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エートス 風の住む丘  作者: 萩尾雅縁
Ⅻ きみのための道
92/99

91.石の庭で

 ゆらりと傾いで道路に飛び出そうとしたショーンの腕を慌てて引き掴んだ。鼻先を車が走りすぎて行く。

「あそこは袋小路だよ。見失うことはないから」

 そう口走りながらも、僕は眉間にぎゅっと深い皺を刻み、彼らの消えたゲートを睨みつけた。


 これからショーンのお母さんは占いに行く。その占いの店が、ゲールのお母さんの店かもしれないなんて――


 車の流れが途切れるのを見計らって道路を渡った。このゲートの中にある店は、本屋とパワーストーンの店、カフェ、それにゲールのお母さんの店だ。他の店でも占いをしているかどうかは判らないけれど、十中八九間違いないんじゃないだろうか。

 

 足早に進むショーンの気持ちを(おもんばか)りながらその背中を見つめていると、くるりと振り返った彼と目が合った。

「覚えてないんだよ。ここへ来たかどうかなんて、まるで記憶にないんだ」自分を下げずむような苦笑を浮かべている彼を見ていると、僕まで苦しくなる。

「それだけ辛い記憶だったんだよ」


 アルがそう言っていた。トラウマになるような大きな事件に遭遇した時、人はその記憶に関連することが曖昧になったり、記憶そのものを無くしたり、自分が受け入れやすいように改竄(かいざん)してしまったりする、って。それは普通な、よくあることなのだと。


「そうかな、逃げてただけだ。ここに来るまで思い出そうともしなかった。忘れてたんだよ、ずっと」

 独り言のように呟きながら、ショーンの瞳はあちこち忙しなく動いていた。このゲートをくぐっていった幼い日の自分とジニー、それに彼のお母さんを探しているのだ。時間帯もあるのだろうが、ほんのついさっきここへ来た時にも増して賑わっている。カメラを首から下げた観光客、いかにもニューエイジっぽいくだけた服装のカップル、()()怪しげなローブ姿の誰かも屋外テーブルに陣取ってお茶を飲んでいる。

 いくら混みあっているといっても、この中庭はさして広くはない。すぐに見つかるはずと思ったのだが、子連れのそれらしい姿はなかった。

「いた。向こうだ」

 ショーンに肩を叩かれ、人混みをぬってこの中庭のさらに奥にあるゲートをもう一つくぐった。


 昔ながらの石塀を白いモルタルで塗り固めたトンネルに、色とりどりの石が散りばめられている。そこから見えるパワーストーンの店自体も、窓枠までも白く塗り固められている。地面や壁に塗り込められた瑪瑙(めのう)の欠片が古木の年輪のような渦を巻き、壁一面にレリーフされたトリスケルに心がざわざわする。なんだか妖精でも住んでいそうな――

「まさかね……」

 店の横に置かれた、ドラゴンというよりも東洋の龍のような銅像を仰ぎ見て呟いた。

 このまま踵を返してしまいたい。


「コウ」とん、と軽く腕を小突かれて、はっと気を引き締めた。ショーンの見ている方を見やると、子どもが二人、石積みの花壇になっている一角で遊んでいた。

 その子が幼いショーンだと、すぐには判らなかった。

 淡い金髪というよりも、ゲールの髪に近いような赤みがかった髪。そばかす。背も今のように高くないのは当たり前にしても、9歳という年齢よりももっと幼く見える。6歳のゲールと同い年だと言われたら、信じてしまうだろう。苦虫を嚙み潰したような不機嫌な表情をしていなければ、どことなく顔立ちはゲールに似ている。それとも、僕があまり子どもと接することがないから、類似点を探してしまうのだろうか。


 ついしげしげと見入っていると、ちっと舌打ちされてそっぽを向かれた。おまけに、僕には聞こえないように悪態をつかれてる。

「ごめん」と、ショーンに謝ろうとしたら、先に言われてしまった。

「ほんとに嫌なクソガキだったんだよ、俺は」

 肩をすぼめてククッとショーンは笑いを堪えている。

「ずいぶん機嫌が悪そうだね。僕のせいかな?」

 ほとんど衝動的に、たっと幼いショーンに駆け寄った。


「不躾に見てしまって、ごめんね。きみが友だちに似ていたから驚いてしまって」

 話しかけているのに、小さなショーンはちらっと僕を見ただけで知らんぷりだ。

「怒らせてしまったかな、これ、お詫びにあげるよ」

「なに、なに?」と駆け寄ってきたのは、彼ではなくて、彼の妹のジニーの方だ。僕たちから少し離れた花壇の縁を平均台を歩くようによろよろと歩いていたのをやめて、飛んできたのだ。


 僕は無意識に、この大柄のカラフルな花のワンピースを着た小さな背中から、目を逸らしていたのだと思う。

 いきなり視界に飛び込んできた彼女に今さらながら驚いて、息が止まった。


 綺麗なストロベリーブロンドは、()()ゲールと同じ色だ。きらきらした大きな瞳の目だつ愛くるしい顔立ちで、頬をピンクに染めている。そばかすだらけの肌は、ショーンと同じ。子どもってそんなものなのだろうか。これまでまじまじと見ることもなかったから――


 また、じっと見つめてしまって。

 そんなつもりなんてなかったのに、涙が勝手に溢れてきた。


 僕はどうしてここにいるんだろう?

 この子を救うことはできないって、知っているのに。


 

 

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