お兄様と魔術師の押し問答
「私の可愛いリディア。良い子だから今日はお店を閉めなさい。こんな輩がいては私も不安だし、おちおちと店も開けられないだろう。この方は私が丁重にお帰りいただくから、私達が出たら、鍵を締めて、鎧戸を下ろしてしまいなさい」
「おい、ずいぶんな言い草だな。私は帰らんぞ」
「筆頭魔術師殿はどうやらご乱心のようだ」
ふふふ、とお兄様は笑ってるけど、にじみ出る怒りのオーラは全然隠しきれていないです。
しかも相手も悪い。めちゃくちゃ怒ってるお兄様に、ざぷざぷと油を注いでくる。
「乱心しているのはその小娘だろうが。この私によく分からん魔術をかけているんだぞ? これが乱心と言わず何と言うか」
「妹は人違いだと言いました。心当たりもなさそうです。どうかお引き取りください」
「魔術の領域でこの私の目を誤魔化せると思うか? 引くのは貴様だ、騎士ホーネスト」
バチバチと二人の間に視線の火花が散ってるのが見える。
ああ〜、これじゃあ埒が明かないし、さっきから扉開けっ放しだから、通りを歩く人たちが何事かってチラチラこちらを見てくるのもいたたまれない。もう、仕方ない。
「……ええと、エドガー様? とりあえず中へ。お兄様は、お仕事がありますし」
「今日の仕事はたった今、リディアを悪漢から守ることに変更されたよ」
「え? でも、お兄様、今日のお仕事が」
「可愛いリディアを守るのは騎士の領分。つまり私の仕事だね?」
お兄様は過保護すぎる。こんなことで伯爵家のお仕事は大丈夫なのか不安になる。
でも私としては、このいきなりやってきた魔術師様を一人で相手にするのは心細いとも思ってたから、お兄様の気づかいが嬉しい。
「……分かりました。では中へ。お茶を用意しますから」
とりあえず、何か誤解があるのは間違いないと思う。
だからまずは、魔術師様の話を聞くことから始めよう。
キッチンで三人分のお茶を入れて、お店の奥にある工房へ。
工房に入ると、自分の家のはずなのに帰りたくなってしまった。
「私の可愛いリディアをなんだと思っているのです? 貴方の目は節穴ですか?」
「誉れ高い騎士ホーネストともあろうものが情けない。私ほどの魔術師に気づかれず魔術をかけるとは、これはひいては国への脅威になるだろう。放っていいのか?」
「私のリディアが間者だとでも?」
あの二人の間に割って入るのは勇気がいるなぁと入り口の所で躊躇っていると、お兄様が私に気がついてにこりと笑った。
「リディア。やはり魔術師殿にはお帰りいただこう。せっかくお茶を淹れてくれたのに」
「帰らんぞ。この魔術を解くまではな」
ハッと鼻で笑うエドガー様。お顔の造形がお兄様くらいかっこいいのに、ちょっと性格というか言動が粗雑に感じてしまう。その割には椅子に座る姿勢とかは背筋がピンと伸びていて綺麗だけど。
「お兄様、落ち着いて。エドガー様も」
このままじゃ平行線をたどりそうな気配を感じて、腹をくくって工房へと入る。
作業台を挟んで向かい合わせに座るお兄様とエドガー様の真ん中に、お茶菓子のビスケットを置く。少しでも雰囲気が良くなるように、私秘蔵の高級ビスケットだ。
「エドガー様は、私が魔術を使われていると言いますが、本当になんのことか見当がつかないんです。ごめんなさい」
お茶をそれぞれの前に置き、トレーを脇に寄せると、私はお兄様の隣に座った。あんまりにも心配なのか、お兄様が私の腰へとそうっと腕を回してくる。
「では無意識下の魔術というのか? たちが悪すぎるぞ」
「ごめんなさい……」
「可愛いリディア。リディアが謝らなくともいい。そもそも魔術師殿の妄言なのだから」
「おい」
エドガー様がじろりとお兄様をにらむけど、お兄様はふふふと笑ってる。もちろん目の奥は笑っていない。
「あの、エドガー様」
「なんだ」
「その、エドガー様には悪いんですけど」
「ああ?」
「……私、魔力は持ってても、魔術は使えないんです」
「なんだと?」
エドガー様が訝しがるような視線をこちらに向けてくる。青い目を向けられて、私はちょっと居心地が悪くなりなる。
そうなのです。私、魔力持ってても魔術が使えないポンコツなのです。
たぶん師匠が特殊だったせいもあるけど。
師匠の魔術はかなり特殊で、普通は呪文や魔法陣を使う魔術を道具にしてしまう。魔力を物質化して、魔術を物理的な形に保存するんだけど……私は普通の魔術を覚えるより先にこっちを覚えてしまったからか、元々の素質のせいか、実は魔法陣や呪文を使った魔術が使えなかった。
それを説明すると、エドガー様はさっきまでの威勢はどうしたんだっていうくらいにぽかんとした間抜け面になってしまった。
「……お前、それを分かって話しているのか?」
「え?」
「それはもう、魔術ではなく魔法の領域だ。その区別もつかんのか」
魔術は体系化された人間の法則、魔法は妖精とか精霊とかが使う力、ってことは知ってる。そう師匠に教えてもらったけど。
「え、これ魔術ですよね?」
「魔力を物質化? 魔術の物理保存? 体系的に話してもそれは魔法の領域だ。そもそも魔力を物質化するために魔術がある。その逆はできん」
今度は私がぽかんとする番だった。なんだか頭がこんがらがってきて、横にいるお兄様を見上げる。
お兄様は私の頭をよしよしと撫でた。お兄様に頭を撫でられるとちょっぴり安心するけど、待って、私十七歳。子供扱いはしないでほしい。
「えぇと……」
「お前が役に立たなさそうなのは分かった。ならば私が自分でどうにかするまでだ。解呪ができるまで、しばらく厄介になるぞ」
「へっ?」
厄介になるとは?
