チョコレート・パニック・ワンス・モア
これは俺が知ったかぶりをして、しくじる話だ。
主にアウトドアとスイーツと女心についてだな。
まずその一、アウトドアなんて鬱陶しいことばかりで大嫌いだ。
わざわざ苦労して火起こしして、素人の焼いた生焼けの肉を食べさせられ、虫に襲われて、フロは入れず、寝心地の悪い寝袋で寝不足になり、ヘトヘトになって起床すればテントの片付けだと。
でもって、近くには格安のビジネスホテルがあって、よく考えたらキャンプ場の使用料金と薪や水道、トイレの使用料合計よりずっと安いんでやんの。
まあ、要するに俺はキャンプ好きなんてものは認めないんだな。あれは例によって可愛い物好きな女の子達がそのギアアイテムのデザインに惹かれてブームにしただけの空っぽなものなのだ。そうだといったらそうなんだ。
でも、キャンプに洋子ちゃんが参加するならそりゃ別だ。キャンプ万歳。アウトドア最高。
俺は会社の課内でキャンプの計画が持ち上がった当初の消極性と、愛しの洋子ちゃんが参加すると決めてからの積極性について、その熱量差をレポートしろって言われたら、マリアナ海溝ビチアス海淵とチョモランマくらいの高低差があると表現するだろうね。
「おーい、澤村。火起こしできたか?」
神室の馬鹿が俺に声をかけた。ちなみにこの男は俺の同期で、馬鹿だという短所があるかわりに、馬鹿だから俺と気が合うという長所を持っている。
今回のキャンプについても企画はフーちゃん、お誘いはこいつだ。そしてフーちゃんについては後ほど説明しよう。
「先ほどからチャッカマンで薪を炙っているが、まだまだ火がつく兆しはないな」
俺が言うと神室が心底俺を馬鹿にしたような顔をした。
「前から思っていたが、お前は本当に馬鹿だなあ。火起こしも出来ずにキャンプに参加して、洋子ちゃんにいいところを見せようとしているとは。ほら、もっとチャッカマンの火を大きくして近いところに」
「あのー」
俺と神室がチャッカマンを取り合う馬鹿現場に声を掛けたのは、他でもない洋子ちゃんだ。
「それじゃあ、火はつかないですよ。こっちの新聞紙をたき付けを使うか、私、着火剤や固形燃料も持ってきてます」
俺は神室の方を見て真面目な顔で言う。
「もちろんです。神室くん、君は駄目だなあ。火起こしも出来ないでキャンプに参加したのかい」
神室が呆れた顔で俺を見返す。
「お前がろくでなしであることは随分前から知っていたが、むしろ清々しいくらいのクズっぷりだ」
洋子ちゃんはクスリと可愛く笑って、さらに続ける。
「それから、これは後からたき火をする薪木なので、BBQは木炭を使ってくださいね」
俺はさわやかに微笑んで礼を言う。
「ありがとうございます。神室くん、BBQは馬鹿馬鹿キュ~の略だ。君のことのようだね」
「澤村、馬鹿はお前だ。早く洋子ちゃんから新聞紙もらって火をつけろ。童貞のくせに」
「何てこと言うんだ、洋子ちゃんの前で。君の心に火をつけるとか、恥ずかしい」
「そっちかい」
洋子ちゃんはポカンと俺と神室のやりとりを聞いていたが大笑いして、新聞紙を俺に手渡してくれた。
「あー、おかしい。お二人、本当に楽しい方たちですね」
俺は立ち去った洋子ちゃんの後ろ姿をうっとりと眺めて、それから神室に言った。
「いやあ、楽しいですね、神室さん」
「…それは何よりだ。だがさっきのやりとりは間違いなく減点対象だったと思うぞ」
「えっ!?本当か?彼女は楽しそうだったじゃないか」
「…だからお前は彼女ができないのだ」
「そこにいるのは洋子ちゃんのお友達のフーちゃんじゃないですか」
「あら、ちゃんと来てくれたのね。キャンプとか好きそうじゃないのにね」
