93.僕には子どもは難しい
「かまわないよ、食べていいんだぞ」
ショーンが同意を求めるようにちらっと僕を見た。僕は「えっと――」と口籠ってしまった。
ここでは何も口にしない方がいい。
それが正解。だけど、もう口にしてしまっているのに、今さら駄目だなんて言えない。そう、戸惑いつつ頷くしかないじゃないか。
「だいじょうぶだよ。たくさん食べて」
安心させたくて笑みを作った。だけど内心もやもやして、上手く思考が働かないのが本当。
ここはどこなんだろう? それがはっきりしないことには不安しかない。
道筋はパワーストーンの店の二階だった。だけど、あのドアのこちら側は、本当に現実世界なのだろうか。もし、そうじゃなかったら、ここが本当にスペンサーの部屋だとしたら、ショーンたちを、あちら側に踏み込ませてしまったことになる。
その上、あちら側の食べものを食べてしまったら――、とても、ややこしいことになってしまう。
僕は一体なにをしているんだろう。普段ならこんな失態は考えられないのに!
今ごろになって、目の前で、次々とタルトやクッキーを頬ばっているジニーを眺めて唇を噛むしかないなんて。
どうして庭でスペンサーに会った時、すぐに彼らから離れなかったのか。せめて、彼が子どもたちに声をかけ、お茶に誘った時に止めていれば。そんな常識的な配慮を、なぜできなかったのか。
自分自身の思考や行動を、何かに制限されているとしか思えない。
ドラコが僕に干渉しているのか、それとも――
こんな思考に耽っている間に、スペンサーが戻ってきていた。ジニーの前に、赤い色のジュースを置いている。
「こちらは、クランベリージュースでございますとも。とても甘くて香りのよい、おいしいジュースでございますとも!」
給仕をするスペンサーはとても丁寧で、ジニーに優しい声音で接してくれている。ジニーは大きい目を見開いて彼をじっと見つめているけど、何も言わない。そろそろと、またクッキーの大皿へ手を伸ばすだけだ。けれど彼は目を細めて嬉しそうに微笑んでいる。
「お嬢ちゃまはお菓子がお好きですとも! 美味しいケーキもございますとも! お嬢ちゃまにぴったりのかわいいケーキをお持ちいたしますとも! 少々お待ちくださいですとも!」
スペンサーは、いそいそと僕たちにお茶を注いでまわってくれた。僕は小さい方のショーンに、「ジュースの方がいい?」と尋ねたけれど、彼は小さく首を横に振った。
天井から差しこむ陽射しを浴びて、小さなショーンの赤い毛先がきらきら踊っているように見える。彼の髪は否応なしにドラコを連想させるのに、ここには彼の痕跡はない。
ドラコでなければ誰が、この子たちと僕を結びつけようとしているのか――
折をみて、スペンサーを問い詰めないと。
「コウさま、コウさまは、スペンサーめのお淹れしたお茶はお気にめさないですとも!」
突然、悲痛な声で叫ばれ、ぎょっとして視線をあげた。
僕がお茶に手をつけないせいで、スペンサーの顔色がどす黒く変わってきている。それだけじゃない、ぷるぷると震える下瞼には、また大粒の涙が溜まって、今にもぽたぽたと落ちてきそうだ。
「ごめん、考え事をしていたんだ」僕は慌ててティーカップを持ち上げた。「それでね、スペンサー、」
「はい、はい、ご用事ですとも! コウさまのご用事ですとも、何でも、いたしますとも!」
ブルブルッとスペンサーが全身を震わせた。涙がぼたぼたっとジニーの頭の上に落ち、彼女が「きゃー!」と悲鳴を上げた。「うるさい!」と、反射的に小さなショーンが叫んだ。びくっと手をひいたジニーの手がグラスに当たり、カシャンと倒れた。瞬く間にジニーの白いワンピースに濃い赤が染め広がっていく。
「何やってんだよ、ばか!」
すかさずナプキンを掴むと、小さなショーンは椅子から飛び降りて、拭いているのか叩いているのか判らない乱暴な手つきで、テーブルやジニーの服をゴシゴシとこすった。「っとにもう! 着替えなんてないのに、どうすんだよ、こんなにして!」
「クソガキ」聞こえるか聞こえないかの小声でショーンが呟いた。ジニーにではない、小さな自分に対して眉を潜めているのだ。
「わざとじゃないんだし、そんな言い方はないだろ」と、小さなショーンを軽く諫め、「驚いたんだろ、気にするなよ。誰だって失敗することはあるんだから」と、泣きそうに俯いているジニーの頭を撫でてやっている。小さなショーンは、12年後の彼をきつく睨みつけて、ちっと舌打ちすると視線を伏せた。僕はなんだか叱られた彼が可哀想で、「ありがとう」と言って汚れたナプキンを取り、スペンサーに渡した。
「なにか、彼女に、」
「ございますとも! ご心配ございませんとも! このスペンサーめがすぐにお着替えをお持ちしますとも!」
言葉の通り彼は飛ぶように部屋をでて、すぐに子ども服をうやうやしく掲げ持って戻ってきた。ショーンがそれを奪うように受け取ると、ジニーを優しく慰めながら濡れた服を着替えさせてやった。その間に、スペンサーは食器を載せたままのテーブルクロスを引き抜き、また被せるという手品のような早業を披露してくれた。
だがこれで元通り、とはいかなかった。ジニーは席に戻らず自分に優しいショーンの膝におさまり、新しく出してもらったピンクのカップケーキを嬉しそうに頬張った。それはいいのだが、この子、ちらちら兄の方を伺いながら、勝ち誇ったような顔をしているのだ。小さなショーンの方は不機嫌丸出しの顔で妹を睨みつけている。
「ごめん、ちょっと席を外すね。スペンサー、向こうで話そう」
僕はこの場の空気がなんとも居た堪れなくて。
スペンサーを呼んで、部屋の隅へと誘った。
さぁ、話そうとした時、「コウ、誰かきたみたいだ」とショーンに呼ばれた。ノックの音がしたのだ。




