95.記憶は事実と食い違う
一階に下りて、パワーストーンの店舗を見回してみたがスペンサーはいなかった。表に出てみても、彼も、子どもたちも、すでに姿はない。スペンサーは彼らを見送りに行ったのだ、と勝手に思っていたのだが、いったいどこに行ったのだろう。店をほったらかしでいいのだろうか、と振り返ると、開いていたはずの黒檀のドアは閉まり、「閉店」の札がかかっていた。
彼が僕に何も言わずに消えるなんて――、となんだか腑に落ちない気もしたけれど、この場所自体が消えてなくなった訳ではないのだから、と気に留めなかった。
それからゲールのお母さんの店も覗いてみたけれど、こちらも『休憩中』の札が下がって閉まっている。スペンサーの店に入る前はたくさんいたお客さんも、今は中庭で記念写真を撮っている人がまばらにいるだけだ。この界隈の店はこの時間帯を昼休憩に当てているのかもしれない。
ジニーたちは、マーケットクロスに行く前に遅いお昼を買いに行ったはずだ、とショーンが教えてくれた。
「といっても、パブやカフェはどこもいっぱいだからな、サンドイッチを買って、マーケットクロスの下に座って食ってたってだけだけどな」
ショーンはどこか気恥し気に言った。
「そろそろ行かないとね」
僕は歩き出し、そういえば、と先ほどからもやもやとひっかかっていたことをショーンに尋ねた。
「さっき彼女が来た時、気になったんだけどね、きみたちは、お母さんが占いをしている間、マーケットクロスで待つように言われていたんだよね? でも、ゲールのお母さんは、」
「そうなんだ。多分、あいつが占い師をはしごしてたんじゃないかな? ――それとも違うかな? 俺たちは連れて行けない、てのを、俺が勝手に占いに結びつけていただけかもしれない」
「そうだね」
ショーンのお母さんが子どもたちに、待たせる理由を、きちんと説明したかどうかも疑わしい。見ず知らずの他人の家でお茶をご馳走になっているのを知らされたはずなのに、自分で迎えにこないような人だもの。だけどそれは、スペンサーが彼女を部屋に入れたくなかっただけかもしれないから、彼女の意思かどうかは判らないけれど――
想像していた以上に重いショーンの過去を垣間見たせいで、僕の口もまた重くなっていた。誇り高いショーンに向かって、可哀想だ、なんて口が裂けても言いたくない。けれど口を開けば、それに類する言葉が零れ落ちてしまいそうだ。
ショーンの方も特に何も話さなかった。
ここから目と鼻の先にあるマーケットクロスには、まだジニーたちはいなかった。
どうする? とショーンを見上げると、彼はその場に立ち尽くしたまま、眉を潜めてじっと前方を睨んでいた。
「ショーン?」
「うん、そうだな、とりあえずカフェにでも——」
入りたかったのだが、席はなさそうだ。内も外も人で溢れていて、マーケットクロスの台座に座ってコーヒーを飲んでいる人もたくさんいる。
「これだけ人がいるなら、ここでこうして待っていてもおかしくないよ」
「確かに。でも、そうだな、コーヒーでも買ってくるよ」
うん、と頷く間もなく、ショーンはカフェに入っていった。
その間僕は、ジニーたちを見逃すことのないようにじっとマーケットクロスを見張っていた。だけど、そうしている間も、こんなことをしてどうなるんだろう、というもやもやとした気持ちが晴れなかった。きっと、ジニーに近づけば近づくほど、ショーンは忘れていたはずの過去を思い出し、取り返せない過ちに嘆くことになる、そんな未来に堕ちるような気がしてならなかった。
「コウ、なんだか違う気がするんだ」
背後から声をかけられた。振り向くと、ショーンが両手にカップコーヒーを持ったまま、ぼんやりマーケットクロスを見つめていた。日はまだまだ高く、突き抜ける晴天が眩しい。
「違うって、何が?」
事件の起こる時間を間違って記憶していたのだろうか。これから起こる悲劇を見損なう可能性に、気持ちに反して身体はほっと緊張を解いたみたいだ。
「何もかも」
ショーンは深くため息をついた。
「あの店の二階に行って、きみに逢ったことを思い出したって言っただろ。続きがあるんだ」
「ああ、その後どこに寄り道したか、ってこと?」
「それもだけど、それだけじゃなくて――、」とショーンは続けた。「その前の話だよ。俺たちは、あのエリアに入るあいつらを追いかけてあそこへ行っただろ? ガキの方の俺たちは、入ってすぐに出てったんだよ。それで、ここへ連れてこられて、待ってるように言われた。サンドイッチを渡されてさ」
「え、でもそれじゃ、きみの言っていた時間とタイムラグが、」
「そうだよ。この時間まで待つように言われたんだ、ここで。だけど、待てなかったんだ」
それなら、どこへ――、と尋ねようとしてはっとした。おそらく、ショーンたちはすぐに店に舞い戻ったのだ。お母さんのいるはずの店へ。だけど、占い中のお母さんには会えなくて、中庭で遊んで待っていた、ということなのだろう。そんな彼らを僕たちが見つけた。
「それで、今は、どこにいるの?」
「わからないんだ。アマンダにどこかへ連れていかれた。母親には逢ってない」ショーンはもどかし気に頭を振った。「せっかく見つけたのに、目を離すんじゃなかった。まさか、こんな、これまでずっと信じていたことと食い違うなんて――」
ショーンの記憶を頼りにここまで来たのに、ここからどうすればいいのだ、と僕は眩暈にも似た戸惑いを覚えたけれど、すぐに僕が悩んだって仕方ない、と開き直った。
決めるのはショーンで、僕はとことん彼に付き合うと誓ったのだ。