俺はフーちゃんこと山田蕗さんの姿を見つけて声をかけた。彼女は今回のキャンプの提案者であり、俺の同期入社で唯一気楽に『フーちゃん』などと愛称で呼べる女子社員だ。彼女の素晴らしいところはもう一つあり、それは洋子ちゃんと友達であるということだろう。
「いやいや、俺はキャンプ大好き、アウトドア最高という主義なんだ。見直したかい」
「フフフフ、点数をつける対象外だから見直すも何もないわ。でもさっきの洋子さんは楽しそうにみえたわよ」
「やっぱりね。俺もそうじゃないかと」
神室が俺たちの会話を遮り、木炭を持った手を振り回す。
「蕗ちゃん、この馬鹿が洋子ちゃんのハートを射止めるにはどうしたらいいと思う?このままでは面白いけど変態で童貞で人間のクズ、というだけの男で終わってしまうだろう?」
「神室、言い過ぎだ。変態で童貞まではともかく人間のクズはどうなんだ」
「変態と童貞はいいんかい」
フーちゃんがやはり大笑いで俺たちを交互に見た。
「アハハハハハ、うーん、あのね。洋子ちゃん、スモアが好きだって言ってたから夕飯の後に作ってあげたら喜ぶと思うわよ」
俺は力強く頷いた。
「わかった。本当にフーちゃん様は有意義な情報しかもたらさないな」
神室が何か言いたそうに俺の脇をチャッカマンでつつく。
「…おい、澤村」
俺はそれを無視してフーちゃんに礼を言った。
「ありがとう、山田蕗さん。君のことは忘れないよ」
「死んでないわよ。ハハハハ。また後でね」
フーちゃんはさらに大笑いしながら、テントの向こう側に去って行った。
第2の知ったかぶりはスイーツだったな。
「さて、神室くん」
「何だ、澤村くん」
神室は少しだけ言いにくそうに俺を見た。
「お前って、入社早々に蕗さんに告白してたよな」
「あれは歓迎会の席でのゲームのノリというやつだ」
「あの出来事は他の女子社員には大変評判がよくない」
神室の言葉にもちろん心当たりはあった。俺は課の新入社員歓迎会で王様ゲーム催行の際、『8番はこの課の一番お気に入りに告白する』という心ない指名を受け、もっとも話しやすかったフーちゃんに告白したのだ。だが告白が『俺の彼女にしてやるぜい』というような自分が王様になったかのような高飛車なものであったため、何だか他の女の子からドン引きされるという真っ黒な歴史である。
だがすでにあれから3年、そのことを未だに言い出すのは一部の先輩女子社員と、この男だけである。フーちゃんには実は会の後、土下座して謝罪している。もちろん彼女は笑って許してくれたしね。問題ないったら、問題ないのだ。
神室は感心したかのように言う。
「それでもまるで山田さんと何もなかったかのように『フーちゃん』とか、話せるお前をある意味尊敬するよ」
「照れるな」
「…褒めてはいない。まあいい。もうひとつ、次の問題だ」
「アタックチャンスか」
「違うわい。ス、スモアって何だ」
「あれはいいものだ」
神室が嫌な顔をした。
「やっぱりお前知らなかったんだな」
「まだそうは言ってないじゃないか」
「知ってるのか」
「もちろん、まるで、まったく、100%、全然知らない」
神室は呆れて俺をじっと見た。
「何で今、山田さんに聞かなかったんだよ」
「まるで当然であるかのようにサラリとスマートに作って、洋子ちゃんにプレゼントしたいじゃないか」
俺が胸を張ると、神室はグッタリした。
「お前にスマートという言葉は死ぬほど似合わないけれど、それはともかく、もちろん俺もスモアなんて知らんぞ。ちょっと誰かに聞いてきたらどうだ」
「お前は俺の言ったことを聞いてなかったのか」
「お前がスモアとは何なのか全然知らないけれど、今晩スモアを作って捧げ、ついでに童貞も捧げようとしていることか」
「違う。いや、ほぼ当ってるけど違うぞ。サラリとスマートに作って渡す…というところだ、神室」
「…お前がスマートに女子と遣り取り出来るんなら、南氷洋のトドだってライ○ップで痩せるわい。しかし、澤村、スモアっていわれてもな。聞いたこともない」
