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エートス 風の住む丘  作者: 萩尾雅縁
Ⅹ 異界の入り口
72/99

71.窓からの景色

「なぁ、コウ」

 緊張感のあるショーンの呼び声に、くたびれて項垂れていた(こうべ)をあげた。この地へ来た時と同じ、延々とくるくる周るだけ、終わらない螺旋階段にうんざりしてしまう。

「何、どうしたの?」

 心なしか自分の声もざらついて聞こえる。

「外を見てみろよ」

 と言われても、ショーンの足元にも追いついていない僕からは、彼が腕をかけて覗きこんでいる姿しか見えない。一度止まるとそれこそ石のように重くなる足を引きずりあげてそこまで上った。冷やりとする石枠に指をかけ、自分の身体を引っ張り上げるようにしてバイフォレイト窓を覗きこむ。

「え――」


 塔に入ったのは夕暮れ時だったのに、外は今だ明るかった。特に考えることもなかったのだが、とっくに日暮れているだけの時間は経っている。ここまで来るあいだに窓はなく外の様子は見えなかった。不都合な暗さはなかった、ということは体感する時間とここの時間の流れが噛み合っていないということだろうか。


 とはいえ、明るいといっても日は落ちている。空は、ここへ入る前の卵の黄身のような濃い色から薄紫へとその色合いを変えている。逢魔が時の柔らかな薄闇のベールが大地に広がり、輪郭の曖昧になった田園は息を呑むほど美しい。それに、見下ろした塔の周りには、人がたくさんいた。いかにも観光客風の人もいれば、ニューエイジぽい集団が車座になって瞑想していたり。何かの儀式なのか、白いドレスに花冠の女性たちが行き交って……

 

「ほら、あそこ。もっと、ずっと向こうを見ろって」


 下を覗きこんでいた僕の額を押し戻すようにショーンに小突かれた。彼の指さす方向に目を凝らす。

 広大な牧草地と樹々、ぽつぽつとある家並(やな)み。その彼方にドット絵のような、色彩のチラチラした一帯が見えた。それに、こんな田舎にはそぐわない電飾の輝きが滲むように浮かんでいる。ターナーの美しい風景画の一点にモダンアートを切り張りしたような異質さに目を離せないまま「何なんだろう?」と呟いた。それに、その一帯が、微睡んでいるこの土地を揺さぶり起こすほどのエネルギーに満ちているように感じられたのだ。なんだか胸がざわざわして落ち着かない。


GLASTO(グラスト)」ショーンの呟きが頭の上から落ちてきた。

「グラスト?」

「グラストンベリー・フェスティバルだよ。車にテント、ステージ、20万人もの人間が満杯詰まってるんだ。さっききみが、ここでは時間も気まぐれだって言ったのは本当だったんだな。月末にはハロウィンだってのに、夏至に開催されるフェスティバルを見せられるなんてさ。それこそトリックオアトリートで引っ掛けられた気分だ。ひどい悪夢だよ」


 悪夢? 外は夏至――、どんな意味が……


「今さら12年前の景色だなんて」


 静かな(つぶや)きだったのに、脳髄を殴られたように打ち響いた。


 この道――、僕はまたしても、シルフィに続いているとばかり思いこんで、ショーンのことは二の次に考えていたのだ。

 ここへ来るまでのちょっとしたきっかけだけで留まらない。ショーンの妹の事件はずっと絡みついてきている。

 彼が心の奥底でそれを望んでいるから? ゲールには、どうしたってショーンを媒介せずにはたどり着けないのだろうか。テントウムシを飛ばしたところで、無駄だったのだ。


「夏至の日だったんだね」

 申し訳なさを奥歯でかみ殺し、念を押すように訊ねた。

「親父たちはほら、あそこにいて全然連絡つかなくて」ショーンはついっと顎をしゃくる。「ジニーがいなくなった後、母親と二人でその日に行った場所、全部辿ったんだよ。この景色が頭の隅に焼き付いてるんだ。日が落ち切ってなくて、まだ辺りを見通せた、これくらいの時間だったよ。こんな高みから見下ろしてたわけじゃなかったけどな」


 そうだった。お父さんとお兄さんは音楽フェスティバルに行っていたって、前にも聞いた。ジニーを失ったことで上手くいかなくなって、ショーンの家族はバラバラになってしまったのだ。


「ほら、あの白いドレスの奴らとかさ。しばらく忘れられなかったよ。俺たちは必死でジニーを捜し回ってるってのに、どいつもこいつも浮かれてお祭り騒ぎでさ。したり顔で笑顔を振りまいて。母親はあの瞑想してる連中一人一人の肩を掴んで邪魔して、聴いて回ったんだ、この子を見なかったか、って写真を見せて――」


 どうしてこんな景色ばかりが現れ、ショーンの心をえぐり続けるのだろう。

 怒りなのか悲しみなのか、それとも憎しみのせいか、ショーンの薄い青の瞳が深い深い湖の色に見えた。声はいつもの調子なのに、溢れ出そうな感情を瞳で堰き止めて、自分の中へ押し戻しているみたいだ。


「彼女がいなくなった後に来たんだね。それなら――」僕はショーンの腕を叩いて、くいと階段の上を示した。「上がろう。もっと時間を遡れるはずだよ」

「そうなのか?」

「うん。西側から入ったからね」


 僕自身、意図してのことではなかったのだが。

 この螺旋階段は、来た時とは逆、反時計回りになっているのだ。


「この窓の石を叩き崩して下に飛び降りたら、ってちょっと考えた。でも、それじゃ、間に合わないもんな」

 トン、と石壁を小突いて、ショーンが皮肉気に口許を歪める。


「もし、本当に時間が巻き戻るなら――」


 じっと上方を見つめる彼の瞳は仄暗い情念が籠っているようで、背中がぞくりと震えた。

 怖くて――

 僕がショーンを怖いなんて、あるわけないのに!


「そんな真似をしたら、きみは時の狭間に落ちて帰ってこれなくなるかもしれない。地上に落ちるまでに時間軸はずれてしまうからね。ほら!」


 きつい口調で言い放ち、もう一度窓の縦桟を握りしめた。

 窓外が瞬時に闇に包まれる。それこそ、人家の灯り一つもない漆黒に。当然、この灯りのない塔もその闇に呑まれてしまった。


 ちっ、と舌打ちする音が聞こえ、すぐにショーンの手許が辺りを人工の光で照らしてくれた。


「今見たのは幻覚のようなものなのかい?」

「さあ、どうだろう。きみの悪夢を映していたみたいだから、そうとも言えるのかもしれない」

「悪夢――、本当にな。永遠に終わらない迷宮に放り込まれたみたいだ」

「終わりはあるよ。どんなものでもね」


 ショーン、きみが抱えるその苦しい思いだって、永遠に続くことはないんだ。どんなにきみが手放したくないと思っていても。

 きみの中でジニーを生かし続けるために、きみは自分自身を呪い続けている。彼女の手を放した自分を、決して許さないことで。彼女を見つけるまで、きみの悪夢が回り続けているなんて……


 アルが、ショーンに厳しい助言をしたのは、重荷を下ろして彼に自分自身の生を生きて欲しいからだ、とそんな気がした。


 


 

バイフォレイト窓・・・上部が半円アーチの窓の中に二つの双子アーチと縦桟を設けた窓

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