36.恋人になってよ
ゲールは想像していたとおり、僕たちの住む世界に重なる別の世界に行き来できる人だった。僕と、同じように――
彼の話を聴いて一番に感じたのは、僕たちのこの世界での立ち位置は、とてもよく似ているってこと。だけど、やはり僕とは違う。
彼はこちら側でも受け入れられて育っている。何と言っても実家はオカルトショップを経営しているくらいだし、グラストンベリーは土地柄的にもOKなのだそうだ。だからだろうか。こうも容易く誰かに甘え、頼ることができる。僕とは本当に大違いで。
話の途中から、そんなモヤモヤとした想いが渦巻いていた。彼がとても困ったことになっているのは理解できたし、助けてあげたいとも思うけれど、だから僕が、っていうのはちょっと納得いかないものがある。
「ともかく、万霊節まででいいからさ、そういうことにしておいてほしいんだよ。フリだけでいいんだ。彼氏には悪いって思うけど、快く、いいって言ってくれたじゃん?」
ゲールは僕にねだるような眼差しを向けて言い、アルビーにはすっかり打ち解けた笑みを投げかけている。肩に座る侏儒までが、アルビーに目尻を下げている。もともとアルは、向こう受けが異常にいいのだけれど。
そもそもそれが信じられない。
アルビーがこんな提案に頷く、なんてことが!
「僕は構わないよ」と、アルはにこやかにゲールに微笑み返しているのだ。
この部屋でようやく聞けた彼の声が、この言葉だなんて、どうしたって腑に落ちないよ。僕の知る彼はもっと――
僕のいなかったのなんて、わずか数分のことだったんだよ。
どんなふうに話したら、こうも簡単にアルビーを説得できるんだ? 順を追って考えてみても、僕には彼の話の何がアルを動かしたかなんて皆目見当がつきそうにない。
まず、そもそもの発端は――
ゲールがクリスマスに生まれたため、などと言われては、返す言葉が見つからなかった。
「12月25日に生まれた子どもは、神さまから“妖精が見える能力”と“幽霊につきまとわれる権利”の2つの贈り物を授かることになる」という言い伝えは聞いたことがある。でもまさか本当にその贈り物を貰った子どもがいるなんて、冗談みたいだ。
そして案の定、苦労している。僕ならそんな贈り物、丁重にお断りしたい。
要するにゲールは、この贈り物の一方、“幽霊につきまとわれる権利”に悩まされているってことらしい。
きっかけはバレンタインの日に、道で無自覚に「恋人になってよ」と呟いてしまったから。それをたまたま近くにいた誰かに拾い聞きされてしまった。それから後は、その誰かが、彼をあちら側へ引き込もうとあれこれ画策したのは想像に難くない。
ゲールはその度にもう一方の“妖精が見える能力”で、ヴィーを始めとする侏儒たちを頼り、切り抜けてきた。
それでもなかなか振り切れないこの縁を断ち切るために、彼らはゲールの告白の相手を見繕うことにしたのだ。
そこで白羽の矢が立ったのが僕、ってこと。
僕以外に彼が接触できる“妖精が見える能力”を持つ者が身近にいなかったためなのか、それともドラコの思惑が働いたのか、そこは何とも言えない。確かめなくては、と思う。
だけど、それにしたってさ、“幽霊につきまとわれる権利”なんて贈り物、あまりにも酷くないか。
なんだか全てに合点がいった。僕たちのせい――もあるとはいえ、路頭に迷い兼ねない事態に陥っていたり、ここまで来るだけで、異界に通じるウサギ穴に引き釣り込まれそうになったり。呪われているとしか言いようがないじゃないか。
「だけど、きみがこうも危険に晒されるのって、その、誰かがさ、きみが僕に接触するのを邪魔してるから、とは考えられないかな?」
考えすぎかな?
ゲールのこの生まれながらの受難をドラコが利用したのかも、とは疑えるけれど、死者につけ込まれたことまではドラコの思惑とは思えない。
それなら「僕が恋人のフリなんてしたら、ますます火に油なんじゃないかな」と考える方が妥当な気がする。
「どうだろう、でも、ここしばらく、ずっとこんな調子なんだよ。あの大雨にやられてから、御守りの効果が薄れてきてるんだと思う」心もとない顔をして、ゲールは着替えたスラックスのポケットから何かを取り出して見せてくれた。
小さな、ウサギの足だ。
薄汚れて、もう毛が擦り切れてぼろぼろになっている。黒ずんでいるけれどちゃんと純銀製のキャップを被せてある。古来より「魔女殺しの証」などと呼ばれる、正式な手順を踏んで作られた護符だ。オカルトショップによくあるような、それっぽいまがい物なんかじゃない。さすがによく知ってるな、とこんなことで感心してしまった。
だが、もっと言えば、このウサギの足の護符解釈はキリスト教視点で、異教である彼らを否定する証拠という説が有力なのだが。
それを敢えて護符として使うなんて。勘繰っていくと、これにはただの護符以上の意味があるのかもしれない。現に封じられていた魔力の痕が、赤黒く漏れ出て残っている。
「なるほど、きみを狙っているのは単に死霊ってだけじゃなくて、魔女のそれなんだね」
彼にというよりも、つい思ったことがそのまま口について出て、「さすが」と目をまん丸にされて、当の本人に驚かれてしまった。