「お前は流行のアンテナが低いからな。それからトドはライ○ップにはいかないと思うぞ」
神室が木炭をこっちに投げてよこす。
「流行に疎いとか、お前に言われたくないよ。うーん、例えば『鶏肉の香草焼き』とか言われたら鶏肉を何だか焼いて、香草をどうかすればいいって感じじゃないか」
神室がいきなり鶏肉の香草焼きについて解説を始める。
「だが、『スモア』か…何のヒントもないところで、さあ作れって言われてもな」
俺は腕を組む。
「待て、神室。ヒントはいくつかあるぞ」
神室が顔をあげて、新聞紙をひねり始めながら尋ねる。
「どういうことだ」
「まず、フーちゃんは『夕食の後』と言ったろう。つまりこれはデザートである。デザートということは甘いものである!という推理が成り立つ」
「うーん、澤村。恋は人を成長させると言うが、今日のお前は冴えているな」
「フフン、褒めても木炭ぐらいしかあげられないぞ」
俺は木炭を新聞紙の上に積み重ねる。
「そして、次に洋子ちゃんはチョコレート好きだということを聞いたことがある」
「そうだった。お前は筋金入りのストーカーだった」
「人聞きの悪い。ちょっと周囲の友人からいろいろ情報収集して、たまに会社の帰り道に後をつけるくらいだ。誓ってデスク横のゴミ箱を漁ったりはしていない」
「充分ストーカーだ。ホントにゴミ箱漁ってないか?」
「一回だけだ」
「…ホントにやめとけよ」
「冗談だ。本気にするな、神室。で、つまりこのスモアというものはチョコレートを使用したデザートであると、そういうことだ」
「なあ、澤村くん。圧倒的に情報が不足してると思うのは僕だけかね」
「大丈夫だ、神室くん。チョコレートを使ったデザートを作るのであれば、とりあえずマイナスにはなるまい。うまくスモアっぽいものが出来あがったら、俺の株は急上昇、ストップ高だな」
神室がうんざりした顔でチャッカマンの火をつけた。
「ストップ高じゃまずいだろうが。しかしお前のそういうテキトーさが多分、彼女いない歴=年齢につながっているのだろうな」
「それにしても神室、お前は何でこんなに俺の山田さんのハートを射止めろラブラブ大作戦に協力してくれるのだ。お前がこんないい奴だったのは借金を頼むときと課長の大事な書類をシュレッッダーにかけて一緒に謝りにいったときくらいだ」
「気にするな。けっして今度の連休の休日出勤にお前を差し出した罪悪感などないから」
…こいつ課長に俺を売ったな。
さて、俺たちが起こした火で無事にBBQが始まっている。スモアを作るならタイミングはこの辺だろう。俺は取りあえず、先ほど抜けだして買ってきた大量のチョコレートを背後にスタンバイさせた。
「神室、どうしたらいいと思う。いまだノープランだ」
「このままフライパンで焼いてみちゃあどうだ」
「それがスモアでいいのか」
「何だったら『焼きチョコレート』でもいいだろう。この前そういうお菓子もみたぞ」
「焼きチョコってそうやって、ただ鉄板で焼いたらできるのか」
俺は首を傾げる。
「言葉通りなら他にどんなやり方がある。さしあたって板チョコを1枚置いてみよう」
俺はそっと鉄板の端にチョコレートを1枚置いた。
ジュジュジュとチョコがあっという間に溶けて、それからしばらく見ていたら焦げ臭くなった。
フーちゃんがのぞき込んで眼を瞬かせた。
「何やってんの?チョコを焼いてんの?」
俺はモゴモゴと言い訳する。
「焼きチョコを作ろうと…」
フーちゃんは笑いながらも呆れる。
「これは焼きチョコとは言いません。焼きチョコレートは…つまりチョコを多めに入れたクッキーみたいなもんですよ」
俺は胸を張って何故か虚勢を張る。
「もちろん知っていたさ。これはまず鉄板の温度を確認したんだね。これからいよいよスモアを作るのだよ」
