守護者の封印
「私が、妖精女王候補……?」
呟いてみても、実感なんてない。
私が妖精女王候補。
そしてその守護者に。
「シルヴァン様とエドガー様?」
「待て、ロジェ。なぜエドガーも? どうして断言できた」
ロジェ様の言葉に引っかかったものがあるようで、シルヴァン様が聞き返している。ロジェ様は粛々と根拠を話してくれた。
「エドガー様の左目の下の契約紋。以前拝見しました、シルヴァン殿下に現れたものと同じものでございます」
「ほう? 殿下にもこの契約紋が?」
エドガー様が不敵に笑いながら、目元の契約紋を指差した。
ずっとその契約紋について知りたがっていたエドガー様だから、その謎が解けたのが嬉しいのかもしれない。その契約紋は私に繫がってるってエドガー様はずっと言っていたけれど……それが、守護者の証だった?
「私のは背中に出ている。自分で見ることはできなかったが……そうか、このような模様だったのか」
しげしげとエドガー様の契約紋を見つめるシルヴァン様。エドガー様は鬱陶しそうに眉を寄せてるけど、流石に王族に向かって悪態はつかない分別はあるみたい。
「守護者がすでに二人見つかっているのは僥幸です。リディア様、国のため、世界のため、妖精女王候補として立つ覚悟を決めていただけないでしょうか」
エドガー様とシルヴァン様のやり取りを他人事のように見ていれば、ロジェ様から選択を迫られた。
それも、私の人生を揺るがすような、大きな選択を。
せっかくお兄様が落ち着かせてくれたのに、ざぁっと音を立てて全身の血の気が引いていく。
「覚悟を決めるって……それは、拒否はできない、ってことでしょうか」
「拒否をされた場合、現段階では聖女エインセル様が妖精女王候補の筆頭として名乗りが上がるでしょう。ですが彼女が必ずしも妖精女王として相応しいとは限りません」
ロジェ様の含みのある言葉は、神官でありながらも、聖女と謳われる方に対しての敬意は見られない。
お兄様とエドガー様も、ロジェ様の言い方になにか思うことがあるのか、続きを促すように黙っている。
ロジェ様は私を射抜くように見つめ、その真意を語った。
「聖女エインセル様はすでに守護者を一人見つけ、妖精としての第一段階の覚醒を終えました。ですが、それを喜ぶにしては、妖精女王候補に関する世界樹の神託を十年にも渡り隠蔽していたことといい、今の大神殿に対し、懐疑的なところがございます。このままでは大神殿の傀儡となる妖精女王が誕生する可能性もあるのです」
大義名分を掲げられれば、私に拒否権なんてないような気がした。
私は聖女様を知らないけれど、もしロジェ様の話が本当で、妖精女王に相応しくない人だというのなら。
「……一つだけ、教えて下さい」
「私に答えられることならば、なんなりと」
これを口にするにはとても勇気がいった。
お兄様はきっとお怒りになるかもしれないけれど、私はこれを聞かなければならないと思った。
そうじゃないと、覚悟も何も決められず、私はきっと、途中で逃げ出してしまうから。
「私は、人間ではないのでしょうか。母から生まれたと聞いていた私は、本物のチェンジリングなのでしょうか」
「リディア!」
予想通り、お兄様は私を咎めるような感情をのせて、私を呼んだ。
お兄様の方を見る。
私、ちゃんと笑えてるかな?
