一夜明けて
ティルダさんに案内された部屋は、客室と聞いていたのに、お兄様が私のために整えてくれていたタウンハウスの部屋の倍は広さがあった。
さすがお城……私、本当にここに泊まっていいの……?
おそるおそる部屋に入ると、ティルダさんは私に向かって一礼をして。
「改めまして、リディア様。妖精女王候補としての覚醒、誠におめでとうございます」
「あっ、ありがとうございます!」
「つきましては、ここでお過ごしになられる間は、不肖ながらわたくしがお仕えさせていただきたく存じます。よろしいでしょうか」
「えっ? つ、つかえる……?」
まさかの申し出に思わず声が裏返ってしまえば、ティルダさんはどうじた様子もなく整然とうなずいて。
「リディア様は妖精女王に連なる大切な御方でございます。シルヴァン第三王子殿下からも、ロジェ大神官からも、そのように心得てお仕えするよう、申しつかっております」
「そんなっ! 私なんてただの平民です! そんな急にかしこまれても」
「王子殿下も仰っておりましたが、そのような存在になられたのでございます。ご自覚を」
ティルダさんの厳しい声音に、私は少しだけ怯んだ。
やっぱり私には荷が重いことだったのかも……と、弱気な私がむくむくと顔をのぞかせるけど、でも、と顔をあげる。
なってしまったんだから、腹をくくるんだ。
そう、決めたのは私だもの。
だから無理やりにでも、笑顔をつくろって。
「そうですね。ティルダさん、よろしくお願いします。慣れないことのほうが多くて、ティルダさんにもご迷惑をおかけするかもしれませんけど」
「もったいないお言葉でございます。ではさっそく、寝支度と参りましょう。湯はお使いになられますか?」
「お風呂! あの! はい! ぜひ!」
お風呂に入れる!
その一言だけで私の気持ちは一気に持ち上がる。
夜会仕様でお化粧もしっかりしてるし、髪には整髪料も沢山かけているから、お風呂に入れるのは本当にありがたい。
そんな私を眺めて、ティルダさんは小さくうなずくと、一度部屋の外へと退室し、少しもしないうちに小箱を抱えて戻ってきた。
なにかしら? と、化粧台に置かれたそれをのぞいてみれば、これは裁縫箱?
「ティルダさん、これは?」
「湯の準備をしている間、採寸をいたします。お背中に羽がございますので、お召し物のご用意をさせていただくよう、ことづかっております」
誰から、なんて聞かなくてもわかる。
たぶんシルヴァン様。
遠慮しようかとも思ったけど、でも明日着る服がないのも事実だし……細やかな心遣いに感謝しかない。
私はティルダさんにお願いして、服を作ってもらうことにした。
至れり尽くせりで怖いけど……でも、怯んじゃいられない。明日からはもっと、私の知らない世界が待っている。
それはまるで、彩度がすっかり変わってしまったこの視界のように。
あるいは、これまで存在しなかった背中の羽のように。
私の明日は、今日までときっと違う。
そんな思いにふけりながら、高貴な人の集う王城の一角で、私の夜は明けていった。
翌朝、私はティルダさんに起こされて目が覚めた。
自分でも驚いたことに、朝だと思っていたらすっかりお天道様は真上に来てしまっていて、お兄様を待たせてしまったと焦っていたら、ティルダさんに「覚醒の反動があるだろうことは事前にお伝えしておりますので、ご安心ください」となだめられてしまった。ティルダさんの仕事っぷりが完璧すぎます。
ちなみにだけど、起きたらいつものように、布団の中に魔石がころんと転がっていた。うっかり起き上がるときに踏みつけてしまって、痛かった。ここ最近で一番の大きさの魔石だった。
そんなちょっとしたことがありながらも、昨晩、王城の立派すぎるお風呂で文字通りゆっくりと羽を伸ばせれたことが良かったのか、十分すぎるほど十分に睡眠を取ったのが良かったのか。昨日あれだけ濃厚な一日を過ごしていたわりには、すっきりとした目覚めで、身体は軽かった。
ティルダさんから、夜の間に侍女さんたちが繕ってくれたという服を受け取って、着替える。
オリーブグリーンのワンピースは腰をベルトでキュッと絞り、裾はあまり広がらないタイプ。背中が昨夜のドレス並みに開いていてなんて破廉恥な! って叫びだしたくなったんだけど、アンブレラヨークのように背中を覆う布が要所で縫い留められていて、羽が窮屈になるようなこともなく、服が着れた。
