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ABC  作者: 迎ラミン
第一章 君こそ、俺が求めていた人材だ
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第一章 3

 オウジさんと知り合ってから半月ほど経ったその日も、僕は体育館で筋トレをしてから帰るところだった。

 話をするようになってすぐにわかったけど、オウジさんはトレーニングのことを教えるのがとても上手かった。特に人体の構造に詳しくて、「ここの筋肉はこういう方向に付いてるから、少し腕の角度を広げてみるといいよ」とか「関節がこうやって動くから、もうちょい深くまでいけると思うぞ」などのアドバイスが、タイミングも良くてじつに的確なのだ。なんでもトレーナーさんの必修科目である、「機能解剖学」とかいう学問をとりわけ熱心に勉強したのだとか。


「あ、プロテインも飲まなきゃ」


 つぶやいた僕は、帰り道によく立ち寄るコンビニで自転車を停めた。

 オウジさんはトレーニングそのものだけでなく、食事についても教えてくれる。しっかり筋肉をつけるには、身体の元となるタンパク質をじゅうぶんに取ることが必要で、僕たち成長期の人間は特にタンパク質が不足しがちらしい。


「プロテインはその不足を補うためにあるんだ。ていうか、タンパク質を英語にするとプロテインだからな。マサキたち十代の若者やアスリートみたいな、食事だけだとどうしても足りなくなる人こそ積極的に使うよう、俺たちトレーナーも勧めてるよ」

「プロテインを飲むと筋肉がついて背が伸びない、っていうのも嘘なんですよね」

「お、よくわかってるじゃん。大正解だ。タンパク質は骨の材料としても重要だから、むしろ背を伸ばすためにもプロテインはガンガン飲んでいいぞ」

「へえ」


 そんなやり取りをしたのが、つい先週の話だ。

 コンビニに入った僕は棚をしばらく探してから、パック型のプロテインドリンクを見つけてすぐにレジへと向かった。


「らっしゃいぁせー」


 おそらくは「いらっしゃいませ」と言っているつもりの少し、いや、かなりやる気のない声で店員さんが会計を始める。今日のレジ担当は、数ヶ月前からよく見かけるアルバイトのお姉さんだった。

 接客態度はともかく、このお姉さんは色白で睫毛が長くてとても可愛らしい。髪型はアニメキャラみたいなふさふさのツインテールで、しかもブルーのカラーコンタクトまでしているけど、小柄な身体にはむしろそれも似合っていてコスプレ中の外国人アイドルみたいに見えるほどだ。年は僕よりちょっと上、首元から制服っぽいブラウスが覗いていることが多いので高校生だろう。だからこそ、やる気のない接客がもったいないなあといつも思う。ネットで覚えた「残念アイドル」という言葉は、彼女みたいな人を指すのかもしれない。


 残念アイドルなお姉さんに見送られてコンビニを出た僕は、そのまま自動ドアの脇に置かれたゴミ箱のところへ向かった。トレーニング後、できるだけ早くタンパク質を補給した方がいいという、これまたオウジさんのアドバイスを実行しようとしてのことだ。

 そうしてプロテインを飲み、紙パックを捨てた直後。

 ふと目をやった駐車場の片隅に、予想外の光景があった。

 一瞬だけ、友達グループが普通にじゃれ合っているだけだと思った。でもすぐにわかった。違う。聞こえてくる言葉からも、そうじゃないことは明らかだ。


「なあ、ちょっとだけ奢ってくれって言ってんの。先輩の顔は立てるもんだろ?」


 自然とつぶやきがもれる。


「どうしよう……」


 目の前で繰り広げられているのは、()()()だった。多分、お金を強請り取るカツアゲというやつだ。なんとかして止めさせなければ。

 けれどもいじめる側は二人もいる。さっきのお姉さんと同い年くらいの、片方は茶髪のロン毛、片方は坊主頭にピアスという典型的なヤンキー。逆にたった一人でいじめられている男の子は、背丈も僕と大して変わらないように見える。ヤンキー二人と被害者の子、いずれも制服姿だけど、どちらもうちの学校ではない。


「おまえ、後輩のくせに挨拶もなしに行こうとしたもんなあ?」

「礼儀わきまえろ、礼儀」


 ヤンキーたちは、男の子を挟んでそんなことも言っている。状況が読めてきた。コンビニの駐車場にたむろするこいつらの前を、部活帰りだか塾帰りだかの彼が、普通に歩いて通り過ぎただけの話だろう。それなのに「挨拶がない」という難癖をつけて、カツアゲしているのだ。


