婚約を斬り裂く邪剣
「東雲流・桜!」
道場に響き渡る澄んだ声。長い金髪を纏めた女子高生が日本刀を地面と垂直に振り下ろす。
見た目こそ外国人のコスプレに見えてしまうが、実力は折紙つきだ。なんと言っても東雲流という真剣術の師範の娘だ。
血筋に才に努力まで積み重なったそれを馬鹿にする者などどこにもいない。
「東雲流・紅葉!」
それに立ち向かうように俺は横薙ぎの一閃を放つ。
斬り下ろす桜と抜き放つ紅葉。剣閃が違うのは趣味の違い。しかしそんなものは些細な違いだ。それよりももっと決定的な違いがある。
「……無理か!」
互いの刀の重みがぶつかり合ったのはほんの一瞬。何回やってもその均衡は即座に崩れ去ってしまう。刀と共に地面に叩きつけられる。
それは、まあ、つまり。
「ユウ、これで私の何連勝目だろう。もう千は超えてるよね?」
――俺は話にならないレベルで弱いのだ。
*
東雲流という剣術は江戸時代だかなんだかといった遠い昔から続く、真剣を扱う流派らしい。
それだけなら伝統ある武術なんだな、とかで話が終わるんだが実際はそんなありふれたものじゃなかった。
これは基本的に表に存在を知られない流派。藁を斬ったりする武道ではなく、武士や軍隊、警察など時代によってニーズは変わるが人を制圧するための剣術なのだ。
各業界の有望な人間が弟子入りする、要は近接戦闘のエリートの養成所みたいなところだった。
「本当に何回やっても勝てないな……」
「ここに来てだいぶ経つから強くはなってると思うよ? 他の人がそれ以上に強過ぎるだけで気づきにくいけど」
「つまり一般人がどんだけ修行してもガチの人殺しには勝てないってことかよ」
そう。俺は一般人だ。プロの戦闘集団がスキルアップのために通っているのとは違い、刀を振るって倒す相手など俺には存在しない。バックグラウンドが根本的に違うのだ。
ただ、付き合っていた幼馴染に婚約を申し込まれ、続け様に東雲流の後継ぎになるよう迫られ、それに相応しいだけの技術を身につけられるようにあれよあれよという間に道場に放り込まれた。それだけだ。
そこでの修行の結果として分かったことは、俺は全くもって後継者の器じゃないということだけなのだが。
「ユウ君、筋力をもう少しつけるのはどうかね? 重い一撃は東雲流の基本だ」
そんなアドバイスを投げてくれるのはアカリの父にして東雲流の師範だ。
東雲流は言ってしまえば一撃必殺の脳筋剣術だ。
敵の武器すらも粉々に打ち砕くだけの威力があれば反撃の心配もない、すなわち最強だと師範であるアカリの父は言っていた。
そんな雑な理論にこぞって人が集まるのが不思議でならなかった時期もあったが、師範の本気の剣術を間近で受けてからはそんな文句も叩けなくなっていた。極めれば言葉通りの立ち回りができるのだから恐ろしい。
シンプル・イズ・ベストを地でいく東雲流に関しては筋トレも理にかなってはいるのだ。
「うーん、悪くないけど、筋肉つけすぎてもなんだかなあ……」
「マッチョみたいな体型には憧れないとか?」
「あー、まあそんなとこ」
なんにせよ、才能がない分は何かで埋め合わせはしなくてはならない。婚約者として、後継ぎとして不甲斐ないままなのは流石にな……と思ったその時だった。
「邪魔するぜ、見る目のない師範様よぉ!」
俺やアカリ、そして稽古に励んでいた他の門下生達の視線が入り口へと向かう。
その視線は様々だ。ある者は誰だ? という疑問を、ある者は軽蔑の眼差しを向ける。
それもそのはず。ここに出入りした期間によってどちらの感情も向けられるのだから。
「……二度と来るなと言ったはずだ。ここは破門になった者が軽々と足を運んでいい場所ではないぞ」
師範の声が重く響く。眼前の男は東雲流を一般人に対する脅しの道具として振るった人間だ。
東雲流は本質的には人に危害を加える剣術だが、正当な理由なく振るうことは勿論禁止している。凶悪犯やテロリストの制圧のように非常時にしか使うことは許されない。
もしも破ればこの男のように破門となる。こいつはその時、師範に立ち直れないほどボロボロにされたはずなのにこうして懲りずにやってきた。
破門になった人間は他にもいるが、もう一度戻ってきた例などこれまでにはない。何が目的なのかと構える俺達に向かって男は叫んだ。