疑問符を頭に浮かべていると、またぐっと周りの温度が下がった気がする。
「却下です」
「お兄様?」
「うら若き乙女の家に転がりこむとは、筆頭魔術師とは思えぬ下劣さですね」
「解呪のためと言っただろう。そういう下衆な思考こそが下劣とは思わないか?」
お兄様の言葉にエドガー様がしようとしたことを理解した。なるほど、解呪できるまで、同居させろってこと?
ふんふん、と思いながら、ぐっと冷え切った空気の中でぽやっと明後日の方向へ思考を飛ばす。この二人、相性が悪すぎる気がするのは、気のせいじゃないと思う。
「エドガー様、日中はお店にいらしてもいいですよ。私にはやましいことは何もありませんので、お好きにお調べください」
「阿呆か。夜もだ。貴様、夢にも干渉してきているんだぞ。夜こそ調べさせろ」
「リディア、嫁入り前の娘がこんなこと聞く必要はないよ。お引き取り願おう?」
エドガー様、暴論すぎる。さすがに私だって知らない男の人とひとつ屋根の下はご遠慮したい。それからお兄様は筆頭魔術師様に対して強気が過ぎます。
「ええと、さすがに家も狭いですし、筆頭魔術師様をおもてなしするような場所でもないですし……」
「不要だ。夜、お前の部屋に出入りできれば問題ない」
「問題ありすぎる気がしますが??」
お兄様ではないけど、それはさすがの私もご遠慮いただきたいよ!?
お兄様とエドガー様がそれぞれ主張する。ちなみに私はお兄様の味方。さすがに知らない人と一つ屋根は遠慮したいです。
ひたすら平行線を辿った果てに、エドガー様が盛大に舌打ちした。
「そんなに気になるのならばお前も泊まればいいだろ」
「……」
え、お兄様、なぜにこちらを??
「お兄様、エドガー様、どちらにせよ、お二方がお泊りできるような部屋がありませんよ?」
「……」
お兄様、どうして笑顔で頭を撫でてくるのでしょうか??
「そういうわけなので、エドガー殿はお引取りを」
「宿泊が目的ではない。眠っている時に発動するだろう術式を解析させろと言ってるんだ。それさえできれば場所にはこだわらん。そんなに心配ならそちらの屋敷を借りて、見張りもつけた部屋で同室にさせればいい」
「淑女の眠る部屋に同室になることが論外だと言っているのです」
「淑女以前にこいつはよく分からん術式を無意識に使用している馬鹿だぞ。今は害がなくともその内何かしら影響が出てきたらどうする。無意識でやっているなら術者であるこの娘すら危険なことを理解していないのか?」
お兄様の一の言葉にエドガー様が百で返すようなやり取りが続く。はらはらとしていると、ちょっと無視できない言葉が聞こえた。
「私も危ないんですか?」
「お前は馬鹿か? 眠っている間に無意識で魔術を行使しているということは、本来なら睡眠で回復する魔力が回復していないということだ。何かの拍子で魔力が暴走した時に制御できないのは勿論、枯渇したらそのまま死ぬぞ」
……ちょっと笑い事じゃなかった。確かに冷静に考えてみればそうだ。でも、いままでそんなに魔力がゴリゴリ減ってる感触も無かったしなぁ。慣れちゃってたのかなぁ。
お兄様を見てみれば、不機嫌そうに流麗な眉をしかめていらっしゃる。
「……リディア」
「はい」
「やはり屋敷に来なさい。エドガー殿の言葉も一理あるけれど、ようするに君が眠っているときに魔術を使用しているかどうかが分かればいいのだろう? ならばそれはエドガー殿自身が確かめずとも、私でもいい。私も多少は魔力感知ができるからね。まずはそこからだ」
「おい」
「そういうことで、エドガー殿はお帰りください。しばらくは責任を持って彼女は私の方で見ますので。何かありましたらご連絡いたします」
「おい待て」
「お帰りはあちらです」
お兄様がくるりと手のひらを返して出入り口を指し示した。エドガー様の目が据わる。うわぁ。
「私が見ると言っているだろうが」
「却下です。私のリディアの寝顔を見せるなど、言語道断です。それとも何でしょう。エドガー殿は淑女の寝顔を見ることがお好きな変態であると?」
「そういうことじゃないだろうと言ってるだろうが!」
イライラしたらしいエドガー様が盛大に舌打ちした。この人、いい大人なのに、ガラが悪いなぁ。
ずずず、とお茶を飲みながら、二人の話の行く末を見守る。
堂々巡りでなかなか話は進まず、結局お昼を過ぎた頃、お兄様の従者の人がお兄様を探しに来たことにより、決着がついた。
その結果、私だけじゃなくて、エドガー様もしばらく伯爵邸で厄介になることになり、これがまぁ落とし所だろうとは思った。お兄様は納得していなかったみたいで、不機嫌になっちゃったけれど、「毎日おやすみなさいが言えますね」って言ったらコロッと機嫌が治ってしまった。