49.願えば叶うって怖くない?
二人が出ていくと、ぷつんとテレビを消した後のような静寂が部屋を支配した。しんと張った空気は居心地が悪い。手持ち無沙汰にベッド正面にある掃き出し窓に視線を据えた。
その一面を占めているのは真紅のカーテンだ。白い芍薬を規則正しく咲かせている。けれどこの豪奢な花の背後は、荒庭にでもあるようなすっと伸びる薄の葉、蔦の緑。それが妙にひっかかって、不思議な心持ちがする。
なんだか、ひどく懐かしく感じて――
以前アルと泊まった時と部屋の様相が一転しているからだろうか。心当たりのない既視感に釣られて油断していると、意識の底に落ちてしまいそうな気がする。
深呼吸をしてから「よっ、」と声に出してベッドから立ち上がった。
今度は大丈夫だ。眩暈もないし、体調が悪いようにも感じられない。アルビーにはああ言われたけれど、こんな時に寝てなんていられるはずがないじゃないか。早くゲールを探さないと。
と気を引き締め直したと同時に、視界の端に見慣れた背中が飛び込んできた。思わず「あ、アル!」と呼びかけてしまった。だけど、そのアルビーはベッド横の鏡の中だ。返事のあるはずがない。金色の蔦の作る円の中で首を横に振っている。その背中越しに部屋を出る前と変わらず不貞腐れた顔をしたドラコがいる。食べ散らかされていた食器類はもう片づけてあるけれど、そこは僕たちがいた音楽室だ。鳥たちはいない、となると――
ぐるりと部屋を見回して、ベッドの端にたたんで置いてあった深緑のガウンを手に取った。眠る前にはなかった気がするから、マーカスかスペンサーが気を利かせてくれたのだろう。見た目よりも軽いそれを羽織り深く前を合わせる。
おそらく外はシルフィの領域だから。吹きすさぶ風はそれはそれは寒いのだ。
ぶるりと身震いをして、テラスに続く二つ折りの掃き出し窓を開けた。
白い欄干に挟まれた細い通路の向こう側には、ハイドパークの樹々が夜よりも濃い影絵のように広がっている。床板に埋め込まれたフットライトのてんてんとした導きを辿って、鳥たちのいた音楽室前まで来てみた。ブラインドから漏れる灯りでほの明るいテラスは微動だしない空気に包まれていた。誰もいないのが逆に不自然に感じられて、訝しくて仕方ない。
アルたちはまだいるだろうか、と気になったけれど、ふらふら出歩いているのを見つかったら叱られると思い、中に入る気にはなれなかった。代わりに、外壁に設え付けられている鏡を見上げた。ここのテラス、本当にいたる所にくつろげるスペースが設けてあり、傍に必ずといっていいほど鏡がある。ここではベンチソファーの上だ。
寝室のように、鏡でアルの様子が分かるのではないか、って気がしたのだ。
僕がそれを望んでいるから――
だけど鏡は背後の暗闇を映すばかりで。やっぱり、寝室の鏡はドラコの悪戯だったのだろう。肩透かしを喰ったようで、それでいて何も起こらなかったことにほっとした。
自分が何かを望んで、それが現実の法則を捻じ曲げてでも実現してしまうとしたら――、なんて想像するだけでぞっとする。さっきのドラコの言葉を気に掛け過ぎているのかもしれない。
「と、なると……」
内側からまとわりついてくるドラコの気配を遮断しようと、意識を切り替えた。ゲールに集中しなければ。
さて、どうしよう。アルビーに見つからずにゲールのいそうな所を探すにはどうすればいいのだろう。室内にいるならきっとすぐに彼が見つけてくれる。彼といっしょなら、ドラコもそうそう何かをやらかすこともないだろうし。
僕が探さなければいけない場所は、抜け道――、マークスたちの手がけたこの家に欠陥がないかどうかだろう。
なんとなくその場のベンチソファーに腰を据えて考えこんでしまった。無垢材のローテーブルにはシャンパンとグラスまで置いてある。さすがにアルコールを取る気分ではないので、その横にあったミネラルウォーターをグラスに注いだ。
「ああ、やはりここにいたんだ」
思いがけない声に慌てて顔を上げて、グラスを倒しそうになった。
なんだって彼がここに来るんだ! 部屋を抜け出したのがもうバレた?
軽いパニックに陥った僕には気づいてないのか、そんなこと気にもしないのか、バーナードさんは僕の頭上を見上げてくすりと笑った。それから視線を下げて悠然と向かいのソファーに腰を下ろした。
「驚かせてしまった? きみも僕を見ていたと思ったからここへ来たのに。勘違いだったかな?」
薄闇の中で、昼間は濃紺に見えた彼のスーツが、玉虫色の光沢を帯びて夜よりも深い黒に輝いて見えた。