「お兄様。もし私がチェンジリングであれば、お兄様の本当の妹君がどこかにいらっしゃるはずです。本来その方が受けるはずだった生活を私が奪ってしまったのよ。私がいなければ、お母様はきっと不義をしたと疑われることもなく、お兄様とお父様の仲もこじれることはなかったでしょう」
「私のリディア。よくお聞き。君が何者でも、私は君の味方だと言ったばかりだろう?」
「お兄様には感謝しています。ですが、本物の『リディア』がいるのであれば、在るべきところに戻すべきではありませんか? その方にも既に根付いた生活があるかもしれませんが……もし悲しい思いをしているのであれば、お兄様がお守りして差し上げるべきです」
この話を聞いてからずっと、思っていたこと。
私が妖精女王候補であるなら、それはきっと。
なおも言い募ろうとするお兄様にの唇に指を当てて、もう話さないでと笑いかける。
大丈夫。どんな答えが返ってきても、私は笑う。
私はロジェ様に視線を向けた。
ロジェ様は私の覚悟を受け取ったのか、そっと口を開く。
「お答えいたします。リディア様は確かにチェンジリングでございますが、妖精としての覚醒がまだの現段階では、半人半妖の存在にあらせられます。また『本来のリディア様』は既に輪廻の輪の中に還っていることでしょう」
「それはどういうことですか?」
「妖精女王候補たちは、母体の腹でうまく育たなかった水子とすり替えられるのです。これは妖精女王の慈悲であると、神殿の古き書に伝わっております」
「それじゃ、お兄様と私は」
「母体の腹を転移の門として使用しているだけございます。……ご家族との血縁に関しては、ないものかと」
そう。
そうなんだ。
私はほっとした。
それならいい。
私がお兄様から頂いていた愛情は、誰かから奪ってしまったものじゃない。
後ろめたいものじゃないと、思えることが嬉しい。
だけど、今までお兄様との繋がりの寄す処にしていた血縁という関係が、今まさになくなったことは、寂しかった。
「……リディア嬢」
「さきほどから思っていましたが、リディアでいいですよ。シルヴァン様とは浅からぬ縁があるようですし。私の方が、身分が下なのですから」
私は強張りそうになる頬をがんばって引き上げると、シルヴァン様に笑いかけた。
大丈夫。笑って。笑うの。大丈夫。
「ロジェ様。妖精女王候補は、聖女様と私以外、まだ見つかっていないんですよね」
「はい。十七年前にはこの世に六人の妖精女王候補を産み落とされたと大神殿に神託があったようですが、大神殿はそれを隠蔽していたようです。他の神殿ではまだ妖精女王候補の発見したとの報告はありません」
「神託というのはなんだ?」
エドガー様がずっとロジェ様の口に上がっていた神託について言及する。そうだよね、その神託の具体的なことを知らないことには何も始まらない。
「【精霊樹の連理】【苛烈なる不死鳥】【人魚姫の泡沫】【銀鍵盤の階梯】【妖精の卵産み】【冥底の死神】―――この六人の妖精が女王候補として産み落とされたこと。十七年後、四人の守護者により封印を解かれ、彼女たちは妖精女王候補として覚醒することが、神託として下りたものでございます」
「守護者は四人なんだな?」
「はい」
「ふむ」
エドガー様は腕を組み、一つ納得したように頷かれると、ちらりと私の方を見た。
「小娘」
「はい」
「覚悟はあるのか」
エドガー様にも尋ねられて、へらりと笑う。
「大丈夫です。私、こう見えても打たれ強いんです。きっと、なんとかなります」
「現妖精女王の在位は五百年を超える。歴史を見れば千年もの在位についた妖精女王もいた。貴様にその覚悟が本当にあると?」
ひくりと、喉が引き攣りそうになった。
そんなこと、そんなこと分かってる。
私に与えられた使命が、酷く孤独な未来を指し示していることなんて、気が付かないわけがない。
守護者はたぶん普通の人間だ。
世界樹を育む妖精女王に従属する人間がいるなんて聞いたことがないもの。
だからきっと、守護者が必要とされるのは、妖精女王候補である間だけで。
妖精として覚醒し、長い時を生きることになれば、きっと私は『リディア・プライド』として生きた十七年間で出会った人たちに先立たれていくことになる。
それを、次の代替わりが行われるまで、繰り返すんだろう。
分かってる、分かってるよ、エドガー様。
でも、だからといって、代わりのいない、世界の根幹に関わるこのお役目を放り出すのは、無責任でしょう?
