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エートス 風の住む丘  作者: 萩尾雅縁
第二章 Ⅳ ホームパーティーのはじまり、はじまり
29/99

28.見せないだけで悩みはあるんだ

 当たり前のようにバーナードさんの隣に座るアルビーに、文句の一つも言えなかった。アルはマリーに対してさえ、初めにドレスを褒めただけで、もうそれ以上の言葉をかけなかったのだから。

 それからずっと、僕たちには解らない話をバーナードさんと二人でしている。マリーはこういう時、きちんとわきまえるんだ。二人に絡みたい素振りのミラの機嫌をとって、察しの悪い彼女をやんわりと諫めている。僕に対してとはずいぶん態度が違うじゃないか、とイラッとはくるけれど、そこはあれだ、家族として育ってきた二人だからこその呼吸があるのだ、と諦めている。


 それでも、こんなことなら事情を聴くんじゃなかった。知らなかったから、って理由で拗ねることだってできたのに、などと身勝手な言い分を自分の中に見つけたりもするけれど。

 尋ねないではいられなかったのだ。アルビーが彼のことを心配する理由。あんな完璧な自立した大人に心配しなきゃいけない何かがあるなんて、僕は思いもしなかったから。



 アルビーが話してくれたのは、さすがに僕のくだらない嫉妬心なんて及びもしない問題だった。アルビーとバーナードさんの研究所内での、学術的な立場の絡む難しい話だ。


 バーナードさんが僕の面談を切り上げたのは、話してくれた通り、かつて師事していた教授の出版記念のためではあったけれど、彼は直接教授の家へ伺い、パーティーには出席しなかったのだそうだ。だから、昼の準礼装(セミフォーマル)のブラックスーツを着ていたのだ。僕に嘘をついたわけじゃない。

 そしてアルビーは、夕方からの出版記念パーティーが始まる前に彼に逢って、僕のことを聴いた。だから夜の礼服、タキシードを着ていたって訳だ。

 

 バーナードさんがパーティーに出席しなかった理由が、アルビーの心を占めている当面の問題だ。


 それは、僕たちが夢中で聴いていたバーナードさんの話、もちろんセクシーな色についてだけではない“身体的認知”の考え方に関することだった。

 彼が教えてくれた「五感から得る情報が無意識に影響を与えて、本人も気づかないうちに思考や判断を左右する」という仮説に基づいた本を出版する教授に対して、バーナードさんは真っ向から対立する意見を擁しているそうなのだ。僕たちに話してくれた時でもそうだった。当座の回答として提示したのに、すぐに別の意見にすり替えていた。その場で、僕は何かしら違和感を感じたように思う。だからアルビーの話を聴いて、納得できた気がした。


 バーナードさんはそのために、今、難しい立場に立たされているという。アルビーにしてみれば気が気じゃない話なのだ。「バニーはあれでかなりの頑固者だからね」とため息をこぼしている。


 彼、研究所を辞める気かもしれない――、と。


 普段は澄み切っている深緑の瞳を不安で曇らせて、そんなことを呟くアルビーに、僕の抱える独りよがりな焦燥なんか、ぶつけるわけにいかないじゃないか。


 僕だって彼と接していたこの1か月の間に、どれほど彼がアルビーにとって大切な存在なのか、納得せずにはいられなかったのだから。アルの傷ついた心を癒し支えてきたのは、間違いなく彼なのだ。その意味では、僕は心から彼に感謝している。嘘じゃない。だから今は、アルビーの抱える不安を一掃できるようにすることを一番に考えたい。



 と心は固く決意しているのだが、拠り所のないぐらぐらの体は手持ち無沙汰で落ち着かない。間を持たそうと、ローテーブルの上に置かれたオードブル盛り合わせを物色したりもするのだが、如何せん、もうお腹いっぱいだ。


 席を外している間に、更に品数が増えている。それに、生ハムやチーズに比べて売れ行きの悪かった野菜スティックが、アレンジを変えてちょこんと皿に並んでいる。一口サイズにカットされ、サーモンやクリームチーズといっしょに薄切り胡瓜にくるりと巻かれているのだ。生ハムもチコリに可愛らしく盛りつけられて。


 マークスやスペンサーがこんなにも頑張ってくれているのかと思うと、ゲールの差し入れの蜂蜜(ミード)酒は、彼らにあげるべきだろう。


 でも、あからさまな報酬を彼らに渡すのはご法度だし――。


 

 と、ほとんど強引にアルビーたちから意識を逸らして、彼らのことを考え始めた時、ゲールがシャワーを終えて戻ってきた。あのはにかんだ笑みを湛えて、どこかぎこちなく。


 その理由が、今の僕にはしっくりと解るような気がする。ゲールの瞳は、ソファーに陣取る煌びやかな一群を跨いで、僕だけを探していたから。


「ありがとう、コウ。おかげでさっぱりした。それに着替えも」と、ひょいと腕を上げる。


 いかにも上質なそのドレスシャツはアルビーに合わせたサイズらしく、ゲールには少し大きい。スラックスも長すぎで、あれじゃ裾を踏むんじゃないか。そのへん彼は気にしてないようで、僕の視線を捉えると、ほっとしたような、屈託のない笑顔をいっぱいに溢れさせた。


「そのうえ洗濯までしてもらえて、すごい助かるし。こんな大都会のロンドンで、ブラウニーがきびきび働いている家があるなんて、ほんと、驚かされることばかりじゃん!」


 なんて――。






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