83.夢で逢いたい
「カニングフォークの重要な役割りってのはな、依頼人に呪いをかけた黒魔女を特定することなんだよ」ショーンがしたり顔をして言った。「ヴィーはきみに、ゲールに憑りついている黒魔女は誰かなのか見つけだしてほしいんじゃないか、と俺は思うんだ」
「魔女の死霊も、名前が判れば退けられる悪い妖精と同じってことなのかな?」
さすがに納得できなくて、僕は眉を潜めてしまった。ショーンにしてもそこに自信があるわけでもないらしく、「う~ん」と唸りながら頭をぽりぽり掻いている。
「退けるって点では、俺も確信は持てないよ。悪霊だって、もとは人間だろ? どこのどいつかさえ判れば、対処の仕様もあるんじゃないか?」
「交渉するとっかかりはできる――」
なんだか雲を掴むような話だ。ショーンにしろ、口にはしたものも、あまりに現実味のない内容だということは判かっているのだろう。口をへの字に曲げて肩を竦めている。
相手に心当たりはあるのか、ゲールにもっと詳しく聴いておけばよかった。後悔先に絶たず、だ。
おもむろにクリスプスに手を伸ばし、パリパリと齧った。「ビネガー味だね、美味しい」ずいぶん長いことスナックを食べていない気がする。酸味と塩辛さが癖になる。お腹が空いているわけじゃないのに、手が止まらない。
「アルの家じゃ食わないもんな。たまにはいいだろ?」
ショーンが誇らしげに、にっと笑った。
そういえば、マリーのためにおやつを手作りしていたせいか、市販菓子を買うことがなかった。アルはあまり間食しないし、僕は——
ついぼんやりしてしまったことに気がついて、ショーンを見やると、彼もまた難しい顔をして宙を睨んでいた。だけど僕の視線に気づくと笑って「お茶を淹れようか」と用意を始めた。
クリスプスの袋はいつの間にか空になっていた。
「ちびゲールから差し入れでもらったんだ」
ティーバッグの入ったティン缶は土産物だろうか。赤いロンドンバスの形をしている。中のティーバッグは、スーパーで買えるヨークシャーティーだから、家にあるお茶を小分けしてくれたのだろう。
胸がざわざわする。いきなりロンドンが、アルが恋しくなった。
先に少しでも話ができてよかった。だけどきっと電話が繋がらなくなって、アルが心配している。
「ほら、できたぞ」
ほわりと立ち昇った湯気の向こうに、ぼわりとゲールが見えた。僕に向かって何か叫んでいる。
「ゲール!」
思わず僕も彼を呼んだ。彼の声は何も聞こえないのに。
「絶対に迎えに行くから! 助けるから! 待っていて!」
せめて、僕の声は彼に届きますように――
「コウ」
「ゲールが見えたんだ、湯気の向こうに」
きゅっと唇を噛んだ。もう、ゲールを闇雲に探しているわけではないのだ。彼の居場所ははっきりしているのに。僕はいつまでこんなふうにだらだらしているんだ!
「ヴィーと交渉しよう。悪霊祓いを引き受けるって。それで、ゲールのいる場所にまで連れていってもらおう。きみの言う通り、相手を知らないことには何もできない」
「まずは情報収集からだな」
ショーンも深く頷いてくれた。
その夜、僕はロンドンバスに乗っている夢を見た。二階座席の一番前に座って、ジェットコースターみたいにすごいスピードで、ロンドンの街並みが流れていくのを見つめていた。その景色のなかにアルを探していたのだ。道行く人たちのなかに彼がいないかと、黒髪の、長身の、後ろ姿さえもが完璧に綺麗な彼を――
その夢があまりに苦しくて、夜中に目が覚めた。馴染みのない部屋。うず高く積まれた箱類。崩れ落ちてきそうな家具。薄闇に浮かぶここがどこなのか実感できるまでしばらくかかった。何も変わっていないと腑に落ちると逆にほっとした。
こうしてベッドの上で眠ることができて気が緩んだのだろうか。ここが12年前なら――、とアルのことを極力考えないようにしていたから、こんな夢を見てしまったのだろうか。
今、僕がいる時間軸は、アルが一番辛い思いをしていた頃なんじゃないのか、と考えだすと止まらなくなる。
彼は13歳、中学校に入学して、初めてお父さんと対面した年のはず……
未だに解決したとは言えないアルとお父さんの関係から、僕は目を逸らし続けている。それはアルが大人だからで、彼自身が望んでいることだからだ。
だけど、今この時間に存在しているはずのアルは子どもなのだ。自分で抱えきれないくらいに混乱しているに違いないし、傷ついた心を持て余しているのに違いなくて。
抱きしめてあげたい。大丈夫だよ、と言ってあげたい。
本当に何もかも投げ出してきみのもとへ駆けつけたいのに、ここで過去を変えてしまったら、戻ったときに、僕はきみと出会えなくなっているかもしれない、そんな運命を歪める恐怖が先に立って動けない。心だけが逸る一方で——
夢のなかで見たロンドンは、僕の知っている街なのか、それともここの時間軸なのか判らなかった。僕が探していたのはアルなのか、それとも12年前の、辛い思いを一人で耐えていた少年だったのか。それさえもはっきりと判らない。
「喉が渇いた」
回り続ける思考を止めたくて、声に出して呟いた。確か、お茶を淹れてもらった時の水が残っていたはず。窓から入る街灯の灯りを頼りに室内を見回した。ペットボトルの水とカップはすぐに判別できたけれど、その近くの床で寝ていたはずのショーンの姿はそこになかった。




