第5話 サクラクルクル
湖都に戻り、宿屋で一泊した。眠れないだろうなと思ったが、そうでもなかった。夢に、餓者髑髏が出てきた。私が餓者髑髏だった。動く骸骨である私は世間から気味悪がられ、疎まれ、石を投げられた。そこへ、もう一人の私が現れた。彼女は2つの円月輪を宙に浮かせ、それを餓者髑髏の私にぶつけてきた。その瞬間に目を覚ました。
昼過ぎまで布団から出ることが出来ずにいた。夢の内容について考えてみた。そして、一つの結論に達した。それは、餓者髑髏を憎むことが出来たなら、もっと楽になれたのに、ということだ。
ようやく、私は起き上がって外に出た。賑やかな街の中を少し歩いて、昨日と同じ満開の樹の下で腰を下ろした。膝を曲げ、両手で抱え込み、額を膝につけた。殻に閉じ籠るような態勢で、暫くの間、何も考えずにいた。
「にゃあ。」
ふと顔を上げると猫がいた。薄茶色でお腹は純白の猫だ。猫はじっと私の目を見た。
「こんにちは。その子は茶々丸といいます。落ち込んでいるように見えたあなたの事を心配しているようです。」
私と同じ位の年齢の、ひどく中性的な顔をした少し髪の長い男のヒトだった。
「もし、良ければお餅いかがです?たった今、そこのお店で買いました。」
彼はピンク色の米の形が残ったお餅を私に差し出した。普段なら、初対面のヒトから唐突に勧められる食べ物には絶対に手を出さない。毒が入ってるかもしれない。でも、なんかもうどうでもいいやという気持ちになっていた私は、礼を述べて、迷わずに手を出し、頬張った。
口の中に甘く、少し塩気のあるお餅の香りが広がった。お餅の中にはさらに甘味の強い蕩けるようなあんこが入っていて、私は両頬が落っこちてしまうんじゃないかという感覚に陥った。こんなに美味しい食べ物は産まれて初めてだった。あまりの美味しさで、我慢していた気持ちが一気に溢れてしまい、くしゃっと顔を歪め、私は泣いた。
止めどなく涙が流れた。堰を切ったように激しく泣いた。声を上げて、恥ずかし気もなく泣いた。止まらなかった。私の中に、溜まりに溜まった淀みが全て吐き出されるかのように、号泣した。
茶々丸は、そんな私に身体をすりすりして慰めてくれた。ピンク色のお餅をくれた男のヒトは、ずっと私の背中をさすってくれた。そんなことをされると、余計に泣いてしまう。
暫くして、落ち着きを取り戻した私は、独り言のようにぼそっと声を漏らした。
「王様に会いたい。」
男のヒトはきょとんとした面持ちで私に尋ねた。
「どうしてですか?」
「聞いたんです。この国の王様は心を吸い取ると。」
「心を、吸い取る?」
「はい。私の心を吸い取って欲しい。私の感情も、考えも、過去の記憶も、何もかもを吸い取って欲しい。あ、でも、兄に関することだけは残して欲しい。後は全部、失くしたい。」
「そう、ですか。でも、僕は心を吸い取るなんてこと出来ないですよ。もう。変な噂が流れるの、嫌だな。」
「うん?」
そういえば、王様は猫を連れてるって誰かが言ってたっけ。よく見ると、茶々丸には尻尾が2本あった。
「あなた、もしかして王様ですか?」
「はい。マドリーナ王国、国王、タタラ・マドリーナと申します。」
想像してたのと全然違う。心を吸い取るって聞いたから、私はもっとこう、黒いマントみたいな衣を頭からすっぽり被った黒魔術師的な色白のゾンビのようなヒトを思い浮かべてた。
「王様に大変失礼な振る舞いをしてしまい、申し訳ございませんでした。それにしても、どうして心を吸い取ると思われてしまったのでしょうね。」
王様は、今から言うことは誰にも内緒ですよ、と前置きをして言った。
「私は魂を読み取ることが出来ます。それが変な風に伝わってしまったのかもしれません。」
「魂を?では、私の魂も読み取れますか?」
「実は、先程、あなたの背中に触れた時に少しだけ読み取れてしまいました。大変な人生を歩んでこられたみたいですね。」
私は何も言わず、前足をペロペロと舐めて綺麗にしている茶々丸を見つめた。
「それで、一人、顔見知りがいました。」
「顔見知り?私の魂の中にあなたの知ってるヒトがいたのですか?」
「はい。ちょうど、今のこの場所のように満開の樹の下であなたを抱き締める連翹さんの姿がはっきりと見えました。あなたの魂にしっかりと刻印されていたようですね。」
私はタタラ王を凝視した。タタラ王の顔に穴が開いてしまうんじゃないかという位に。
「そのヒトは槍を持っていますか?」
「はい。槍術の達人です。」
「そのヒトは男性ですか?」
「はい。男のヒトです。」
「そのヒトは人間ですか?」
「はい。3名の護衛官の中で唯一の人間です。」
私の鼓動は高鳴った。必死の想いでタタラ王に伝えた。
「そのヒトに会わせてくれませんか?お願いします。」
「良いですよ。王邸から一緒に街へ降りてきましたから、もうすぐこの道を通ると思います。」
そのヒトを待っている間、タタラ王は茶々丸を抱っこして頬擦りし、茶々丸の背中を撫で、茶々丸の2本の尻尾をもふもふした。にゃあ、と茶々丸は言った。
「来た来た。おぉぉぉい、連翹さぁぁぁん。」
タタラ王は茶々丸を抱っこしたまま、その男のヒトの所まで行って、2人で何やら会話をした。その間、男のヒトはずっと私のことを見ていた。私もその男のヒトから目が離せなくなった。まるで私の魂が糊でぺたんと張り付けられたかのように。
タタラ王だけがこちらに戻ってきた。
「あの、お名前を伺ってもよろしいですか?」
私は立ち上がって、答えた。
「サクラ。私の名前はサクラです。」
タタラ王は再び男のヒトの下へと行った。私の名前を伝えたのだろう。
手に持っていた槍を地面に落とし、私に駆け寄ってきた父は私を抱き締め、わんわんと泣いた。わんわん、わんわんと泣き続けた。さっきの私のように。仕方ない。暫くは泣かせておいてあげよう。だって、父が泣いてくれれば、泣いてくれる程、私のこれまでの人生での苦しさが晴れていくような気持ちがしたから。
ありがとう、お兄ちゃん。
辺りを見ると、淡いピンクの花びらが、クルクル、クルクルと舞い続けていた。