侍女さんたちのおかげで私は、羽のせいで服を破るなんてことをしなくて済んだみたい。ありがとうってティルダさんに伝えたら、ティルダさんはほんの少しだけ頬をゆるめてくれた。
なんだかんだと言いながらようやく身支度を整えた私が客室の奥にある寝室から出ると、客室に備えられた居間の方に既に一同揃っていらっしゃった。
「遅かったな、待ちくたびれたぞ」
「エドガー、反動があるかもしれんから様子を見るよう言っていたのはそなただろう」
「リディア、おはよう」
「おはようございます、リディア様」
王子殿下の目の前にも関わらずソファーに座ってふてぶてしく悪態をつくのはもちろんエドガー様。それをたしなめるシルヴァン王子は上手にある一人がけのソファーに座っている。お兄様はエドガー様の向かいの三人がけのソファーに座っていつもと変わらない優しい笑顔を向けてくれて、ロジェ様は昨日と同じくシルヴァン様の背後に従者のように立っていらっしゃった。
ティルダさんはお兄様の隣りに座った私にお茶と軽食の用意をしてくれると、部屋の隅に待機する。出入りしていた他の侍女さんたちは、ティルダさん以外全員が退出していった。
「食事はまだだろう? 私たちに気にせず食べるといい。話は食べながらも聞けるものだ」
「す、すみません。お気遣いいただいて……!」
もっと早起きするべきだったのに、私がだらしないばかりにご迷惑おかけしてます……。
申し訳なくて恐縮していると、お兄様からはお茶を勧められ、エドガー様は自分のティーカップに手を伸ばし、シルヴァン様はからりと笑われた。
「本当は貴女の支度がすべて終わるまで待とうとも思ったのだがな。私のほうが公務で忙しくて、どうにもいかない。残りの守護者探しに関しては、エドガーに一任するつもりだ」
「あの、そのことなんですが」
お兄様にハムのサンドイッチを手渡される。
お兄様、お兄様、食事の補助しなくても、私食べれます。……じゃなくて。
「あの、守護者の人って近くにいるんでしょうか」
「さてな。一人はともかく、もう一人の方はどこにいるのか分からない。とりあえず王都の外に出るようならば旅支度がいるだろう」
「旅支度……」
当初の予定の滞在日数とかなり変わってくる。
そうなると、私もちょっと気がかりなことが増えてしまって。
「やっぱり一度、家に帰ってもいいでしょうか? こんなことになるとは思わなかったので、しばらく留守にするとなると、やることが色々……」
「そうだな……できれば今後、貴女には国の目が届くところにいてほしいのが本音だ。城に……は難しくとも、せめて王都にはいてほしい。アルベルト、そなたの屋敷に住んでもらうことで良いか? 彼女も気心知れたそなたの傍なら安心するだろう。それと、兄上も領地から通うそなたのことを心配していたしな」
「父が急死した際に、第二王子殿下が私を手放していたら、私も忙しい身の上にはならなかったはずなのですが?」
「兄上も昔馴染みのそなたを手放すのが惜しかったのだろうよ。私の騎士がこの場にはいないから言うが、王族といえども、護衛が四六時中見ていると思うと息が詰まる」
苦笑するシルヴァン様とは対象的に、お兄様も表面上は微笑を浮かべているけれど、内心面倒だって思っているのがなんとなく分かった。視界にちらつく暗い色の精霊たちが、また少しお兄様のまわりに増えた気がする。
「エドガーはどうだ? 守護者探しの主導権はそなたにあるが」
「伯爵領に戻るだけ手間ですね。それに昨日の覚醒で私と妖精女王候補の魔力的繋がりが薄れている。時間が経つに連れこの繋がりが消えてしまうものなら、急いだほうが良いかと」
「となると……リディアには申し訳ないが、やはり守護者探しを最優先にしてもらわないといけなくなるな。家のことは落ち着いたら、必ず一度帰れるように手配しよう」
すまない、と謝るシルヴァン様。
事情が事情だからしょうがない。エドガー様の言う魔力的繋がりというものが時限式なら、優先事項が変わるのは当然だもの。
一応、ギオ様につられるような形で中長期的に家を開ける用意はしてきた。ただ無期限で、となると話は変わってくる。
