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エートス 風の住む丘  作者: 萩尾雅縁
第三章 Ⅸ いつか来た町
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58.いつか来た町

 ドンッと大きな音がした。同時に「うわっ!」とショーンの叫び声があがる。

「ショーン!」あやうく倒れそうになりながら、僕も勢い叫んだ。


 いきなり階段の踏板が抜けた、いや、消えていた。螺旋の軸がずれ、()()()に繋がったに違いない。マーカスの部屋ではない、別の()()()へ。


 僕が揺らいでしまったばっかりに!


 その証拠に、確かに握りしめていた燭台はどこかへ消えてしまって、ない。僕の抱いたアルへの想いがゲールへの集中を削ぎ焦点をぼやけさせたのだ。灯は僕に示すべき道を見失い、替わりに別の道を()いでしまった。おそらく、ショーンの心に強く描かれていた()()()へ。


 どうか、ショーンの目指す先が、僕と同じ、ゲールの奪還でありますように!


 僕はもう、そう祈るしかない。今さら取り返しはつかないのだから。


「ショーン、何か喋って! 声のする方へ行くから」

「OK、コウ。俺はここだ!」

「そのまま動かないで」


 少し下方から聞こえる声に向かって、そろそろと足を進めた。足裏に伝わる感触は硬くゴツゴツしている。さすがに、ここがドラコのアパートメントの内部とは思えない。

 もっとどこか――、戸外、石畳のような。


「見ろよ、灯りだ!」

 ぐるりと見回すと、遠くにぼわりと光が浮かんでいた。闇の色も薄くなってきている。じきに目も慣れて、石畳に座りこんだままのショーンが辺りをきょろきょろしている姿をつかめた。だけど、「なんだ、ここ――」と小さく呟かれた彼の疑惑に、僕は答えることなんてできなくて。


 夜霧が晴れていくように、周囲の輪郭が露わになっていく。電気の消えたショーウィンドウが数件。個性的な店構えが僕たちを囲むように立ち並んでいる。初めに気づいた灯りは、店と店の間のトンネルのような小径を照らす街灯だった。ぽかりと空いた頭上には夜の空。当然、僕たちが下ってきた螺旋階段なんてどこにもない。星たちが、悠然と僕たちを見下ろしているだけ。


「ナイツブリッジ? じゃないよな、中庭(コートヤード)にこんな店なんてなかったよな?」

「お店、こじんまりしてるよね。高級店って感じでもないし」


 アパートメントの中庭は駐車場になっていたはずだ。建物の高さも明らかに低い。せいぜい2、3階建ての小さな店舗群は、ロンドンでも高級店の並ぶナイツブリッジの景色じゃないことだけは間違いない。だけどなんだろう、既視感がある。ここに来たことがあるような気がするのだ。

 それがどこだか浮かばないことにもどかしさを感じながら、ともかく先に、口をへの字に曲げて座り込んだままのショーンに手を差し伸べた。

「怪我はない?」

「ああ」

 ショーンは僕の手のひらを拳でポンッと叩くと、ニヤッと笑って立ちあがった。彼を立ちあがらせるだけの力は僕にはないことを解っているから。彼は僕よりも優に15cmは背が高い。スポーツやジムで鍛えているからがっしりしている。傍から見ると僕たちは大人と子どもに見えるのかもしれない、と思うと落ち込んでしまう。同い年なのに。


 黙っているとどんどん卑屈になってしまいそうだ、と顔を振り上げた時、シャラシャラ、と聞き覚えのある音が耳に届いた。引き寄せられるようにその音を追って一軒の店先まで近づくと、遠目ではわからなかった紫色の窓枠に記憶の底がぐらぐらと揺れた。目を疑いながらもショーウインドウに張りついて、薄暗がりのなか静かに鎮座する品物たちに食い入るように見入った。


「まさかな」

 ショーンも気づいたのか息を呑んでいる。

「ほら見て、この本……」

 ウィンドウのなかの緋色の古本に見覚えがあった。やはり記憶と同じ非売品の札がついている。僕もショーンも既知の本で、大した内容じゃないのに非売品なんだね、とショーンと話した覚えがあるのだ。

「ああ」

 それに、魔女鍋や箒も。記憶にはない天使の置物なんかもあるけれど、間違いないだろう。


「ウインド チャイム」

 数歩下がって店の看板を確かめたショーンが呟いた。

「やっぱり。ゲールの実家だね」

 そうなのだ、イースター休暇の旅行中、僕たちはここでゲールと初めて出逢った。

「ということは、ここはグラストンベリーってことなのか」


 抑揚のないショーンの口調に、うわぁ、と罪悪感が湧きあがる。思わず「大丈夫?」と呟いてしまった。日本語で。


 僕は、何て説明すればいいんだろう。ここが本当にグラストンベリーなのか、それともショーンの記憶の中なのか、誰かの、例えばドラコの作り出したイメージの中にすぎないのか、僕にだって判らないよ。


 ただ、螺旋階段が消える前、灯はショーンを包み込むように照らしていた。だからきっと――


 ショーンは顔をしかめて腕組みをしたまま、じっとウィンドウを眺めて動かない。僕は彼の気持ちが落ち着くまで、息を殺して待っていた。


 こんな時、普通の人はどんな気分になるんだろう? エレベーターの中に閉じ込められて、扉が開くのをひたすら待ち続けているような感じだろうか。あるいはマジックショーを見ている時、頭の中では目まぐるしく手品の種を探って――


 漫然とそんなことを考えていると、いきなり「コウ」と呼ばれてびくっと肩があがる。


「腹、減ったな!」と、ショーンはいつもとなんら変わらない笑顔を向けて言った。


 


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