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エートス 風の住む丘  作者: 萩尾雅縁
Ⅱ 風の使い手
9/99

8.風の連れてきた彼

 どうしたんだろう――。

 ここ最近、風が騒がしい。



 僕がこの国に来て最初に認識を改めたこと。それは巷でよく聞く「雨と蝙蝠傘(こうもりかさ)の国イギリス」というイメージだった。あるいは逆の、イギリス人は傘をささないという都市伝説か。

 たしかに雨はよく降っている気がする。だけどロンドンの年間降雨量は東京よりも少ない。ざっと降ってすぐに止む通り雨が多いのだ。けれど、

 日常的に吹きすさぶあまりの強風。

 これがために、通り雨と判っていても、折りたたみ傘なんかでは太刀打ちできないときがある。そうなると、濡れていくか、頑強な蝙蝠傘を持ち歩くしかない。

 まさかいつも雨空のイギリスというイメージを決定づけていたのが、雨ではなく風だったとは、日本にいる時は想像もできなかった。知っていたら、「軽くてコンパクト」という(うた)い文句にのせられて、日本製折りたたみ傘をわざわざ新調してまで持ってきたりはしなかった。だけど、軽いイコール華奢だなんて普通は思わないだろ。

 開いたとたんに吹き飛ばされ、骨が折れて使い物にならなくなってしまった傘を握る虚しさといったら、言葉もでなかった。どんなに日本製品が優れているとしても、この強風を想定して作られているわけではないのだ。



 今日の講義を終えてキャンパスのガラス戸をくぐるなり吹きつけた強風に、つい背中を丸めて足が止まった。

 一年半も前の記憶をまざまざと思いだしたのは、きっと、この風のせいだ。

 そのまま数分間、なんとなく通りを眺めていた。雨が降っているわけでもないのに、わずか数段の階段を下り、舗道へ踏みだす気になれなかった。図書館へ寄るかこのまま家に戻るか迷ってはいたけれど、そんなことでじゃない。いくら風が強いからって、こんな――。


 なにか、おかしい。


 無意識に眉間に皺が寄っていた。

 頬を(なぶ)る風は、ペシペシと叩いて僕の注意を促しているみたいだ。それに緩やかに引き留めるように脚に絡みついてくる。

 まさか、シルフィの悪戯(いたずら)

 いや、生まれたての頃とは違う。今の彼女は穏やかで優しい子だ。そんな真似をするはずがない。サラじゃあるまいし。


 考えすぎだと結論付けて頭を振った。少しは風避けになるかな、と上着のポケットに突っ込んでいたキャップを取り出し、飛ばされないように目深に被る。


 それからようやく、階段へ踏みだそうとした時――、


「やっと会えたね、アキラ・ヒラサカ!」と、素っ頓狂な声に呼び止められた。準備コースでいっしょだった誰かだと思い、無防備に振り返る。


 印象的なピンクの髪。例のカフェが脳裏を過った。

 常春――? 

 そんな失礼極まりない語句を伴って。


 だって、なんだかキラキラしてるんだ。空色の瞳は真夏の空みたいに輝いてるし、薄いベージュのジャケットに白シャツ、黒のスキニージーンズって至って普通な組み合わせなのに、あか抜けていて。


「俺のこと、覚えてない? グラストンベリーでさ、逢ってるんだけど」


 グラストンベリー?


「あ、それ、ずっと持っていてくれてるじゃん! 嬉しいよ、ありがとう!」


 空色の瞳がぐっと大きくなって、本当に嬉しそうに僕を見ている。僕のこめかみの辺りを。


「あ、テントウ虫をくれた――、そうか、きみもキングス志望だって言ってたものね!」


 ようやくこの見知らぬ誰かに、(おぼろ)げな見当がついた。ピンブローチをくれた子だ。怪しげな物がたくさん並んでいたオカルトショップの店員さん。アルビーのお土産を買う時少し雑談して、同じカレッジに通うかもしれない、とそんな話をした気がする。


「また逢えるかなって思ってたからさ、よろしく!」


 はにかんだ笑顔で、右手が差しだされている。「こちらこそ」と、少し戸惑いを感じながら握り返した。旅先で逢った人に偶然再会するって、なんだかどきどきする。別に、同じ大学に行くって聞いてたんだから不思議でもなんでもないのだけど――。


「俺、ゲール、ゲール・マイスター」

 

 はっとした。彼の名前をきいてようやく合点がいった。そうか、今日の強風は、この彼を歓迎してのことなのか。


 この、大風の(ゲール・)使い手(マイスター)を――。




 



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