96.子どもの嘘
「どうしてを考えたところで、判るはずがないよな」ショーンは深く息をついて頭を振った。「そんなことは、ロンドンに帰ってからアルにでも分析してもらうよ。それよりも」
新たに蘇った記憶を整理しよう、というショーンの提案に僕も頷いて、ちょうど1グループが立ち去って、空きのできたマーケットクロスの台座に腰を据えた。空は澄み渡っているのに気温は低く、ジーンズを通してお尻に敷いた石ひんやりとした感触が伝わってくる。その冷たさに浸食され背筋がぞくりと震えた。僕は手の中のコーヒーを包みこんで啜った。
スペンサーの部屋でお茶を飲んだばかりなのに。もう、夢のなかの出来事のように遠い。
ショーンはああ言うけれど、僕はまだジニーたちがここへ戻ってくるかも、という微かな希望を捨てたわけじゃなかったので、通りを行き交う人たちに目を配りながら彼の話に耳を傾けていた。
「問題は、9歳の俺とジニーがパワーストーンの店を出た後どこへ連れていかれたのか、ということだよな」と、ショーンは苦々しそうな口調で話しを結んだ。
ゲールのお母さんアマンダは、占いが終わったから迎えに来たと言った。けれど、店は閉まっていたし、中には誰もいなかった。
店の前で子どもたちは母親に引き渡された、と考えるのが一番自然なのだが、ショーンはその考えに納得がいかないらしい。そして、そう考えるにはもう一つ課題がある。
ならば、いつジニーは行方知らずになったのか、という問題だ。母親が占いをしている間に、ショーンはジニーを見失ったという歴然とした事実があるのだ。
「何度も言うけど、母親には逢ってないよ。それは間違いないと思う。それに、ジニーがアマンダに手を引かれてゲートを出て、俺は少し後ろからついて行っていた、そんな覚えがあるんだ」
ショーンはぼんやりと遠くを見るような目つきで記憶のひだを探っている。けれどそれ以上は思い出せないらしく、ため息を何度もついては頭を振った。
「今まで信じてた記憶は何なんだろうな? まるきり俺が作り上げた妄想だってことなのか? こんなに鮮明に覚えてるのに——」
「前に話してくれた、きみとジニーがマーケットクロスで待っていた間の記憶のことだよね? ジニーと喧嘩して、彼女が勝手にお店を見に行って、それから」
「黒いローブの奴に攫われた。——それだって、本当にいたかどうか判りゃしない」
吐き捨てるようにショーンは呟いた。
「俺、嘘をついてたんだ。昼飯に渡されたサンドイッチを、ジニーは食べなかった。ぱさぱさでまずいからって。わざと下に落としてさ。俺は怒って叱りつけたよ。それで泣かれてめんどくさくなったから、あそこに戻った。勝手だよな。だけど、来るなって言われてたからさ。中には入りづらくて——」
淡々と話すショーンのまとう空気が重い。自分自身を地獄の底に沈めたいとでも思っているみたいだ。
言いつけを守れなかったから、自分に都合のいい言い訳を作り上げた。ただ叱られるのが怖くて——
そう考えているのがひりひりと伝わってくる。
ジニーが勝手にどこかへ行ったと言うのと、妹のわがままに振り回されるのに我慢できなかった、と言うのと、そこにどれほどの差があるというのだろう? そもそも、それはそんなにも悪いことなのか?
僕にはそうは思えない。
けれど、9歳の彼にとっては、「言われた通りにできなかった」と両親に告げるのは耐え難いことだったのだ。そしてこの小さな嘘のために、ここにいるショーンが自責で心を蝕んでいる。
「だけど——、記憶のくい違いの全てが作られたものなのかな? そのなかには何か、本当のことも含まれてるんじゃないのかな。——僕の憶測にすぎないけれど。以前アルが、」
「アルが?」
「そんなことを言っていたような気がするんだ。全くの作り話に見えても、その中には幾ばくかの真実が含まれている場合がある。だから信じてしまうんだって。他人も、自分自身さえも」
「本当のことがほんの少し混ざってるから、俺自身、嘘だってことを都合よく忘れて、被害者面してのうのうと生きてきたって?」
「そんなこと言ってないだろ!」
思わず声を荒げてしまった。ショーンは被害者面なんてしていないじゃないか。むしろ加害者ででもあるようにずっと自分を責め苛んできたんじゃないか。
「それよりも、きみの記憶のなかの本当を見つけないと。どこかの地点できみとジニーは別々にされ、彼女は帰ってこなかった、これが事実だってことに変わりないだろ!」
ショーンは僕から目を逸らしてぎゅっと目を瞑った。
僕は自分が放った礫の残酷さに気付かなかったのだ。
ショーンは過去と、今、二度もジニーを見失った。その痛みを想像できたはずなのに、僕は落ち込むショーンを鞭打つようなことを言ってしまったのだ。