は奈々の言葉に引き込まれるように耳を傾けた。彼もまた、同じように夢に悩まされていることを感じていたが、奈々が同じような体験をしているとは思わなかった。
「うん。夢の中で、誰かの声が聞こえるの。でも、その声が何を言っているのかはっきりとは聞こえない。まるで……誰かが私に何かを伝えようとしているみたいなの」
奈々は不安げな表情を浮かべながら続けた。
「それが……私の家族に関係している気がするの。父や母のことが思い出されるけど、何かが違う。私の記憶に何か欠けているような気がしてならないの」
橘はその言葉に強く共感した。自分も感じていた「何かが欠けている」という感覚。橘もまた、奈々と同じく、自分の記憶に何か不自然なものを感じ取っていた。
「もしかして、奈々の家族に関する記憶が、記憶操作によって何か改ざんされているのかもしれない……」
橘がそう考えると、胸が重くなった。奈々の家族は、一度もこの話題に登場していなかったが、今ここに来て、その存在が急に気になり始めた。彼女の両親が何か重要な秘密を隠しているのかもしれない――その可能性が頭をよぎる。
数日後、神崎が学校の図書館で一冊の古びた書物を手にしていた。彼は記憶操作に関する研究を続けており、その中で「過去の記憶」に関する重要な手がかりを掴んでいた。
「……これか」
神崎が手にした書物には、記憶操作に関する古い実験の記録が記されていた。それは、奈々の家族が関わっていた可能性のある実験についての情報だった。橘と奈々を呼び寄せ、彼はその内容を二人に説明し始めた。
「奈々、君の家族が関わっていたと思われる実験の記録だ。これはかなり古いもので、秘密裏に行われていたらしい。記憶の操作や消去に関する研究がなされていたようだが、その結果は公にされていない」
神崎は冷静に言葉を続けたが、橘と奈々はその言葉を聞いて動揺を隠せなかった。特に奈々は、自分の家族がそのような実験に関わっていたという事実に衝撃を受けた。
「そんな……私の家族が……?」
奈々の声が震える。彼女は自分の記憶に疑問を抱きながらも、家族のことを思い出そうと必死だった。しかし、どうしてもはっきりと思い出すことができない。まるで、自分の中で何かが押し込められているかのようだった。
「奈々の記憶は、おそらく操作されている。そして、その記憶が事件の核心に関わっている可能性が高い」
神崎は静かに言った。その言葉に、橘も奈々も固唾を飲んだ。奈々の家族に隠された秘密、それが奈々の記憶に何らかの影響を与えているのだとすれば、彼らが追っていた事件はまだ終わっていない。むしろ、これからが本当の始まりかもしれない。
その夜、奈々は自宅で一人、古い家族写真を眺めていた。そこには、幼い頃の彼女と、微笑む両親の姿が写っていた。だが、その写真を見つめるたびに、胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われる。
「本当に……私の家族は何を隠していたの……?」
奈々は静かに呟き、写真を握りしめた。彼女の中で、過去の記憶が少しずつ形を取り戻そうとしていた。だが、その記憶がはっきりするには、まだ時間が必要だった。
一方、橘と神崎は奈々の記憶に隠された「真実」を解き明かすため、さらに調査を進める決意を固めていた。奈々の家族が関わっていた実験、そしてその記憶が何を意味しているのか――その答えを見つけるために、彼らは再び動き出した。