だから私は笑った。
「きっとなんとかなります。それに、守護者が全員見つかるとは限らないのでしょう?」
「左様でございます。神託を隠蔽した大神殿ですら、まだ一人の守護者しか見つかっていないのですから」
なら、私が妖精として完全に覚醒することもまた、絶対ではないのよね。
「……すまない。私からも良いだろうか」
「どうぞ」
「妖精に一度でも覚醒すれば、もう人には戻れないのかい?」
お兄様が挙手をして、ロジェ様に質問をする。
その優しい質問に、私の息が詰まりそうになる。
「覚醒の段階によります。最終段階にまでいけば、肉体を捨て、精霊体としての存在になるので、寿命や死の概念が人間とは全く別物となりましょう。逆説的に言えば、それまでの覚醒の段階はまだ人の理の範疇にあり、守護者による守護がなければ、妖精として覚醒する前に死亡してしまう可能性もあるということです」
ロジェ様の物騒例えに、お兄様の表情が厳しいものになる。
「実際に、過去にもそういった例が?」
「ジェリー・シー・フィー様が妖精女王候補だった時代に、他の妖精女王候補が覚醒前の妖精女王候補を殺害した記録がありました。あの時代にジェリー・シー・フィー様しか覚醒できなかったのは、そういった事情もございます」
ふるりと背筋が震えた。
妖精女王候補として立つことは、そういった危険にさらされる可能性もあるんだ……。
そうはいっても、ここまで聞いてしまったら、もう自分の運命から逃げ出すわけにはいかない。
大丈夫。
きっと大丈夫。
ここまで来たら、もう腹をくくってしまえ。
「覚醒の仕方ってどのようにするんですか?」
「それは守護者が知っております。口伝や神託もなく、それでも過去の妖精女王候補たちが覚醒をしていたということは、妖精女王候補側が守護者が知っているものと推察いたします。リディア様がお知りにならないのであれば、守護者側が知っているものかと」
「……少しまて。殿下、お耳を」
エドガー様がソファーから身を乗り出し、シルヴァン様に何か耳打ちをした。シルヴァン様はしばらく頷いていたけれど、だんだんその頬が紅潮し始めて、エドガー様に何か耳打ちをする頃には、頭が湯だってないか心配になるくらいに真っ赤になっていて。
「シルヴァン様? 大丈夫ですか?」
「だ、いじょうぶだ! エドガーのおかげで、覚醒の方法にも見当がついた」
エドガー様とシルヴァン様は、覚醒の方法に心当たりがあるみたい。
それなら、と私はエドガー様を見る。
「エドガー様、私を覚醒させてください」
「今ここでか?」
「リディア!」
エドガー様の確認の声に、お兄様の悲鳴が重なる。
私はお兄様をなだめるように、微笑む。
「こういうのは、思い立ったが吉日っていうでしょう? 私にしかできないことだもの。なら、やるべきだわ」
「リディア、よく考えるんだ。今ならまだ、聞かなかったことにしておける。わざわざ危険なことに身を投じる必要はないんだ」
必死に私を引き留めようとしてくれるお兄様。
こうして、お兄様が私のことを心配来てくれるだけでも嬉しい。
大好きなお兄様。
幼い頃に伯爵家を追放されながらも、私のことを気にかけてくれていた。君は私の妹だと言って、お師匠様のもとで暮らす私に会いに来てくれた。私の、大切な家族。
だからこそ。
「お兄様が暮らす世界だもの。ロジェ様の言ったことが杞憂であればいいけれど、もしそうじゃなかったら、私はひどく後悔するかもしれない。それなら最初から、私が理想の世界のために頑張ったほうが、絶対いいと思うの」
畢竟、私がそう在りたいだけ。
お兄様が優しく私を見守り、慈しんでくれたように、この世界が優しい世界であればいいと願いたいだけ。
そして私には、それを願う資格があるから。
「エドガー様、お願いします」
お兄様がここまで取り乱すのを、初めて見た。
だけど私の決意は変わらない。
後悔したくない。
お兄様やお師匠様からもらった愛情の分だけでも、私は誰かのために存在していたい。
ごめんなさい、お兄様。
私の身勝手な行動を、どうか許して。
貴方が私の味方でいると言ってくれた言葉が私の背中を押すの。
「いいんだな?」
「はい」
「覚醒はそれほど儀式めいたものではないと思うが、お前に起こる変化がどのようなものかは分からない。人間に戻りたいと思っても、戻れないかもしれないぞ」
「覚悟の上です」
嘘。
本当は怖い。
ちょっとどころか、今だってやっぱりやめます、って言いたいくらいに怖い。
だけど、そんな気持ちは全部、全部飲み込んで。
「お願いします」
「分かった」
エドガー様が立ち上がる。
ローテーブルを巡り、私の前に立つ。
エドガー様の右手が私に伸びてきて。
「……何の真似だ、ホーネスト」
「私はまだ納得していない。私のリディアに触れるな」
琥珀の瞳を濃くぎらつかせたお兄様が、エドガー様の腕を掴んだ。