 ……最低だ。


 絶対になんとかするべきだ。大体これは犯罪だ。

 そう。「いじめ」という名の罪はない。たしか暴行罪とか傷害罪とか脅迫罪とかの、要はチンピラとかヤクザのやる行為と同じ、れっきとした犯罪なのだと小学校で教わった。だからこそ絶対にしちゃいけないし、許しちゃいけないとも。


 けど……。


 僕は数秒間動けなかった。声をかけたら自分がやられるかもしれない。とばっちりを食うかもしれない。情けない話だけど、それが怖かった。

 ようやく我に返って、せめて警察を呼ぼうとスマートフォンを取り出したとき。


「おいこら、クズども」


 呆れた感じの声がした。

 はっと振り返ると、ジャージのハーフパンツにポロシャツという、どこかのトレーナーみたいな格好の男性が近づいてくる。いや、みたいじゃない。その人は本物の、しかも僕が知っているトレーナーさんだった。


「恐喝罪の現行犯だな。彼を小突いたりもしてたから、暴行罪も適用されるか」


 近づいてきたトレーナーさん――オウジさんは、そのまま落ち着いた口調で宣言した。


「おまえら、()()()

「え?」


 ヤンキーたちよりも先に、僕が思わずつぶやいていた。逮捕? オウジさん、何言ってんの? 

 二人のヤンキーも同じような感想を抱いたらしい。


「あ? なんだ、おっさん? ケーサツでもねえくせにフカしてんじゃねーよ」


 茶髪男の方が、相棒の坊主頭と顔を見合わせてから、いかにもな感じのだらしない歩き方でオウジさんに近寄っていく。


「ていうか、おめー誰だよ?」


 オウジさんの胸倉に手を伸ばす茶髪男。けれども彼は、直後に悲鳴を上げることになった。


「いてえっ! な、なんだよ、放せよコラ!」

「逮捕って言っただろうが、クソガキ。大人しくしねえと(しゃっ)(こつ)折れるぞ」


 無造作に茶髪男の手を取ったオウジさんが、あっという間に手首を背中側に捻り上げたのだ。


「尺骨ってのは、腕のここんとこの骨な。ほら、これだ」

「ぐわあっ!!」


 やはり落ち着いた調子で喋りながら、オウジさんは茶髪男の手を捻り続ける。ざまあみろ、と思いつつ僕は少し怖くもなってきた。放っておいたら本当に、茶髪男の腕が折られそうな気がしたからだ。それくらいオウジさんの声は冷めている。変なたとえだけど、蚊やゴキブリを見つけて始末するときみたいな、「こうするのが当たり前」みたいな感じがする。


「ちなみに俺は警官じゃないけど、逮捕はできるんだよ。というか、日本国民のすべてが今のおまえらを逮捕できる。刑事訴訟法二一三条の私人逮捕ってやつだ。ま、教養のないクズにはわからねえ話だろうけどな」


 僕もさっぱりわからなかったけど、オウジさんは飄々と説明しながら手にますます力を加えていく。


「いててててっ! は、放せ!」


 今や茶髪男の上半身は、まるで謝罪するかのように、地面と平行に折り曲げられた状態だ。


「てめえ! ざけんなコラ!」


 ようやくと言うのも変だけど、我に返った坊主頭が、漫画にありそうな台詞とともにオウジさんに詰め寄っていった。ただし実際には喧嘩慣れしていないのか、どこかためらう雰囲気で中途半端に距離を縮めただけだ。

 それでも意を決したように、彼がオウジさんの肩に手をかけた瞬間。


「え?」


僕が出した間抜けな声と同時に、ドサッと音が鳴った。ついでに何かが折れたような、パキッという乾いた音も。

 ドサッ。パキッ。そして。


「うああっ!」


 最後は大きな悲鳴。見事に半回転して地面に倒れた坊主頭が、オウジさんに触れた右手を押さえてのたうち回っている。


「てことは、あたしも逮捕していいんだよね?」

「…………」


 呆気に取られたまま、僕は聞こえてきた新たな声の主に目を向けた。音もなくオウジさんの隣に現れ、坊主頭の右手を引き剥がしたエプロン姿の()()に。

 オウジさんに続いて不良たちの前に現れたのは、レジにいたあのやる気ゼロのお姉さんだった。

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