「弱者に刀向けた程度で破門にしやがって! 俺は東雲流最強なんだよ! そこの娘も! 師範の座も! 俺にこそ相応しいんだろうが!」
真剣を抜いて雄叫びをあげる。こいつは東雲流を乗っ取るつもりで実力行使に来たというわけか。
ほとんど強盗か何かのような振る舞いだが、そんな相手に怯えるような人間はこの流派になど属さない。
「そんな心の持ち主を後継者になど到底認められんな。そんな輩は東雲流を振るう資格もないッ!」
刀を抜いた時点でタンマも何もあったものではない。言うが早いか師範も刀を抜いて襲いかかる。
言うまでもないことだが、師範は東雲流について誰よりも熟知し、誰よりも強い。その攻撃を受けて立っていられた者はいない。
だから今回も師範が懲らしめて一件落着。そう思っていたのだが――
「まさか東雲流に弱点がない、とか思ってんじゃねえだろうな?」
師範の刀が男を捕らえる直前だった。
そこには師範の腕に刀を突き刺す男の姿があった。
「ぐっ……!? 速い……!?」
「なあに、剣術の腕はきちんと磨いてたってだけだ。加えて東雲流は、昔死ぬほど修行した剣術だ。アンタの癖や放たれるタイミングなんざモロバレなんだわ!」
そのままばっさりと斬り捨てる。峰打ちにして殺さなかったのは己の実力を示すため、そして師範自らに、その座を譲り渡させるためか。
「っ……父さん!」
師範が倒された瞬間に、アカリが弾かれたように飛び出して男に斬りかかる。
「東雲流・桜!」
繰り出すのはスタンダードな斬り下ろし。しかしアカリのこの技は誰にも打ち負けたことはない、超重量級の一撃。アカリの極めた十八番と呼べるもの。
師範に勝るとも劣らないその技で片をつける。俺にはその景色が見えていた。
――少なくとも俺だけは。
「甘えぜっ、娘ェ!」
振り下ろされる刀を受け止めれば刀身は耐えきれず叩き折られる。この男は東雲流を知っている。故にそのことも言わずもがなだ。
しかし。さらにこの男は理解を一歩進めていたのだ。
「えっ!?」
受ける瞬間に、自身の刀を回して衝撃を受け流す。するりと落ちていく斬り下ろしとは反対に、男の斬り上げがアカリの胸を襲う。
「アカリっ!」
「――――っ!」
「師範の娘とはいえ、今の俺ほどじゃあねえってか。ま、欲しいのはテメェの婚約者の座だ。強さなんざどうでもいい」
「言いたい放題言って……馬鹿にしないでよね……!」
「負けた奴の言葉なんざ、聞く耳持たれると思うな、雑魚が」
師範とその娘。東雲流のツートップが陥落するのにものの数分もかからなかった。その衝撃は大きく、他の門下生がアカリのように男に斬りかかろうとする者は現れなかった。
「さて、後はテメェの婚約者か……どいつだ?」
言いながらアカリへ顔を向ける男。そのアカリの視線は俺に向いている。それで判断したのだろう。
俺でも分かるような殺気を向けてこちらを睨んでいる。
「…………」
こんな状況で睨まれて、いいえ、婚約者ではありませんなんて嘘はつかない。
そんな風に尻尾を巻いて逃げることはできない。大切な恋人を傷つけられて逃げることはできない。
「…………!」
無言で自分の日本刀を握り、抜刀の姿勢を取る。返事はこれで十分だ。
「ユウ、ダメだよ! 危ないから逃げてよ!」
「アカリの言う通りだ! 第一、君では勝負にならんだろう!」
そんな俺を見て、アカリと師範が叫んで止めさせようとする。
勝負にはならない、確かに東雲流という剣術の師範とその娘に比べたら俺は弱っちい。いや、なんなら他の門下生よりも弱いとまで言える。
「なんだ、思いの外情けねえ野郎だな。……が、そんなでも東雲流の後継者なんだろ?悪いが痛い目見てもらうぜ」
男は真剣を構えて俺を見据える。アカリや師範みたく俺を叩き斬るつもりだろう。
もっとも、俺は勝負の場に立つ剣士ではなく歩く巻き藁くらいにしか思われていないだろうけれど。
その評価に間違いはない。俺の東雲流は誰にも及ばない。東雲流の評価としては間違っていない。
だが、俺だって負けしか知らない剣術を幼少の頃からやっていたわけでもない。婚約者にも絶対に言えない、ある意味危険な逃避行動に身を染めていたことをこいつは知らない。
東雲流に必要な筋力をつけようとしなかった理由をこいつは知らない。
「……しょうがないよな」
自分の真剣を構えて体を沈める。普段道場で見せている抜刀の姿勢よりも数段低いことにアカリは目ざとく気づいたらしい。
