5.恋模様は複雑
空になった皿を横目で見つつ、僕は、またか……とため息を呑み込んだ。よかった、ショーンもマリーも気づいていない。シルフィだけが、ちょっと膨れて唇を尖らせている。
――ありがとう、シルフィ。その気持ちだけで嬉しいから。
心のなかで呟いた。
彼女はついっと立ちあがり、パタパタと居間を出て行った。
電光石火の神業でカップケーキを奪いさったサラに、文句をつけに行ったんだと思う。
そこで、僕もそろそろ――、と言いたかったけれど、どうもそうは問屋が卸さなかった。
「で、いつがいいかしら?」と、マリーが青い瞳をキラキラさせて問いかけてきたのだ。
「ああ、次の予定だっけ? いつもと変わらないよ。毎水曜の午後――、」
「コウの面談がすんだら、そのまま家に来てもらってもいいんだけど、それよりむしろ家でしちゃえば? あんたも楽じゃない」
「え? なんでわざわざ。彼の職場からここは遠すぎるよ。だからいつも中間地点にある大学の近くで――」
「そのくらい知ってるわよ、アルが通ってたんだもの。だから、あんたの面談と夕食を別の場所でとるより、その方が合理的でしょ!」
「え、何の話?」
「は? 今さら何言ってんのよ? ケーキのお礼に、彼を夕食に招待しましょうって話をしてるのよ! あんただってついさっき、いいねって言ったじゃない」
そんなこと言った?
あっけにとられている僕の顔を、マリーは露骨に眉をひそめて睨んでいる。カップケーキに気を取られていた間に、話題はとんでもない方向に向かっていた、ってことらしい。
「うちの料理は絶品でしょ。外で食べるより自慢できるし、なによりくつろげるじゃない。歓んでもらえると思うのよ」
このまま黙っていると、この話、どんどん進んでいく。沈黙は自分の意見がないと同じにみなされるから。
マリーは落ち着かない様子で部屋のあちこちに目をやりながら、早口でまくしたて続けている。
「アルのものもたくさんあるから、ここなら話題作りに困らないと思うの。きっと話も弾んで、ゆっくりしてもらえる――。ねぇ、お酒は何を用意しておけばいい? スコッチ? アイリッシュ?」
あ、アルビーの送別会で話題が噛み合わなくてまともに話せなかったこと、気にしてるんだ……。だけど、
そんなこと、僕に訊くなよ!
とは言っても、アルビーに訊かれるのも、それはそれで嫌だ。
助けを求めようとショーンに目をやると、彼は我関せずといった風情でいつのまにやらノートパソコンを開いている。でもこれは同意の沈黙ではなく、抗議のそれだ。もちろん、マリーにはこんな手は通用しない。
「ちょっと待ってよ、マリー。まずは相手方に都合を尋ねないと。彼、いつも超多忙みたいだよ。それに僕だって――」
「だから今、訊いてるじゃないの。今すぐ、彼に訊いてみて。水曜よりも、金曜の夜がよくないかしら。翌日を気にしなくていいもの。――あんだだって、週末の1日くらい、私のために、使ってくれてもいいわよね?」
ぴしゃりと出鼻を挫かれた。
「あんただって――」の一文から、声のトーンがぐっと強迫的に下がっていた。
アルビーのことを持ちだされると、どうも弱いのだ。僕が反論できなくなるってことを、マリーはもう充分知っているんだ。
僕はふくれっ面をして――、それから「分かったよ」と頷くしかない。
――ごめん、ショーン。
この夏、アルビーと僕がこの家を空けていた間に、ショーンは犬猿の仲だったマリーとすっかり仲直りして親友のようになった。というか、ショーンの方は友情以上の気持ちがあるんじゃないか、って僕もアルビーも感じている。だけど、マリーの気持ちはこの通り。
そして、僕が毎週末アルビーの実家まで彼に逢いに行くことを、彼女だって手放しで受け入れてくれているわけじゃないってこと、僕だって気づいている。それが僕が彼女に強く出られない理由。
きっと今でも一番大切で、一番大好きなアルビーの不在を、マリーは、他の誰かで埋めようともがいているのに違いないから。その堪らない喪失感の苦しさは、僕も同じ。
だけどもし、その穴を埋めてくれる誰かがバーナードさんじゃなくて、ショーンなら――、僕だって手放しで応援するのに。