第3話 旧領主の護衛官
港町 ミラーベイに10日程滞在した後、私は東に向かってクルマエビを走らせた。街での聴き込みに、一つだけ収穫があった。お尻にトカゲの尻尾のような物を生やしたお姉さんの発言だ。
「小さな何かが舞い落ちる場所?ふむ。それは湖都じゃないかな。湖都ユマ。王様のいる都。旧領主の頃は領都と呼ばれていたけどね。河沿いに不思議な樹が並んでいて、ちょうど今の季節が見頃だよ。」
その樹は何が不思議なんですか、と質問するとお姉さんはこう答えた。
「冬になると落葉するのだけれど、春になると葉が繁るよりも先に花が咲くの。普通は葉っぱが先でしょ?」
普通の落葉樹がどうだったか、いまいち思い出せない。でも、行き先は湖都で決まった。湖の都と書いて、湖都と言うらしい。綺麗な所なんだろうなぁ、と想像を膨らませていると、なんだかワクワクしてきた。でも、怖い王様には見つからないように気を付けなきゃ。それにしても、領都よりも絶対に湖都という呼び方の方が良い。怖い王様は案外センスが良いのかもしれない。
大きな農園が広がる美しい景色の中、クルマエビをひたすら走らせた。ふと、兄のことを思った。本当に、良い兄だった。私は兄がいたから救われた。
私はよく一本の線のことを考える。こっちとあっちを隔てる線。その線を一回でも跨いでしまうと、二度とこちら側には戻ってこれなくなる。線のこちら側か、線の向こう側か。母は、間違いなく線の向こう側にいた。私がこちら側に留まれたのは兄が私を助けてくれたからだ。助け続けてくれたからだ。しかし、私は、おそらく、兄をこちら側に引き留めることが出来なかったのだろうと思う。兄には私しかいなかったのに。
兄は最期に、ごめんな、と言った。母に代わってごめんと言ったのか、真実を黙っていてごめんと言ったのか、分からない。きっと、後者だと思う。おそらく、兄は母に口止めをされていたのだろう。兄自身も葛藤していたのかもしれない。私が母の本当の子じゃないと知れば、家を出て行く。そうなれば兄は母と二人きりになってしまう。
もし、それが理由で、兄が私に真実を語らなかったのであれば、私は嬉しい。だって、それは、兄は私を必要としてくれていたということだから。秘密にしていた理由が利己的な想いであったとしても、私の存在が少しでも兄の助けになっていたのであれば、私は満足だ。
そのような事を考えていると、いつの間にか日が傾いてきていたので、小規模な集落で宿を借りた。宿と言っても、ほとんど普通の家で、納戸のような狭い部屋だった。でも、貸してくれた羊のような毛を生やした老夫婦はとても親切で、簡単なご飯も用意してくれた。
「父親を探しておられるのか。そうかそうか。見つかるとええなぁ。」
「湖都には人間もようけおる。」
夫婦の言葉を聴いて、期待に胸が踊った。
「父は槍を携えておりました。」
「ほぉぉ、槍を。都で槍を持っとるっちゃあ、護衛官かね?」
「護衛官?それは分かりませんが、そうなのでしょうか?」
「そりゃあ、ただの住民が街を歩く時に、普通、武器を持たんじゃろう。」
そう言われると、そんな気もする。でも、どうだろう。私はどこに行くにしても、円月輪を持っているけれど。しかし、父が湖都に住んでいて、例えば靴職人だったとしたら、敵が攻めてでも来ない限り、確かに槍は持たないだろう。
「そうかもしれません。父は護衛官なのかも。今から15年位前の話ですが。」
「そうかそうか。そんなに前じゃあ、今の王様はおらんなぁ。竹虎様の護衛官じゃなぁ。」
そう言ったお爺さんは、はっとして顔を強張らせた。気付くと、お婆さんも同じ表情をしていた。目を見開き、まるで幽霊でも見たかのようであった。
「あの、どうかされましたか?」
老夫婦は二人とも急に口をつぐんだ。
「いや、なんでもない。滅多なことを口にするもんじゃねぇからなぁ。」
老夫婦はおやすみと言って部屋を出て行った。
真っ暗な部屋の中で、父のことを想った。どういう気持ちで私を養子に出したのだろう。私と離れ離れになってから、私のことをどれだけ思い出してくれる日があったのだろう。そんなことを考えていると、自分の気持ちに気が付いた。愛されたい。それが叶わないから、せめて、愛されていたのだと信じたい。それが事実なら、私は救われるのだ。だから、確認したい。父が私を手放した理由を。槍を持った人間の父。私の父。旧領主の護衛官。
あっ、と叫ぶようにして声が出た。反射的に上半身を起こした。
旧領主の竹虎は餓者髑髏討伐に出向き、返り討ちにされ、死んだ。では、護衛官はどうなったのだろう。
その答えが、先程の老夫婦の表情に隠されていたのではないだろうか。