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ABC  作者: 迎ラミン
第二章 あんたもABCだ
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第二章 1

   ◆◆◆


「調子に乗んな」


 クズどもの常套句だ。当たり前だが、こんな台詞が許されるのは立場が上で、誰もが認める正当性を持った人間だけだ。そして正当な人間ほど、こういう乱暴で頭の悪い言葉は発しない。

 調子に乗っているのはどっちだ。理由もなく人を見下して、馬鹿にして、心と体を傷つける犯罪者ども。俺は絶対に許さない。何年、何十年経っても許さない。いつの日か必ず報いを受けさせる。

 悪は潰す。徹底的に。


   ◆◆◆




 (なが)(みね)さくらは困っていた。

 あと数分で、自分のレッスン開始時間になってしまう。にもかかわらずスタジオがまだ空かない。前のコマを担当したベテランインストラクターの女性と、常連らしき会員さんが、ずっとお喋りに興じてスタジオから動かないのだ。自分の後ろには《レッスンご参加の方は、こちらにお並びください》と書かれた小さな立て看板とともに、二十名近い他の会員さんがすでに列を作り待ってくれている。

 残り五分を切った時点で、さくらは意を決してスタジオの扉を開けた。


「すみません、そろそろ次のレッスンなので……」


 若干緊張しつつも、堂々と胸を張って声をかける。そうだ。自分には何もやましいところはないし、むしろ彼女たちを退出させる権利がある。頑張れ、私。


「あら、サクラ先生。ごめんなさいね、つい長居しちゃって。そうよね、サクラ先生のクラスは混むものねえ。若くて可愛いから」

「どうも」


 若くて可愛い、という部分だけが強調されて聞こえたのは気のせいではないだろう。だがさくらは、少なくとも表面上は余裕のある微笑を返しておいた。同時に内心で「何が言いたいのよ、おばさん」と毒づいておく。最近ようやく、こういう対応ができるようになった。


「じゃ、頑張って」


 動揺を見せないさくらの様子に、「おばさん」は一瞬だけつまらなそうな顔をしたあと、話していたやはり中年の女性会員と、連れ立ってスタジオを出ていった。


 若いだけでお客さんが付くような甘い仕事じゃないって、あんただってわかってるでしょうが。


 もう一度、胸の中だけで文句を言ってから、さくらは身体ごと後ろを振り返った。その瞬間にはすでに、ショートヘアの下に弾けるような笑顔が浮かんでいる。蛍光ピンクのTシャツと七分丈のフィットネスパンツ、真っ赤なスニーカーがいずれもよく似合う爽やかな姿は、どこからどう見ても「イントラのお姉さん」だ。


「すみません、お待たせしました! 間もなく『初心者エアロ』三十分のクラスを始めまーす! どうぞ、お入りくださーい!」


 スタジオが併設されたトレーニングジム全体にも聞こえる、元気な声が響き渡った。




 イントラ、すなわちフィットネス・インストラクター三年目のさくらは二十四歳。もともとこの仕事に憧れていたので、大学に入るとすぐにフィットネスクラブでアルバイトを始め、そのままバイト代でヨガやピラティスの指導者資格も取得して、自分としてはごく自然な流れでフリーランスのイントラという道を選んだ。

 が、いかにアルバイト経験があるとはいえ、無名の新人イントラに次々と依頼が来るわけもなく当初は大いに苦労した。だからこそ、かつての自身がそうだったように「あの先生みたいになりたい!」と思ってもらえる、明るさや楽しさを兼ね備えたレッスンを提供しなければいけないのだと、身を持って理解しているつもりだ。若くて愛想がいいだけでは決して務まらないのが、フィットネス・インストラクターという商売なのである。


 それでも私は、まだ恵まれてる方だけど。


『初心者エアロ』が無事終了した三十分後。床にモップをかけながら、さくらはふたたび胸の内でつぶやいた。貧乏ながらなんとかイントラ一本で食べていくことができているし、ここ『センチュリー西(せい)(しょう)』をはじめ、仕事先の施設はどこも良くしてくれる。さらに先月からは一人暮らしをする平塚市内の公共体育館でも、ジムの隣に作られた小さなスタジオで、定期的にレッスンを持たせてもらえるようになった。


 面白いトレーナーさんもいるし、ね。


 その体育館で知り合ったトレーナーの影響か、最近の自分は以前よりもいい意味で図太くなったとも感じる。さっきの「おばさん」への声かけもそうだけど、誰かに迷惑をかけられた際などに、毅然とした態度を取れる場合が増えてきたように思うのだ。


 普段はとぼけた人なんだけどなあ。


 彼の飄々とした口調や笑顔を思い浮かべて、さくらはふわりと微笑んだ。

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