第1話 帰ることのない旅立ち
私は母と兄の遺体を弔った後、家を出る支度に取りかかった。天涯孤独の身になってそんなに寂しいという気持ちにはならなかった。しかし、ぽろぽろ、ぽろぽろと涙が止まらなかった。
小さな頃より、母から酷い仕打ちを受けてきた。家事の全てを押し付けられ、盗みを強要され、母の爪や2本の角を磨かされたりした。母には愛情の欠片もなく、温もりもなかった。私はお腹がご飯でいっぱいに満たされたことは一度もなかった。まるで、奴隷だ。だから、母が同業の盗賊共に殺されても、アサガオの葉に浮き出る朝露程の感慨も湧いてこなかった。ある程度の恩はあるかもしれない。でも、それはお互い様だ。
涙が止まらないのは、いつも私を庇ってくれた優しい兄も死んでしまったからだ。兄はとても強かった。しかし、母には逆らえなかった。兄は母に盗賊のいろはを仕込まれ、時には母の人殺しを手伝わされていた。将来を母によって滅茶苦茶にされた。
「嫌だ。」
私は、死にゆく兄にすがり、そう叫ぶことしか出来なかった。あれだけ私のことを助けてくれたのに、とうとう私は兄を救うことが出来ず、最期はそんな3文字の言葉しか伝えられなかった。私は酷い人間だ。
そう、私は人間なのだ。兄の頭には母と同じ2本の角が生えていた。人間である私にはもちろん角は生えていない。そんなこと、今まで全く気にしなかった。だって私達は仲の良い兄妹だったから。でも、よく考えてみるとおかしなことだ。
「お前は、母さんの本当の子じゃない。幼い頃、タケトラ領から連れてこられた。ごめんな。」
それが兄の遺言だった。
兄の最期の言葉を聴いて、まるで深い湖に重い石をどぼんと投げ入れたかのような激しい衝撃が私の脳内を駆け巡った。そして、泥のように眠り続けていた特別な記憶がはっと目を醒まし、ある光景を私の心に映し出した。
何かが舞い落ちる中で、槍を持った大人の男のヒトが涙を流して私を抱き締める、そんな映像だ。私の記憶は、それを俯瞰的な場面として捉えていた。まるで、私が幽体離脱してその景色を眺めていたかのように。
私は、父であるかもしれないそのヒトを探してみようと思った。歓迎されないかもしれない。でも、会ってみたい。その光景を思い出して、私の本当の母はもういないのだろうな、と直感的に分かった。それなら、いっそうのこと、父に会ってみたい。それに、兄のいないこの家に、残り続ける意味なんてないのだ。
手掛かりは3つ。
1つ目は私が人間であること。この黄泉の大陸には人間はそう多くない。だから、これは重要なポイントだ。
2つ目は何かが舞い落ちる景色の場所。小さな何かが。
3つ目は槍を持った男のヒト。
人生には目的が必要だ。それが生きる動力になる。それに情熱も。こうして、私は旅立つことを決意したのだった。