「緊張し過ぎだよ! 構えもちゃんとできてないじゃない! 危ないから止めてよ!」
自分だって怪我して流血までしてるにも関わらず、真っ先にこちらの心配してくれることには色々思うところがある。
そしてその思いを全部まとめて裏切らないといけないと改めて悟ると刀を抜くことを躊躇してしまいそうになる。
ならば、まずはその迷いを断ち切らないといけないな。
「……突然で悪いんだけどさ。アカリ、婚約破棄しようか」
「えっ?」
言った。言ってしまった。取り返しがつかない一歩を踏み出した。だが、踏み出したのなら後は簡単。その足に合わせて刀を抜くだけ。
「ああ? 婚約破棄して命乞いか? ま、こっちとしても婚約者でも後継者でもない雑魚には用はねえ。逃げるなら勝手に――」
「勘違いすんなっての。婚約破棄して自由の身になったのはアンタみたいなチンピラをズタボロにするためなんだよ」
言葉に棘を含んで言い放つ。言葉も剣も、全て鋭く研ぎ澄ませ。そんな思いを募らせながら集中する。
「婚約破棄から悪口にと、くだらねえことほざきやがって! それで東雲流が強くなるってか!? オラ、出してみろよ、テメェのへなちょこ剣をよォ!」
ぶん、と大きく日本刀を振って威圧する男。斬り合いはもう目の前。師範やその娘とは違い、東雲流の一族でもなんでもない俺は峰打ちなんかじゃなく、本気で斬り殺されるだろう。もしも俺が負ければの話だが。
「待ってよ……ユウ……ユウ!」
そのことが分かっているのだろう。それにいきなりの婚約破棄もある。とにかく何か言葉を紡ごうとしているアカリを宥めるように声をかける。慰めにもなんにもならないかもしれないが。
「大丈夫だって。それより面白い……いや、面白くはないかもだけど凄いもの見せるからちゃんと見てなよ」
「な、何する気なの……?」
さっきのアカリの忠告は無視して姿勢は低いまま。これでいい。いや、むしろこうじゃないとダメなんだ。
力を抜いて、敵を見据えて。勝つイメージはとっくに見えてる。ならば後は動くだけ。
「見せてやるよ……邪剣・東雲流!」
地面を蹴る。最高速度で疾駆する。東雲流は技の重さに重きを置く。が、今の俺はそれをかなぐり捨てて男に向かう。
とにかく速く。力はいらない。それが俺の本領を引き出すからだ。
「……らあっ!」
抜刀して横薙ぎを放つ。しかしその横薙ぎはこれまで東雲流として磨いてきたものとは質が違う。
力で相手を御すことは考えない、高速の一閃。
「邪剣だかなんだか知らねえがそんなもんは効かねえなあ!」
俺の斬撃に受けて立つように、男も刀を突き立てる。余裕のある男の笑みから分かる。
鍔迫り合いに持ち込んだのち、一気に押し潰す。それができると確信している顔だ。
「そんなひ弱な剣術で東雲流とは笑わせやがるぜ!」
打ち合って押し負ける。そのビジョンは正しい。俺が東雲流を使えばそうなるのは必至。
しかし今、俺が使っているのは東雲流とは似て非なる邪剣だ。
「だから……これは邪剣だっつんてんだろ!」
打ち合った瞬間に刀を一気に引き戻す。正面から戦わずに即座に撤退する。東雲流にあるまじき戦法。
「な、ふざけてんじゃ……がっ……!?」
しかし大人しく逃げるだけではない。引いた瞬間に再び攻勢に転じる。狙うなら俺の初撃を防ごうとしてガラ空きになった反対側とか。
「が……何だこの速さは……!? こんな技、どこの流派でも見たことがねえぞ!?」
一撃を叩き込んだからと言ってこの剣術は手を止めたりはしない。手を止めるのは相手が動かなくなるその時までだ。
一心不乱に刀を振り回し、相手の精魂までも叩き折る、最後の乱撃を斬り放つ。
「――乱れ紅葉!!」
男の体を撫でるように、それでいて痛々しく刃が通り抜けること6回。最後に、東雲流であれ、邪剣であれ、好んで使ってきた横薙ぎの一閃を放ち、敵の様子を窺う。
「う……あ……この俺……が……こんな、こんな、ガキに……!?」
そこには、峰打ちとはいえ、数多の斬撃を浴びた大男が倒れ伏している。倒した快感や自分への自信なんてものは湧いてこない。思うことはただ一つだ。
「東雲流以下の邪道剣術になす術なく負けるくせに、後継者になろうなんて百万年速いと思うぞ」
「黙れ……俺が……俺こそが後継者に……相応しい……んだろうが!」
「負けた奴の言葉はさ、誰も聞く耳持たないんだろ?」
