52.僕が寝ている間に…
「コウ、顔色が悪い。もう少し休んだほうがよさそうだよ」
「でも、」
「さぁ」
有無を言わさない瞳で射竦められ、返事をする間もなく背中を押された。僕が勝手に部屋を出たりしたから、アルは怒っているのだろうか。
だけど、ショーンが何も言わないまま僕の肩をぽんと叩いた時、何か大事な話があるのだと瞬時に理解した。彼は僕を通り越して強張った笑みをソファーに向けた。そこにいるマリーはお喋りに夢中で、彼の微笑みを受け取ることはなかったけれど。
ダイニングに降りる階段の手前で、アルビーも同じ方向をちらと振り返った。彼が視線を送った先はマリーたちではない。バーナードさんだ。了解した、と言わんばかりにバーナードさんは瞼を瞬かせた。
寝室に入るなり、アルビーが大きくため息をついた。それにショーンも。口をへの字に曲げて天を仰ぐのは、迷っている時の彼の癖だ。この二人の何とも言いようのない、そう、まるで、僕の作った料理が本当は口に合わないのに気を使ってくれて言いだせないような、そんな雰囲気に身がすくむ。
「コウ」と口火を切ったのはショーンだ。僕は声も出せずに頷いた。
「ゲールなんだけどな、」と深く眉間に皺を寄せる。
覚悟を決めておかないと。
「見つかったのは見つかったんだけどさ……」
「ショーン、見せた方が早い」と、アルの静かな声が言い淀むショーンの言葉を補うように遮った。
「コウ、こっちへ来て」
僕がショーンを食い入るように見ていた間に、アルはベッド脇の壁際にいた。あの鏡の前だ。当然、僕には彼の言いたいことが解かった。急ぎ駆け寄ってみると、やはりゲールが映っていた。
「ここがどの部屋だかわかるか?」
ショーンの声がひどく遠く聞こえた。どうしてだか鏡に映る部屋が歪んで見える。ゲールは時代がかった肘掛椅子に子どものように両腕で脚を抱えて座っていた。金鳳花の壁紙に囲まれた部屋で途方にくれているようだった。
「ヴィーは? あの侏儒たち、えっと、鳥たちは一緒じゃないの?」
「侏儒――」
思わず口をついて出てしまった言葉をアルが拾って呟いた。しまった、と思ってももう遅い。反射的に見上げたアルの顔は鏡を探るように見ている。
「他の部屋にあった鏡からもこの部屋の様子が見れたんだ。だけど、どこにもそれらしい部屋がない。コウ、これがどこにある部屋か見当つかないかな」
ゆっくりと噛みしめるようなショーンの声に我に返った。アルの反応が気掛かり過ぎて、聞こえていたのに応えていなかったのだ。
この金鳳花はアビーの風景だ。ショーンだって見てるはずなのに、と訝しく思いながら「たぶん、マークスの部屋だと思う」と急いで答えた。
「マークス?」
怪訝そうにショーンが呟く。
「この壁紙って、昼間の、あの写真と同じ景色だろ。覚えてないかな?」
「こんなデザインだったかな」
ショーンはやっぱり首をひねっている。
「デザインっていうか、一面の金鳳花の花畑にいるアビゲイルの――」
と、ここまで言ってしまってから、アルが息を呑む音に僕の方が言葉を詰まらせてしまった。
何をやってるんだ、僕は! 内緒にしておくって約束したのに! 彼らとの約束を破ってしまったらどんな歪みができるか判ったもんじゃないのに――
アルが僕を見ている。咎めだてるような瞳ではないけれど、何のことかちゃんと解ってる。解ってて、僕の口から説明されるのを待っている、そんな眼つきだ。
「あれとは違うと思う」
ショーンが鏡を睨んだままきっぱりとした口調で言った。
「あれって何のこと?」
間髪入れずにアルが尋ねた。
「アビゲイル・アスターの写真を見せてもらったんだ、マークスにさ」
「写真?」
「ああ、個人的なものじゃなくて、アートフォトだよ。その写真の背景にさ、こんな感じの花がたくさん咲いてたんだ。でもだからって、ここがマークスの部屋じゃないかって言うのは、」
と言いかけてショーンは口をへの字に曲げて天を仰いだ。
「まぁ、そうだな。他に手がかりもないし、あいつらに問い質すべきだな」
ショーンがぽんとアルの肩叩いた。アルは軽く眉を寄せただけで何も言わなかった。
「コウが呼べばあいつらも出てくるだろ」
「だといいけど」
アルが吐き捨てるように言い足した。
ということは、マークスもスペンサーも、崇拝する主人であるはずのアルの呼びかけには応えていないということだろうか。
「まさか、マークスたちもいなくなってる?」
信じられない思いで尋ねると、返ってきたのはそれを上回る事実だった。
「それにドラコもね。気が付いたら消えていたんだ」




