1.常春のカフェは薄ら寒い
そのいつもの場所は
彼の日常に
個性に
そしていつしか、生き甲斐になる
ヴィクトリア駅からほど近い、歩道に面したカフェにいる。
マリーにつき合わされてやって来た「ペギー」は、いかにも彼女好みの可愛らしさに溢れた、うきうきした花畑のような店だ。
広い格子窓越しに見える店内はベビーピンクの内装で、大きなショーケースが置かれている。そこに色とりどりのカップケーキがたくさん並んでいるのだ。それらは皆、薔薇やパンジーなどの花型クリームで飾られていて、とても可憐で華やかだ。この前で思い思いに好みの花摘みをしているお客さんもまた、花のように可愛らしい女の子ばかりで。
僕はどうも、常春の別世界を覗き見しているような気分になる。
つまり、内側ではなくその境界、パステルピンクの外壁に一列に沿った白のカフェテーブルに男一人座って、目のやり場に困ったあげく、同じく白が基調の豪奢なフラワーアーチが飾られた入り口をぼんやり眺めてごまかしている。
そんな今の僕は――
居たたまれないことこの上なくて。
おまけに今の季節は春ではなく、秋なのだ。この国に来てから二度目となるこの時期は、平年通りなら駆け足ですぎていくはずなのに。冗談のように晴れ渡った日ばかりが続いて未だ暖かい。朝、家を出る時に羽織ってきたパーカーも、日中は出番なしでリュックにつっこんだまま。
寮生活で想像を超えた寒さに凍え、引っ越しを決意したのが去年の今ごろよりも前のことだったなんて、それこそ嘘のよう。
この陽気では、店が装飾を秋向けにしないのにも合点がいくというものだ。それとも、女の子に人気のお店って年中こんな感じなのかな。
――などと、とりとめのないことばかり考えて時間を潰している。
そんなどうでもいい思念も、スマートウォッチに「少し遅れる」と短いメッセージが表示されるや否やぴたりと止んだ。
ほっとして、ぱたりとカフェテーブルに腕を投げ出した。凝り固まっていた気恥ずかしさが急激にほぐれて、ほうっと吐息が漏れる。
キシキシとした現実に、ほんの少し風穴を開ける余裕ができたみたいだ。
赤チェックの長袖の腕はすっかり脱力して、飲みかけのカプチーノを持ちあげる気にもなれない。たっぷりのクリームの上にピンクの薔薇が三輪のったカップケーキに視線を移す。
なんとなく、その横にあったテーブルナイフを持ちあげて。
ついと三角に、空を切りとった。
とたんに噴きでる、透きとおる赤。
溢れだす、重厚な石造りの建物に挟まれた車道へ。
怒涛となって襲いかかる。
行き交う車の走行音に被さり、押し流し、うねる、重く、低い音。音。
ぷすぷすと大地を舐める、焦げた臭い。
古都ロンドンに身を置きながら、こんな景色を視てしまう僕は、ちょっと変わっているかもしれない。
でも――、ものの考え方や感じ方が、普通の人とそうかけ離れているとは思わない。このカフェの、他のテーブルにいる人たちと同じ。美味しいものを食べたり、綺麗な景色を見たり、それから、――好きな人と一緒にいるのが何よりも幸せだとつくづく思える、そんなごく平凡な人種だと思う。
だけど、僕の好きな人は、こんな僕と比べてかなり変わっているのは間違いない。
彼、アルビーは、25歳の若さで博士号を取得した秀才なうえに、道を歩けば10人中10人が振り返る突き抜けた美人だ。ともあれ、彼が変わっているのはそんな目に見えることだけじゃない。彼の考えること、それに行動。それらがとんでもなく難しい。
まず、どうして僕みたいな冴えないやつを好きになってくれたのかってことからして、今もって謎。何度か尋ねてみたけれど、「コウの好きなところはいくらでも挙げられるよ。だけど、なぜ、僕が、コウを、好きかってことは、僕の専攻する心理学でもってしても、明快な答えは出してくれないだろうね」と甘い笑顔でごまかされた。
彼は僕には難解すぎるだまし絵みたいな人なのだ。とても綺麗な森と泉の風景だと思って見とれていると、実は風景画なんかじゃなくて怖い顔の肖像画だったりする、あれだ。
あ、この喩えは、彼には怖い二面性があるって意味じゃない。彼は今まで出逢ったどんな人よりも優しい。
と、赤くフィルターのかかった道の向こうから、待ち人がやって来るのが見えた。流れる車の合間をすいすいとぬって横断している。
本当に「少し」遅れただけなんだ。