74.ドアを開けたその先に
道標は、今度こそ散らばることなくたどり着くべき場所へと僕たちを連れていってくれた。螺旋階段をくるりと一周した先は行き止まり、そこに一枚のドアがあったのだ。
この紫色のペンキで塗られたドアに、真鍮のドアノブ。――いつかどこかで見たような気がするのに、思い出せない。
「開けて大丈夫なのかな」
首を捻っていると、ショーンが眉をひそめて呟いた。
「うん、問題ないと思う」
彼を不安にさせてはいけない。僕はこのドアの違和感に引っかかり、つい考えこんでしまっていただけだ。怖い訳じゃない。
「とりあえず、開けてみるよ」
ドアノブを捻り、ドアを押した。このドアは内開きだ。つまり、僕たちのいる側が外だということ。ドアの向こうは室内ということになる。
「また階段かよ」
ショーンが、がっかりしている。僕は身体をずらして慌てて言い添えた。
「よく見て、ショーン。この先は家のなかみたいだよ」
スマートフォンの照らしだす狭い階段は木製で、もう、すぐ上に踊り場が見えている。
「フラットじゃないな。一戸建てか」ショーンの声を背中で聴きながら、僕は敷居を超え、未知の内側へと片足を踏み入れた。柔らかな絨毯の感触にほっとする。
「どうしよう、上に上がってみる? こっちの通路の奥にも部屋があるみたいだけど」
「あー、そうだな」
歯切れの悪い返答に、あ、と僕も気がついた。
ショーンにしたって、こんなことを訊かれても困るよな。ここから先は現実で、誰かの家に不法侵入、なんて可能性もあるかもしれない。
「僕が先に行って様子を見てくるよ。こっちの僕は霊体だから現実世界の人に逢っても見えないはずだからね。きみはここで待っていて」
それから、ドアは開けたままでいること、この場から離れないこと、などいくつか注意点を告げた。まずは偵察開始だ。
ショーンは一時にせよ別々になることに難色を示したが、何かあったらすぐに体に戻れるから、ショーンがここで僕の体を守ってくれる方が安心だし安全だ、と説明すると判ってくれた。
完全に部屋の内側に入ると、塔の中と違って、こちら側は薄らと辺りの様子が見えるのだと判った。これならスマートフォンは必要ない。振り返って、ドアの敷居にもたれて座り込んでいるショーンに渡した。僕の体も床の上で、頭だけ彼の膝にのせてくれている。
「気をつけて」と拳を向けてきた彼に、拳を打ち合わせて「行ってくるね」と微笑み返した。
年季の入った階段を足音を立てないように気を配りながら上がっていった。今の僕には質量はないはずなのに、なぜだかたまに、こんな階段が軋むことがあるのだ。
ほら、こんな風に!
足元からギシッィとたった軋み音に身がすくんだ。今は透明人間のようなものといっても、だれかを脅かしているようで申し訳なく感じるのだ。
しばらく微動だせずにいたけれど、誰かが来そうな気配はない。開いたドアから浴室の見える中二階を通りすぎ、二階の部屋の前に立つ。
ここにゲールはいるだろうか――
期待で胸がドキドキする。手のひらで押さえて呼吸を整えた。それからそっとドアノブを回し、ドアを開けた。
一番に目に飛び込んできた大きな窓には、紺色のカーテンがかかっていた。生地に小さな星型の抜き穴があり、柔らかな光がきらきらしている。室内は十分な薄明りで見渡せた。
それほど広くない部屋に、机と椅子、ベッドが一つ。羽布団に包まって、子どもが寝ている。そっと近寄って覗きこんだ時、あっ、と声を出しそうになった自分の口を慌てて塞いだ。
特徴的な甘い髪色、今のゲールの髪色よりも若干濃いストロベリーブロンドだ。彼の弟とか――、いや、彼は一人っ子だって言っていた。それなら、親戚か何か……
頭の中を認めたくない言い訳が駆け巡る。一番納得のいく答えを、僕はもう見つけているのに。
「ん――」と少し不快そうに、彼の喉が鳴った。軽く眉をひそめると寝返りを打ち、僕に背を向ける。無造作に布団を引き上げ丸まっている。寒いのだろうか。軽く暖房は入っているみたいだが。
ここの季節はいつだろう、と外の様子を見ようと窓辺に立った。カーテンを軽くめくり、ぎょっとして固まってしまった。ここから見える景色はやはりゲールの実家の中庭、で間違いないのだが――
植えられた樹々の枝という枝に鳥がいたのだ。それも大きさもまちまちな、多種多様な鳥たちが。ナイツブリッジのテラスで見たのと同じだ。
「ん? ヴィー」
ばっと振り返った。彼はそのままの姿勢で動いた様子はない。僕は急いでこの部屋を後にした。
彼ならおそらく、僕の姿が見える。
あんな小さな子どもを脅かす不審者になるわけにはいかないじゃないか――




