第4話 地獄嶽の墓標
クルマエビは、今日も快調に前進した。それとは反対に、私の気分は沈んでいた。昨日は湖都に行くのがあんなにも楽しみだったのに。河沿いに並んでいる不思議な樹を、早く見てみたいと思っていたのに。
3日後、私は湖都ユマに入った。とても賑やかな所で、通りを行く人々は、皆、幸せそうな顔をしているように見えた。人間と思われるヒトも少なからずいた。湖は街の北部に位置していて、そこから流れる河が都を東西に分断していたが、何本もの橋が掛けられていた。河の両岸には、淡いピンク色の花を無数に咲かせた美しい樹が長い距離を通して並んで植えられていた。風が吹くと、花びらが散って、宙を舞い、地面を彩った。
私は、クルマエビを降り、花を咲かせた樹の根本に腰を下ろした。そうだ。この景色だ。私の心の中で眠っていたおぼろ気な光景。父との最初で最後の記憶。とても、華やかだ。とても、素晴らしい。でも、私の心は、まるで閉じた本のように何も語らず、沈黙していた。
「見ねぇ顔だな。」
突然、紅い髪の色の女性が話しかけてきた。彼女はすらりと背が高く、生命力に溢れ、山のように強大な魔力を有していた。
「遠い村からやって来ました。」
「私はこの国の国防大臣だ。変わった乗り物だな。魔法で動かすのか?」
「はい。魔力で車輪を回転させ、動かします。それにしても、ここはとても素敵な所ですね。」
「今が一番良い季節だ。満開で花びらが舞って、風流だろう?」
「はい。花びらがクルクルと舞っていますね。」
「クルクル?ひらひらじゃなくて?」
「だって、花びらはクルクルと回転しながら舞っていますよ。クルクルです。」
「そうか。」
暫く、二人並んで美しい満開の花を堪能した。
「ところで、地獄嶽はどこにあるのでしょう?」
私の言葉を聞いた国防大臣は一瞬にして表情が険しくなり、眉間に皺を寄せた。
「どうして?」
「実は、私は父を探して、旅をしています。父は、旧領主の護衛官を務めていたかもしれないのです。ここに来るまでの道中で、色んな話を聴きました。旧領主は餓者髑髏に殺されたと言うヒトがいました。それが事実なら、旧領主の護衛官を務めていたかもしれない父も地獄嶽に行ったのかもしれません。」
紅い髪の国防大臣は大きく息を吸い、まるでため息をつくかのように息を吐いた。
「地獄嶽は湖都の東にある。街道に沿って行けば案内板も建っているし、分かるはずだ。ここからそんなに遠くねぇ。」
「案内板?」
「ああ。地獄嶽に慰霊碑を造ったんだ。だからな。私が一緒に行ってやろうか?」
「いえ、いいんです。魔法で動く乗り物がありますので。ありがとうございました。」
私はクルマエビに乗り込み、クルクルと車輪を回転させた。
餓者髑髏はいったい何人のヒトを手にかけたのだろう。何を想い、何を感じ、父を殺したのだろう。いや、早計はよくない。何もかもが推測でしかないのだから。
地獄嶽は街道から少し外れた位置にあった。林の中のやや開けた場所ではあったが、周りの樹木の背が高く、薄暗かった。そこに石で出来た大きな慰霊碑が建っていた。慰霊碑とお墓の違いって何だろう。しんとした中で、どこかの樹の上にいる鳥がキィィィ、キィィィと鳴いていた。
呆然と慰霊碑を眺めていると、背後から誰かが近付く音がした。振り向かなくても分かる。こんな強大な魔力は、さっきの国防大臣しかいない。クルマエビの速度に追いついて来ただなんて、空でも飛んだのだろうか。
「餓者髑髏はな、昔、人間だったんだ。死んで、その後、何故だか意識が戻った。身体はすでに朽ちていて、骨だけで動けるようになっていた。でも、骸骨が動いたら、皆びっくりするたろう?当然だ。餓者髑髏は人目のつかない所で毎日を過ごした。何年も経過したある日、食欲に堪えられなくなった。」
「食欲?」
私はそこで初めて後ろを振り返った。案の定、紅い髪の国防大臣だった。
「ああ。美味いもん食って、冷えた飲み物で喉を潤したい。そう思ったんだ。だから、身体を得るために、旅をした。正確にはヒト探しだ。特殊な魔法で身体を何とか造れる奴を探して回った。でも、そんなことを出来る奴はいなかった。やがて、この地にたどり着き、しんどくなって、この辺で寝転がってたんだ。そしたら、骨だけで動く私の事を見た連中が、私を怖れ、やがて私を殺しに来た。だから、返り討ちにした。次第に、私の下へとやって来る奴らの数が増していって、骸の山となった。」
「その中に、槍を持った男性の人間はいたの?」
「分からねぇ。その時は目玉が無かったからな。生命エネルギーの知覚だけで世界を捉えてたんだ。私はこの国のタタラ王の奥義と秘術によって、受肉した。」
私は腰のベルトに取り付けた革袋から2つの円月輪を取り出し、回転させた。低音で唸り声を上げた円月輪が宙に浮いた。その間、紅い髪の国防大臣は微動だにせず、私の目をじっと見つめていた。
私は逡巡し、円月輪の回転を止めた。トスンと落ちた円月輪を拾い、紅い髪の国防大臣の横を通り過ぎ、私は何も言わず、その場を後にした。