神室が「やめとけ」という顔で俺を見ている。愛しの洋子ちゃんがこっちを見た。
「へーっ、スモア。うれしいなあ。さすがは澤村くん」
「さすが澤村」などという実績の無い、そんな空虚な持ち上げを受けてでも洋子ちゃんにはいいところを見せなくてはならない。
「フーちゃん、どうしたら…」
俺がフーちゃんの方を見ると、そこにすでにフーちゃんはいない。せっかく頼りにしてあげたのに、そういう時にいないとは。ガッカリだ。洋子ちゃんと課の何人かの女の子がチラチラと俺の手元を見ている。
「おい、神室。どうするんだ!」
神室はもはや俺に眼をあわせない。こういうのを絶体絶命というのであろう。人は追い込まれると自分でも思いがけない行動に出ることがある。
ソシテそして人生がうまくいくやつはここで奇跡的に見事な正解を出し、残念な非出世組は後ほど思い出したくないような悲惨な失敗をすることになるのだ。そして俺は当然後者であった。
鉄板の隅には炭があった。正確にはかつてチョコレートであったものとその他の食べ物である。あの後俺はそこにあった小麦粉や他のスイーツや果物やあるいは焼きそばまで動員して独自のクッキングを行い、大変ユニークで人間の食べ物としては適さない物体の作成に勤しむこととなった。
神室が必死でカバーしようと余分な手を出したり、口を出したりしたがそれは物体のX化をかえって助長するだけであった。取り返しのつかないところまで作業が進んだ時には、課のほとんどの人間がその鉄板コーナーから離れていた。そしてその時分になってフーちゃんが息を切らしてやってきた。
「ごめん、ごめん。澤村くん、間に合った?」
フーちゃんの手には急いで買いにいったであろうマシュマロがあり、それから鉄板の上の惨状に視線をやり、ため息をついた。
「間に合わなかったか…。もうっ!何で待てないのよ。いや何でスモアなんて知らないって言わないの。それから神室くんも!」
神室がビクッとした。
「は、はいっ!」
「相談するのが嫌なら、何でネットで調べないのよ」
俺と神室は顔を見合わせる。そんな簡単なことをなぜ忘れていたのか。
テントの方で洋子ちゃんを含む課の皆さんが楽しそうにコーヒーを飲みながら話している。俺と神室は黙って鉄板の上の物体Xを見つめた。
フーちゃんはマシュマロの袋を破って、俺と神室の口にひとつずつ押し込み、自分もひとつ口に放り込んだ。
「さて、責任をとってこの鉄板の片付けをやりますか。澤村くん、神室くん、始めますよ!」
「はいっ!」「任せてください!」
だいぶ昔のことを思い出した。入社3年の頃のキャンプの思い出だ。写真を見ると、俺と神室が複雑な顔で写っている。確かチョコレートで大失敗したんだっけな。
ソファでアルバムを見ている俺の背後から妻が声をかけてきた。
「懐かしいわね。あのキャンプね」
「そうだよ、フーちゃん」
「あなたは別の女の子に夢中だったわ」
「そうだっけ?」
「入社すぐに私に告白したくせに」
「いや、アレは…その」
「私は結構、真に受けたのにね」
「…」
「キャンプの後の二度目の告白も覚えてるわよ」
「お願いします。やめてください」
「フフフ。ねえ、スモアって何でスモアって言うか知ってる?」
「そういえば、知らないなあ」
彼女が優しく微笑んだ。
「子供があんまり美味しいんで、お母さんに頼むの。『ワンス・モア』って」
「そうなんだ」
「…ホントはね、あの子の好物なんて知らないわ。私のワンス・モア、あなたの2回目の告白をリクエストしただけ」
これは俺の甘くて、ちょっとほろ苦い思い出の話だ。チョコレートだけにな。
ドタバタで終わろうと思っていたら、いつのまにかホノボノしたエンディングになっていました。楽しんでいただけたら嬉しいです。