66.同じものを見ていたつもりでも
それは、子どもの足でも少し走れば追いつけそうな、そう、リレーのテイクオーバーゾーン程度の道程でしかなかった。ショーンと並んで、ジニーが消えたという店まで意識して辿った。
「あれ、ここって――」
狐につままれた気分だった。
だってここは僕たちの出発点、ゲールの実家に繋がる通路のすぐ横だったのだ。最初にここを通った時はまるで気づかす、時間を潰すために散歩がてら歩き回って、ふたたびここまで戻ってきてようやく噛み合ったなんて。なんだか不思議じゃないか。
「なんだ、たんにこの通路に入って行ったってだけじゃないか。この派手なウインドウにばかり気が取られてたのかな」
そんな単純なことにどうして気が付かなかったのか、とばかりにショーンは大きくため息をついた。
人目をひく水色の窓枠のなかで、煌びやかな宝石がそれぞれの輝きを放って姦しいばかりだ。つい一瞬目を奪われてしまった、と考えられなくもない。
「きみのいた場所からは、この通路の入り口がちょうど死角になって見えなかったんだね」
そう考える方が妥当な気がする。何度か通ったことのある道とはいっても、見知らぬ街の似たような店の並ぶ通りなのだ。意識して歩かなければ、こんな事すら記憶とうまく重ならず、気づけないのかもしれない。
なんだか二人して気が抜けてしまった。顔を見合わせ、どちらからということもなく、朝と同じ通路をくぐって中庭へ戻っていった。壁際の奥まった箇所に置かれたベンチに無言のうちに腰かけた。
しばらくして「同じ道をぐるぐる回ってるだけだな。実験迷路のマウスみたいな気分だよ」と、ショーンは若干苛立たしげに吐き捨てた。
「でも、同じところを回っている、てことは、やっぱり何かを見落としているってことじゃないかな」
おそらく、出口に繋がるサインを――
「ここに来たことが間違っているわけではないと思うんだ」
僕は俯いていた顔をあげ、辺りに視線を漂わせた。
早朝の寒々しい空はもうすっかり晴れ渡り、柔らかな陽光を降り注いでいる。夏のような濃い色どりと勢いはないものの、常緑の蔦や鉢植えの木々の緑は優しいきらめきでこの場を満たしている。清涼な空気。どこか甘さを含んだ優しい土の香り。
この事実を確認したかったのだ。つまるところ、ここは彼らの好みそうな庭だということを。
ショーンの妹、ジニーを攫ったのは、本当に妖精の仕業ではなかったのだろうか。
本当に、消えたのではなく、人の手で――
そう結論付けるにはまだ早い気がする。それでは、今、ここでこうしている意味がない。ロンドンからいきなりこんなところまで来て。ゲールの手がかりも掴めないまま。
「あ、」
「なんだ?」
「まさか、ゲールは家に帰ってるとか」
「ないだろ。あの花畑の部屋は普通じゃないだろ」
確かに。鏡の中の彼がいた部屋は――
「部屋? あれって、部屋だったっけ?」
どうしちゃったんだろう。記憶が曖昧になっている。確かにゲールは金鳳花の壁紙の部屋にいた、と記憶しているのに、僕の内側では、金鳳花の花畑の真ん中で、不安そうに椅子に座っているゲールのイメージが鮮明に浮かんでくる。アビゲイルのポスターと同じ場所だ。それに椅子、それからドアも見覚えのあるような――
「ああ、そういうことか! 俺たちがここにいるってことは、あの部屋がヤツのアパートメント内にあるただの部屋だったはずがないってことだよな。要するに、マーカスの部屋だって可能性も限りなく低くなったわけだ」
「ゲールのいた部屋、きみにはどう見えた? 金鳳花の壁紙だった? それとも――」
「金鳳花の壁紙っていうよりも、丘の風景だっただろ? 確かに花もあったけど、壁の半分が緑で上の方は空。絨毯も緑だったし、花よりも緑の印象の方が強かったよ」
緑?
なくはないけれど。
ショーンとの食い違いに困惑して、喉が詰まった。うまく言葉が出てこない。これをどう考えればいいんだろう。
同じ場所、違う場所、はたしてゲールは今もその場所にいるのかさえ――
雑念を払うべく首をぶんぶん振った。今はショーンの印象を先行するべきだ。
「丘の風景ってことは、やっぱり、あそこかな?」
「うーん、どうかな。昔流行ったよくある風景写真の壁紙だったんだよ。はっきり、そこだとは言えないよ」
ショーンは悩まし気に顎を触っている。僕にしても、こうも見ているものが違うと繋がるイメージでしか発言することができないのだ。
「だけど、もし仮に、壁紙がトーの丘だったとして、野ざらしの丘にゲールを監禁できるような場所はないだろ?」
「現実世界ではね」
彼の疑念に対して心の中で思っただけのつもりだった。けれど声に出ていたのだ。ショーンはクククッと肩を丸めて笑った。
「確かに。朽ちかけた塔でも、向こう側になら部屋があったっておかしくない。境目を超えるのもあそこなら簡単そうだしな」




