78.未来への影響なんて判らないよ
しんと静まり返ったなかで、小さな子どもの大きな瞳にじっと見つめられるのは居心地が悪かった。それでも、僕の方からこの沈黙を破ってまで下手なことを言いたくはなかった。ヴィーがなぜ彼をここに連れてきたのかも判らないのだ。
僕は問いかけの思いを込めて、ゲールからヴィーへと視線を流した。だけど、彼は長い白髭をただしごくだけで、僕の視線を受けとめたかどうかさえ判らなかった。
沈黙に耐えかねたのか「俺たちは——」と、ショーンが口ごもりながら塔の内側へと踏みだした。思わず彼の腕を掴んで止めた。ショーンがびっくり眼で僕を見る。
「大丈夫! あなたたちのことはヴィーから聞いてる。未来から来た僕の友達でしょ?」小さなゲールがボールが跳ね返るように反応した。彼は、僕がなぜショーンを止めたのか気づいたのだろうか。ショーンが僕を見つめている。了承を求めているのだと思う。仕方なく頷いた。彼の足はもう、境界を越えていたから。
「こいつがコウで、俺はショーンだ。よろしく、ゲール」
現実の——、僕たちの知っているゲールの過去に直接関わるなんて、この出逢いがどんな未来をもたらすことになるのか判らないのに。
読み切れない未来に躊躇して動けなくなった僕を、「よろしく、コウ!」とひときわ大きく響く幼い声が呼ぶ。
この子と僕たちを分ける線、塔の内側に長く伸びるアーチ形の入り口の影の中に僕たちはいた。対して彼は光の中だ。このままこの影を超えないことが僕には正しい選択に思えていたのだ。だけどもう、ショーンは超えてしまっている。こうなると選択肢はなくなったも同然だ。
自分で決めなくちゃいけないのは解かっている。だけど、ここにいる子どもが、12年後のゲールを見つけるのにどう役立つのかくらい、先に教えてくれたっていいじゃないか!
と、睨みつけたところで、ヴィーは相変わらずの知らんぷりだ。
僕たちは未来への影響を最小限に抑えて、動かなければならないのに……
そんな戸惑いばかりが頭の中を回っていた。
それでも、こんな純粋そうな子どもをいつまでも無視するわけにはいかないだろ。
観念して「こんにちは、ゲール。よろしく」と僕も笑顔を作った。ちょっと、わざとらしかったかも。だけどそんなこと、ゲールは気にしないみたいだ。にっこりと子どもらしい、ちょっと照れたような笑みを返してくれた。
「それじゃ、行こう」
「行くってどこに?」
「秘密基地。そこで作戦会議だよ」
尋ねたショーンと僕は顔を見合わせた。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」と、突然笑い声が響いた。「歓迎しますぞ、火の依代とそのご友人よ!」もこもこの白髭が言葉に揺らされ横に跳ねている。
歓迎って――、怪しすぎる!
思わず眉間に皺を寄せてしまった。
「そんな顔をするものじゃないぞ、子どもの前で――」突然、声が耳を掠めた。「さぁ、さぁ、さぁ――」声が石壁に反響する。「さぁ、さぁ――」
頭の中で、ヴィーの声が破鐘のようにぐぁんぐぁん響いていた。
「コウ、大丈夫、コウ!」
心配そうなゲールの声が聞こえた。腕を掴まれ揺すぶられている。
そういえば、彼は僕の心配ばかりしてくれていた。自分だって、すごく大変な目にあってるっていうのに。だから僕は彼の助けになりたいと――
ぎゅっと瞑っていた目を開けた。
「よかった」ほっとしたようなゲールの顔いっぱいに広がるそばかすが、前より濃くなっている。それに、ずっと幼いような――
ああ、そうか。
数秒して、ようやく意識が現状に追いついた。
小さなゲールとショーンが並んで僕を覗きこんでいるのだ。「ごめんな」ショーンが、なんとも情けない顔をして言った。
僕は二人を通り越して、目に映る斜め天井をぼんやり眺めていた。剥き出しの太い梁。打ちっぱなしの板。アルの家の屋根裏部屋に似ているけれど、あんなに綺麗じゃない。視線を落とすと使い古した家具が積み重ねられている、部屋というよりも物置のようだ。
ここはどこなんだろう?
どうしてこんなところにいるんだろう?
また、別の場所に引きずり込まれてしまったのだろうか。
と、そんな疑問ばかりが駆け巡って。
「起きあがれる? コウ、ほら食べて」
小さなゲールがプラスチックケースに入ったサンドイッチを差しだしてくれた。
頭を起こすと、ショーンが背中を支えてくれた。
「コウ、平気かい? きみは倒れたんだよ。それでゲールがここへ案内してくれたんだ。なかなかハードな一日だったからさ、仕方ないさ」
ありがとうも、ごめんも言う間を与えてくれないまま、ショーンが状況を教えてくれた。それからゲールも。
「ここ、ぼくの秘密基地なんだ。ほんとは、ぼくんちの倉庫なんだけどね。ほとんど使ってないんだ。これ、飲むといいよ」
ゲールはいつの間にか入れてくれていたプラスチックコップを渡してくれた。プチプチと気泡が立っている。ありがたくいただくと、エルダーフラワートニックウォーターの味がした。
「おいしい」
乾いた胃に染みわたる。さっそく膝の上に置いてくれていたサンドイッチを一つ取り出し、かぶりつきそうになった。けれどそこで、あ、と気がつき手が止まった。
「ゲール、学校は? これ、きみのお弁当なんじゃない?」
「今日はお休みだよ。だから僕が作ったんだ。それにほら」
ゲールは彼が持つには大きすぎるリュックに手を突っ込むと、大きなタッパを取り出した。
「これもどうぞ」
ばりっと蓋を外すと、ブルーベリーが山盛りだ。
「ヴィーが、あなたたちがお腹空かせてるって言ってたから、ビルベリーを急いで用意したんだ。ほら、食べて、食べて」
素直にこの好意を受けていいものか、ショーンを見やった。「俺はもう先にもらったよ。いただこうや、こんな状況だしな」ショーンは遠慮なくビルベリーをいくつか摘まんで口に入れる。
僕は「まだ調子が良くないみたいだから、僕も果物がいいかな」、とショーンに手にしたサンドイッチを差しだした。
ショーンも、それに小さなゲールも、これだけしかないお昼ごはんを僕に譲ってくれようとしている、そんな気がしたのだ。ランチボックスは、ピーナッツクリームが塗ってあるサンドイッチが2枚入っているだけでいっぱいで、先に食べたとはとても思えなかったのだ。




