75.口に出す願いは慎重に
キシキシと小さな悲鳴を上げる階段を一足飛びに駆け下りた。「ショーン!」と声にならない声で呼んだ。俯いていた彼の頭が、がくっと落ち、それからはっとしたように持ち上がる。眠っていたんだ。ということは、ショーンはやはり生身なのか――
「コウ、問題なかったかい?」
瞼を何度も瞬かせてショーンが僕を振り仰ぐ。
「しぃ! 問題大ありだよ!」
唇に指を立て、僕は顔をしかめてみせた。それから深呼吸して呼吸を落ち着かせ、ずぼっ、と寝転がっている僕の体の腹を踏む。するすると吸い込まれる。自分が霧にでもなったように拡大し、それからぎゅっと絞り込まれていくようだ。指先、つま先、肌に押し戻される限界までまた僕を押し広げて。
しばらく心臓の鼓動と呼吸を重ねて落ち着かせてから、「よいしょ」と頭を、それから上半身を起こした。
まだくらくらする。だけど悠長に休んではいられない。ずしりと重い体を奮い立たせてよろよろと立ち上がった。
「ショーン、急がなきゃ。この家の人が起きてくるかもしれない」
「やっぱり住人がいたんだな! そりゃ、ヤバいな」ショーンはすばやく立ち上がり、僕の腕を支えてくれた。「で、どうすればいい?」真顔で訊かれ、僕も急いで「こっち」と彼の腕を引いた。
といっても、ドアの内側に戻って境界を越え、音を立てないようにドアを閉めただけ。そして一呼吸おいて、もう一度ドアを開ける。
「さぁ、行こう。とりあえずここを離れなくちゃ」
開いたドアから見える景色は、もう真っ暗で冷たい石造りの塔じゃない。色とりどりの魔道具の置かれた賑やかなウィンドウを見渡せるレジカウンターだ。染みついたお香の匂いはどこか懐かしささえ感じる。ドラコのアパートメントからたどり着いた時も同じ香りが漂っていたからだろうか。ここがゲールの実家のオカルトショップだと分かっても、ショーンは特に驚きもしなかった。そっと閉めたドアは紫色で、以前来た時、レジカウンターにいたゲールとその背後にあったこのドアを僕はふと思い出した。最初に僕が感じた違和感は、この紫のドアが記憶よりもずっと新しく見え綺麗だからだ、ということかと腑に落ちた。
店舗の外に出て、ようやくほっと胸を撫でおろした。ショーンに説明しなくちゃ、と気ばかりが急くのだが、外に出たら出たで急ぎの問題が目の前にいる。
「ショーン、こっち」と彼の袖を引いて、昼に来た時に座った、奥まった壁際にあるベンチまで足を速めた。良かった、ちゃんとあった。
ようやく腰を落ち着けたところで、ほっとしたのだと思う。「ゲールがいた」と、自分でも思いがけず唐突に切り出してしまった。
しっかりしろよ! いくらなんでも端折り過ぎじゃないか!
口下手すぎる自分を叱りつけ、「でもここは今じゃないんだ」と続けた僕に「やっぱりそうなんだな」とショーンの声が被さる。「そうじゃないかな、って思ってたんだ」
まじまじと横に座る彼を見つめた。ショーンも真剣な眼差しを僕に向けている。
「なんで? いつ気がついたの?」
「きみが言ったんじゃないか。あの塔のもっと上まで上れば、時間を遡れるって。窓から見下ろして見えたのはジニーがいなくなった直後の景色だった。つまり、それよりも前に来てる手筈だろ?」
なんてことだ……
僕が自分で選んでここへ来たってこと? 確かにその時は、そうなればいいって思った。ショーンを妹に逢わせてあげることができたら、って。だけど、過去は変えらない。僕はそのことを身に染みて知っている。
もし、そんなことができるなら、僕は一番にアルビーの過去を変える。そのために僕の人生全てを捧げたっていい。
ふとよぎったそんな想いから顔を背け、俯いた。
強く願ったことを本当にしてしまう――、そんなこちら側の特性を僕は知っているはずなのに、まだ全然解かっていないのだ。自分の思考、口に出す言葉、まるでコントロールできていない。
ショーンに何て返そう――
「そんな顔するなよ。俺は真実が知りたいだけなんだ。生きているか、死んだのか。死んでるなら――、どんな死に方だったのか。ちゃんと知って、ちゃんと弔ってやりたいだけだよ。――取り戻せるって、信じてるわけじゃない。もう12年も経ってるんだ」
ショーンはどこか淋しそうにふんわり笑っている。彼が泣きだすんじゃないかと思ったけれど、涙を溜めていたのは僕の方だった。