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エートス 風の住む丘  作者: 萩尾雅縁
Ⅻ きみのための道
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89.長い一日

 カフェを出ると、足は自然とゲールの住む家の方へと向かった。どちらからということもなくゲートをくぐり、店の並ぶ中庭に入った。これまでに来た時とは違い、お客さんと思しき人がたくさんいる。そこかしこで写真を撮ったり、ベンチでくつろいでいたり。ゲールの店のドアも大きく開け放たれ、そこから垣間見える店内も賑わっている。


「残りの代金を取りに来て、って言われたけど、後にしようか。忙しそうだもんな」

 ショーンは優しそうに目を細めてそう言った。

「その方が良さそうだね」と僕も頷いた。ゲールの店がお客さんでいっぱいなのが、自分のことのように嬉しかった。ショーンの指輪を高額で買ってくれたくらいだから、経済的に困っているのではないことは、なんとなく察しがついていたけれど。こうして自分の目で見るのは、やはり安心する。

「ゲールのヤツいるかな?」

 ショーンが閉じられたままの二階の窓を見つめて呟いた。

「学校じゃないの?」

 昨日、休みだって言っていた。

「今日は日曜日だよ。昨日、朝の内に来るって言ってたのを、すっかり忘れてたんだ。すれ違いになったかもしれない」

 しまったな、と軽く眉をしかめている。

「お母さんに聞いてみる?」

 まだお昼どきと言っていい時間だ。家にいるかもしれない。

「アマンダもいない」

 開け放たれたドアから正面に見えるカウンターにいるのは、確かに昨日の朝見かけた女性とは違う。もっと年配で、ゲールのお祖母さんといっていいくらいの年齢だろう。面識のない相手に、小さな子どもの所在を尋ねるのは躊躇するところだ。

「ま、仕方ないな」

 ショーンは、口をへの字にして、僕に肩をすくめてみせた。だから僕も、ここで小さいゲールに逢うのは諦めて踵を返した。


 僕はここで、もっと注意を払うべきだった。昨日とはどこか異なっている、そんな違和感に気づくべきだったのだ。周囲の観光客の浮かれた様子、華やいだ雰囲気、降りそそぐ陽の光。跳ね躍る梢の緑。浮かれているのは人間だけじゃない、ということに。



 それからしばらく、ショーンと連れだって通りをぶらぶら歩いていた。「ここにはどうやって来たの? バス、車?」と、何気なく浮かんだことを口にして。

「車。レンタカーだったんじゃないかな」

 いちいち言わなくても、彼は12年前の話だと察して返事をくれる。

「きみが歩いた道を辿れるかな?」

「さすがに覚えてないよ」ショーンが苦笑して言った。「思い出せるのは、断片的なことだけなんだ」

「そうか、そうだよね」


 ショーンはどこで、どこから介入するつもりだろう? そんな欠片でしかない記憶のなかで、確かな場所、時間は限られている。マーケットクロスのあの場所しかない。解っているのに――

 それを聴いて、僕はどうする? 


「なぁ、コウ」

 神妙な顔つきで、ショーンが急に立ち止まった。僕は、ん? っと小首を傾げた。

「きみは、運命は変えられない、って言ってただろ。だから、過去に介入するべきじゃない、って。それなのに、どうして急に意見を変えたんだ?」

「それは――」

 言葉に詰まってしまった。正直に話すとショーンを傷つけてしまいそうで。だけど、彼にしてみれば、ころころと意見を変える僕では頼りないかもしれない。

「介入してもジニーの運命は変えられないんだ。だから、きみは今以上に傷つくことになるかもしれない。だけど、きみがそれで納得できるなら、その過程は、きみには必要なのかもしれないって、思い直したんだ」

「どうしてそう言い切れるんだ?」

 険しい視線と、固い声音が返ってきた。


 だって僕は、試みてきたから。


「何度も試みて、どうにもならなかった過去を、見たことがあるんだ」

「前にもこんな経験を? いつ? きみにも変えたい過去があったのかい?」

 彼が息を呑む音がした。

 そこからの矢継ぎ早の質問に、頬が引きつって応えられなかった。吸い込む空気が上手く気道を降りてきてくれない。ヒュッと変な音を立てて喉がひくつき肩があがる。

「ごめん、落ち着いてくれ、コウ」

 ぎゅっと両肩を掴まれた。

 だけど、僕の肩を支えにして落ち着こうと深呼吸しているのはショーンの方だった。彼の背に手を回して、ぽんぽん叩いた。この状況に緊張しているのも、追い詰められているのもショーンの方なのだ。僕が潰れている場合じゃない。


「この夏、僕が目覚めなかった間のことなんだ」

 ショーンはもう知っている。だから、この話をしてもいいはずだ。アルには言わないで欲しい、とそれだけ約束してくれれば。

「僕は、現実で流れるよりもずっと長い時間を、()()()()で過ごしていたんだ」

 人の流れの邪魔にならないように脇に寄り、赤煉瓦(れんが)の壁に背をもたせかけた。ショーンは黙ったまま僕を見つめていた。





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