だって一ヶ月くらいなら保つでしょうと思っていた保存食、そのままにはしておけないでしょう。それに魔術屋。無人だと思われて、空き巣にでも入られたらたまったものじゃないわ。
ひとつ気がつくと、あれもこれも気になってしまう。貯蔵庫に入れていた干し果物たちは、ねずみに荒らされないかしら。
「リディア、食事はきちんととりなさい」
「あ、はい」
思考にばかりふけっていれば、お兄様にやんわりと食事の手が止まっていることを指摘された。私は手に持っていたサンドイッチをせっせと口へと運ぶ。
もくもくと咀嚼していれば、シルヴァン様がふと翠緑色の瞳を細めてゆるりと微笑んだ。
「アルベルトがそうしていると、本当の兄妹のようだな」
「当たり前です。リディアは私の可愛い妹ですよ」
本当の妹とは言いがたい私のことを、変わらずに妹だって言ってくれるお兄様。
そんなお兄様は世界一かっこいい私のお兄様です。
シルヴァン様が雑談をお兄様やエドガー様にかけている間、私はもくもくとサンドイッチを食べさせてもらった。王城のサンドイッチは、具だくさんでとっても美味しい。
食べ終わる頃、食後のお茶をいただく流れで、シルヴァン様がそろそろ公務に向かわないといけないと言い出した。私たちはこの後、エドガー様と一度、宮廷魔術師のところへ行く予定になっていて、背中の羽をもう少し目立たないように隠せないか、相談しに行く。
シルヴァン様に合わせて、私たちも部屋を出ようかと腰を上げると、申し訳なさそうに、ティルダさんが私にうやうやしく何かを持ってきた。
「リディア様、こちら、リネンの中から出てきたそうです」
「あっ、魔石!」
そうだった魔石が産まれてたんだった!
ティルダさんが差し出したのは宝石のように大切に布製のトレーに置かれた魔石。
リネンの中から出てきたのなら、間違いなく私のだと思う。
一個は回収していたけれど、もう一個、シーツの中にあったみたい。
「リディア、それは?」
「私の魔石です。寝て起きたらできてるんです。一個は回収したんですが、もう一個あったみたいです」
赤ちゃんの手のひらくらいはある魔石。
普段は一個しかできないけれど、稀に二つできることもある。一個は見つけたから、油断していた。
不思議でしかなかったこの魔石も、妖精女王候補としての能力だと言われてみれば納得もする。この魔石から妖精を生むキャンドルができるんだから、お師匠様の慧眼は正しかったわけで。
しみじみと思いながら魔石を受け取って、もう一個の魔石と同じように無造作にポケットにいれようとした。
そうしたら。
「おい待て、小娘」
「わっ」
立ち上がったエドガー様が机を乗り越えるようにして、私の魔石を持っていた腕を掴む。え、なんですか??
「まさか魔石をそのままポケットにしまうつもりか? 子供か? 子供なのかお前は??」
「だってしまう場所ないですし……?」
なんでそんなこと言われてしまうのか分からずに首を傾げれば、お兄様がエドガー様の手を私から引き剥がしつつ、私が持ってる魔石をハンカチにくるんでしまった。
「リディアにとっては普通かもしれないけれど……魔石は貴重なものだからね。もう少し大切に扱うようにと、ナターシャも言っていなかったかい?」
「う……はい。言ってました。ごめんなさい……」
昔からお師匠様に言われていたことをお兄様にも言われてしまって、小さくなる。私はぽこぽこと魔石を生むけれど、普通の人からしたら宝石以上に貴重な石なんだってこと、ついつい忘れがちになってしまう。
そうね、これが普通の反応なんだ。
ばつが悪くて肩をすくめながら、ハンカチでつつまれた魔石を受け取ってポケットにしまう。だけどお兄様の手はまだ私の方に差し出されていて。
きょとんのしながらその手とお兄様の顔を見比べれば。
「一個は回収したと言っていたね。もう一つ、どこにしまったんだい?」
「……さすがお兄様です」
私は同じポケットにしまいっぱなしだった、むき出しのままの魔石を取り出してお兄様の手のひらに乗せた。
さすがお兄様、私のことをよく分かってる。
お兄様は仕方ない子だねと言うように、反対の手で私の頭をなでると、もう一つの魔石もハンカチにくるむ。
お兄様の抜け目のないところ、私は好きですよ。




