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エートス 風の住む丘  作者: 萩尾雅縁
XIII お茶会へのご招待
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93.僕には子どもは難しい

「かまわないよ、食べていいんだぞ」

 ショーンが同意を求めるようにちらっと僕を見た。僕は「えっと――」と口籠ってしまった。

 ここでは何も口にしない方がいい。

 それが正解。だけど、もう口にしてしまっているのに、今さら駄目だなんて言えない。そう、戸惑いつつ頷くしかないじゃないか。

「だいじょうぶだよ。たくさん食べて」

 安心させたくて笑みを作った。だけど内心もやもやして、上手く思考が働かないのが本当。


 ここはどこなんだろう? それがはっきりしないことには不安しかない。


 道筋はパワーストーンの店の二階だった。だけど、あのドアのこちら側は、本当に現実世界なのだろうか。もし、そうじゃなかったら、ここが本当にスペンサーの部屋だとしたら、ショーンたちを、()()()()に踏み込ませてしまったことになる。

 その上、()()()()の食べものを食べてしまったら――、とても、ややこしいことになってしまう。


 僕は一体なにをしているんだろう。普段ならこんな失態は考えられないのに!


 今ごろになって、目の前で、次々とタルトやクッキーを頬ばっているジニーを眺めて唇を噛むしかないなんて。

 どうして庭でスペンサーに会った時、すぐに彼らから離れなかったのか。せめて、彼が子どもたちに声をかけ、お茶に誘った時に止めていれば。そんな常識的な配慮を、なぜできなかったのか。


 自分自身の思考や行動を、何かに制限されているとしか思えない。


 ドラコが僕に干渉しているのか、それとも――


 こんな思考に耽っている間に、スペンサーが戻ってきていた。ジニーの前に、赤い色のジュースを置いている。


「こちらは、クランベリージュースでございますとも。とても甘くて香りのよい、おいしいジュースでございますとも!」

 給仕をするスペンサーはとても丁寧で、ジニーに優しい声音で接してくれている。ジニーは大きい目を見開いて彼をじっと見つめているけど、何も言わない。そろそろと、またクッキーの大皿へ手を伸ばすだけだ。けれど彼は目を細めて嬉しそうに微笑んでいる。

「お嬢ちゃまはお菓子がお好きですとも! 美味しいケーキもございますとも! お嬢ちゃまにぴったりのかわいいケーキをお持ちいたしますとも! 少々お待ちくださいですとも!」


 スペンサーは、いそいそと僕たちにお茶を注いでまわってくれた。僕は小さい方のショーンに、「ジュースの方がいい?」と尋ねたけれど、彼は小さく首を横に振った。


 天井から差しこむ陽射しを浴びて、小さなショーンの赤い毛先がきらきら踊っているように見える。彼の髪は否応なしにドラコを連想させるのに、ここには彼の痕跡はない。

 ドラコでなければ誰が、この子たちと僕を結びつけようとしているのか――

 折をみて、スペンサーを問い詰めないと。


「コウさま、コウさまは、スペンサーめのお淹れしたお茶はお気にめさないですとも!」

 突然、悲痛な声で叫ばれ、ぎょっとして視線をあげた。

 僕がお茶に手をつけないせいで、スペンサーの顔色がどす黒く変わってきている。それだけじゃない、ぷるぷると震える下瞼には、また大粒の涙が溜まって、今にもぽたぽたと落ちてきそうだ。

「ごめん、考え事をしていたんだ」僕は慌ててティーカップを持ち上げた。「それでね、スペンサー、」

「はい、はい、ご用事ですとも! コウさまのご用事ですとも、何でも、いたしますとも!」


 ブルブルッとスペンサーが全身を震わせた。涙がぼたぼたっとジニーの頭の上に落ち、彼女が「きゃー!」と悲鳴を上げた。「うるさい!」と、反射的に小さなショーンが叫んだ。びくっと手をひいたジニーの手がグラスに当たり、カシャンと倒れた。瞬く間にジニーの白いワンピースに濃い赤が染め広がっていく。

「何やってんだよ、ばか!」

 すかさずナプキンを掴むと、小さなショーンは椅子から飛び降りて、拭いているのか叩いているのか判らない乱暴な手つきで、テーブルやジニーの服をゴシゴシとこすった。「っとにもう! 着替えなんてないのに、どうすんだよ、こんなにして!」

「クソガキ」聞こえるか聞こえないかの小声でショーンが呟いた。ジニーにではない、小さな自分に対して眉を潜めているのだ。

「わざとじゃないんだし、そんな言い方はないだろ」と、小さなショーンを軽く諫め、「驚いたんだろ、気にするなよ。誰だって失敗することはあるんだから」と、泣きそうに俯いているジニーの頭を撫でてやっている。小さなショーンは、12年後の彼をきつく睨みつけて、ちっと舌打ちすると視線を伏せた。僕はなんだか叱られた彼が可哀想で、「ありがとう」と言って汚れたナプキンを取り、スペンサーに渡した。

「なにか、彼女に、」

「ございますとも! ご心配ございませんとも! このスペンサーめがすぐにお着替えをお持ちしますとも!」


 言葉の通り彼は飛ぶように部屋をでて、すぐに子ども服をうやうやしく掲げ持って戻ってきた。ショーンがそれを奪うように受け取ると、ジニーを優しく慰めながら濡れた服を着替えさせてやった。その間に、スペンサーは食器を載せたままのテーブルクロスを引き抜き、また被せるという手品のような早業を披露してくれた。


 だがこれで元通り、とはいかなかった。ジニーは席に戻らず自分に優しいショーンの膝におさまり、新しく出してもらったピンクのカップケーキを嬉しそうに頬張った。それはいいのだが、この子、ちらちら兄の方を伺いながら、勝ち誇ったような顔をしているのだ。小さなショーンの方は不機嫌丸出しの顔で妹を睨みつけている。


「ごめん、ちょっと席を外すね。スペンサー、向こうで話そう」

 僕はこの場の空気がなんとも居た堪れなくて。

 スペンサーを呼んで、部屋の隅へと(いざな)った。


 さぁ、話そうとした時、「コウ、誰かきたみたいだ」とショーンに呼ばれた。ノックの音がしたのだ。




  

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