80.ここであって、ここでない場所
「きみはこんなに小さな頃から、僕の知っているゲールと同じゲール・マイスターなんだね」
この真摯な瞳に嘘はつけない。正直な気持ちが口についてしまった。
「どういう意味?」
「僕は違うからさ」
つい苦笑を浮かべてしまった僕を、彼は不思議そうに見つめている。
「もし立場が逆だったら、18歳のゲールが6歳の僕に逢ったとしたら――、彼は僕を僕だと判らないと思う」
「僕は18になっても僕だけど、6歳のコウはあなたにならないの?」
「正しくは、6歳の頃の僕が僕とはいえない。本当の僕は、これくらいの小さな瓶のなかに封印されていたからね」
ゲールがびっくり眼で小首を傾げている。解らないだろうな。
「ほら、早く行かないと。ショーンが待ってるんだろ? とにかく、あの指輪は僕のじゃないよ。彼が正当に譲り受けたものだから、心配いらない」
「本当にもらっていいんだね?」
意外に疑り深いんだな。
「ショーンはいいって言ったんだろ?」僕はにっこり笑って頷いた。
あの程度の魔力で色めき立つなんて、やっぱり子どもなんだ――
魔力、などというほどのものでもない。あの指輪に染みついているのは、それまでの持ち主の底知れない欲望の残滓。その貪欲さが人の何かを刺激する。
ショーンの場合は、それがいい具合に彼の向上心や探究心、集中力を刺激していた。だから僕は、ショーンと相性がいい、手放すのは惜しいのに、と残念に思った。けれど人によっては――
「願わくば、あれに引きずられない人に持っていてほしいかな。それがきみなら安心だ」
「僕がもらうわけじゃ……」
すごく残念そうに唇をすぼめて、ゲールはすっと顔を伏せた。けれどそのままリュックを担ぐと、「それじゃ、行ってくるね!」とまた笑顔になってドタドタと出て行った。賑やかだな、子どもって。動作のひとつひとつが姦しい。
「もういいだろ?」
階下のドアが確実に閉まるを待ってから、僕はようやく声を発した。
すーっと、空気が凝固するように集まり、色づき、ヴィーになる。早速、僕のいるベッドの上で、ボーン、ボーンと跳ね飛んでいる。
「止めろよ。反動で気分が悪くなる」頭を抑えて、ヴィーを睨みつけた。
「それは失礼をば致し申したな、火の依代よ」
ヴィーは空中でくるりと一回転して、そこに留まった。
「それで、僕の探している方のゲールはどこにいるの?」
「安全なところに隠しておる」
「安全な――?」
それって、それほどまでに危険が迫っているから?
意外な返答に僕は少し戸惑ってしまった。シルフィやドラコの悪戯程度にしか考えていなかったのだ。まさか、ゲール側の理由だなんて思いもよらなかった。
「お前さんが申し出を断ったからじゃ」
畳みかけてきた。
そうくるんじゃないか、って気がしたのだ。やっぱり、こっちの意思なんてお構いなしで。
僕は盛大なため息をついた。
ヴィーと、それからゲールと交わした会話を思い出そうと目まぐるしく記憶を漁る。洗濯機を覗きこんで渦巻く中から、必要な一つ、二つを見つけだして取り出すなんて瞬時にできることじゃない。だけどただ一つ確信できるのは、僕は彼らとの会話をしくじったのだ、ということ。
『助力を惜しまない』確か、僕はゲールにそう言った。だから、こんなところに連れてこられた。
『ここに住まない? ここには悪霊は入ってこれないから』そんな提案もした。
断片的に浮かんできた記憶から「じゃあ、ゲールは今もあのアパートメントにいるってこと?」と問い質した。
「そこであって、そこでない場所におる」ヴィーが髯をしごきながら応えた。「あそこには、ほれ、ドアがあるからの」
僕らだって、そのドアを通り、今ここにいる。ゲールは確かにいたけれど、僕らの探している彼とは違う。彼であって彼ではない。
「つまり、ゲールは今、安全な場所にいて、きみは万聖節が終わるまで彼をそこに匿っておくつもりなの?」
「それはお前さん次第じゃの」
ヴぃーはふわりと飛び立って、床の上に降りた。そこでまたぴょんぴょん飛び跳ねている。落ち着かない。もしかして、緊張しているのだろうか?
すっと、今まで力んでいた心が緩むような気がした。ヴィーはヴィーなりに、ゲールのことを本気で心配しているのだ。そのために僕の想いを無視してしまうけれど。それは僕にとって腹立たしいことだけど、僕は今、少しだけヴィーにほだされてきている。
いつも自己中心的で自分勝手な妖精たちが、人のためにこんなに一生懸命なんだもの。だけど——
「これだけは言っておくけどね、ゲールと僕が結びつくのは無しだよ。僕はもう四大精霊の名においてアルと誓約を立てているからね」
ちっ、と舌打ちの音がもこもこした白髭の下から聞こえたような。だけど老獪な彼のことだから、それ以上露骨な態度を示すことはなかった。ただ、ぴょんぴょん跳ねるスピードが上がったくらいで。
「それで、きみは僕に何をさせたいの?」慎重に尋ねてみた。
僕はここまでの間、ヴィーにやられっぱなしなのだ。
ショーンまで巻き込んで——