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ABC  作者: 迎ラミン
第一章 君こそ、俺が求めていた人材だ
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第一章 2

 自転車で行ける距離にある町立体育館のトレーニングジムは、町の住民なら初回の講習さえ受ければ、一回三百円で誰でも利用できる。お風呂やプールがないというのも理由だろうけど、フィットネスクラブとかよりは格段に安いので、中学生の僕でも通えるのだ。というか、多くのフィットネスクラブは高校生以上じゃないと会員になれないらしいから、そもそもここ以外に僕が使える近所のジムはない。


「こんにちは」


 ジムの入り口で挨拶すると、カウンターの向こう側で何かの書類を記入していた角刈りの男性が、「やあ」と顔を上げた。


「こんにちは。田中君も、もうすっかり常連だね」

「ありがとうございます」

「どう? 筋トレの成果、出てきた?」

「はい。昨日もコーチに、ちょっとだけ褒められました」

「そいつは良かった。引き続き怪我にも気をつけて、頑張ってね」

「はい、ありがとうございます!」


 にこにこと声をかけてくれるのは、ジムのチーフトレーナーを務める(くさ)()さんだ。三十代後半から四十歳くらいに見えるけど、なんでも現役のボディビルダーだそうで、ユニフォームのポロシャツは、いつも胸や腕の部分がパンパンに張っている。


「じゃあ、今日もよろしくお願いします」


 頭を下げて、僕はまずカウンター脇の体重計に向かった。トレーニング前後に体重を量るだけでも、立派なコンディションのチェックになるからだ。夏場などは汗ですぐに数字が落ちてしまうし、「体内にある水分の2%を失うだけで、スポーツ選手はパフォーマンスが低下するからね」というのは、草木さんだけでなくパイレーツのコーチたちも言っていた。

 というわけで、本日のトレーニング前体重は――。


 四十七キロかあ。う~ん。


 いつも通りだったけど、僕はちょっぴり顔をしかめた。やっぱりもとの体重自体がまだまだ少ない。いかに背が低いとはいえ、五十キロもないと相手に吹っ飛ばされる場面がどうしても多くなるし、特に以前は「マサキは女子並みの軽さだなあ」と、五月コーチにもよく苦笑されたものだ。


 もっと頑張らなきゃ。


 よしっ、とさり気なく頷いて体重計を降りシューズを履き直す。ウォームアップはバイクにしようかな、と思いながら顔を上げたとき。


「おおっ!」


 嬉しそうな声が近くで聞こえた。振り向くと、草木さんと同じポロシャツを着た男性がにこにこ顔で立っている。


「こ、こんにちは」


 知らない顔なので新しいスタッフさんのようだけど、なんだかやたらときらきらした、まるで懐かしい友達に出会ったみたいな目で見つめてくるので、思わず戸惑い気味の挨拶になってしまった。


「やっと会えたなあ」

「へ?」


 本当にそんなことを言い出したので、ついには声が裏返った。どこかで会いましたっけ?


「ああ、いや、ごめん。真面目な中学生がジムの常連さんになりつつあるって、草木さんから聞いてたから」

「はあ」


 男性が目を輝かせるほど喜んでくれたのは、そういう理由からだったらしい。そりゃそうか、とも思う。公共施設とはいえ中学生の常連はたしかにめずらしいだろう。


「俺は、()(なか)オウジ。先週からスタッフとして勤務してるんだ」

「あ、田中将来です。宜しくお願いします」


 同じ名字なんだ、と少し目を丸くしながら僕も自己紹介する。するとカウンターの中から、草木さんが教えてくれた。


「オウジに田中君の話をしたら、同じ名字だし凄く興味を持ってね。是非会いたいって、ここんとこうるさかったんだよ」

「へえ」


 新しいトレーナーさんからそんな風に思ってもらえてたなんて、くすぐったいような気持ちがした。ありふれた姓だけど、たまには役に立つこともあるみたいだ。


「よろしくお願いします、田中さん」

「はは、なんか変な感じだなあ。オウジでいいよ。草木さんたちも名前で呼んでくれるし」

「わかりました。じゃあオウジさん、よろしくお願いします」

「オッケー、任せといて。トレーニングのこと、もっと教えてやるからガッツリ強くなろうぜ」


 笑顔で親指を立ててみせるオウジさんは、草木さん以上に気さくな性格のようだった。年齢は三十歳前後といったところだろうか。こんな感想は怒られるかもしれないけど、ぎりぎり「お兄さん」と言っていいルックスをしている。草木さんみたいなマッチョ系ではないものの、引き締まった身体と少しだけ耳にかかる長さの黒髪。垂れ気味の目はとぼけた印象も受けるけど、形のいい眉と真っ直ぐな鼻筋、細い顎のラインなんかがよく見ると(?)イケメンだ。


 なんか、面白そうなお兄さんだなあ。


 同時になぜか、僕の方も懐かしいような気持ちを覚えた。テレビかネットかは定かじゃないけど、こんな人をやはりどこかで目にしたことがあったかもしれない。

 自然と笑顔を向け合っていると、草木さんが「あっ!」と何かに気づいた声を上げた。


「オウジ、お前、ケツに穴空いてるぞ!」

「は? ケツに穴って、誰でも空いてますよね?」

「そういう意味じゃない! ユニフォームだ、ユニフォーム!」


 見た目の通り、オウジさんは少々すっとぼけたところがあるみたいだ。けれども、さすがに草木さんの言っていることをすぐに理解して、慌てた様子でお尻のあたりに手を伸ばした。


「うわっ! マジだ! なんだこれ? あ、さっきスクワットのお手本見せたときか!?」


 ジム内が空いているのをいいことに、オウジさんはまさにスクワットなどをするためのバーベルやダンベルが置いてある、「フリーウェイトエリア」へあたふたと歩いていった。ジムの奥に設けられたそのエリアは、フォームの確認もできるよう壁の一部が鏡張りになっている。


「うわ! しかも結構でかい穴じゃないですか! 草木さん、俺に支給してくれたユニフォーム、ボロいやつだったんじゃないですか!?」

「……あ。そういえば、袋に昭和って書いてあったかも」

「いつのジャージですか、それ!」


 お尻に手を当てた変な格好のまま抗議するオウジさんと、しれっと答える草木さんのやり取りに、僕以外のお客さんも思わず笑ってしまっている。


 面白そう、じゃなくて本当に面白い人なんだ。


 あっという間に、僕の方もオウジさんに興味を惹かれていた。お尻に穴の空いてる今はさすがに無理だろうけど、今度筋トレのフォームを見てもらおう。


「今は令和ですよ、令和!」


 元号までアピールするオウジさんの声にますます笑いながら、僕はバイクの方へと歩き出した。

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