他でもないアンタの言葉だ、とだけ吐き捨てて納刀する。次は峰打ちじゃ済まさないと、目で訴えながら。
*
後日。東雲流乗っ取りを企んだ男を撃退し、アカリや師範の体調も戻ってからの話だ。
俺は東雲流の道場に呼び出されていた。いつものことなら何とも思わない招集も、あんな啖呵を切ってからではこれまで抱いたことのない気まずさを覚えてしまう。
「あー、俺、東雲流とは縁切ったはずなんだけど……」
「あんな一方的に話つけて納得するわけないでしょ!?」
「その通りだ。それに、私もアカリもユウ君に助けられた。その礼も何もできてはいないじゃないか」
「お礼も何も、東雲流を冒涜したような剣術で相手をボコボコにしただけなんだよなあ……」
あの場面で東雲流を使って勝てていたなら後継者としても婚約者としても100点満点だっただろう。
実際は秘密にしていたトンデモ剣術で初見殺しに遭わせただけだ。東雲流の名を守ったのか汚したのか、今でもよく分かっていないり
「そう! あれ! あの剣は何なの! 確か邪剣とか言ってたけど、詳しく説明してもらえるよね?」
「説明って言ってもそんなたいしたことじゃないけどな」
――そもそも俺は東雲流のことはそこまで好きではない。前提として誰にも勝てないし。それでもやり続けなきゃいけない感じになっていたし。
ちょうど、何一つ勉強が分からないのにとにかく勉強しろ勉強しろと口うるさく強制されるような気分に近かった。
それなら辞めてしまえば良かったんだろうけど、アカリのことは好きだった。そんな恋人の好きなものを否定するのも逃げるのもできればしたくはなかった。
「つまり、私のことは好きだけど、勝てない東雲流は好きじゃない。でも婚約して東雲流の後継者にはなろうとした、と。凄いことやろうとしてたんだね」
「こんなの正気じゃやれないよなあ」
で、正気じゃなくなった俺は一つの現実逃避に手を染めた。それは、自分が勝てそうな剣術の開発だ。
東雲流は戦い方もそこまで自分の趣味に合っていたわけではない。一撃必殺の戦法よりも、連撃で相手を翻弄する戦法の方が惹かれるところがあった。
だから、その理想を叶えるような剣術を自作しようと考えたのだ。
が、そんな即席麺みたいに楽々と剣術が作れるはずがない。作り方がネットに載っているわけでもないしな。
そこで俺は考え方を変えたんだ。
「体の動きとか初動は東雲流を使って、そこからオリジナリティを出していけばそれっぽくなるんじゃないかってな」
「それ、ユウが助けてくれる前に露見してたらタダじゃ済まなかったよね絶対」
「破門どころじゃなかったろな。だから言わなかったんだよ……!」
「ま、まあ今回は事情が事情だからな……。続けてくれないか?」
ドン引きしながらもなおも促してくる師範。今の状況的に多分斬りかかられることはない……はずだ。ならば、洗いざらい話してしまうのが吉だろう。
そう思いながら、俺は再び口を開いた。
で、結局のところ、だ。稽古の後や暇な時間を縫って俺は新剣術の開発に勤しんだ。なんなら東雲流の復習よりも力を入れていたかもしれないが、ここは聞かなかったことにして欲しい。
開発は1人だったが、それが苦しいとは思わなかった。競う相手がいないということは負ける相手がいないということでもある。
オンリーワンにしてナンバーワン。これしかよりどころがないのは困りものだが、少しくらいはこんな楽しみがあってもいいものだと俺は思う。
そんなこんなで一つの技を編み出すことに成功したんだ。東雲流の横薙ぎの基本技、「紅葉」を七連続で繰り出す「乱れ紅葉」だ。
「我流も入ってるとはいえ、実用性があるのは二人の見た通りだろ」
「六連撃で体全体にダメージを与え、動けなくなったところに本命の一撃を加える。技としては悪くはない。東雲流としては不適格だが……」
「でも厄介なことに元を辿れば東雲流から派生してる。だからこの剣術は邪剣・東雲流と名付けたんだ」
小さくても形ができれば、後は肉付けしていくだけでいい。
連続で斬りかかるにはどんな風に斬るのがやりやすい? 速さを追求するには何に重きを置けばいい?
そういうことを考え続けて刀を振って経験値を貯める。それを今日まで繰り返してきた……というわけだ。
「で、墓場まで持っていこうとしてたんだけど……あそこで使ってしまったってわけだな」
「話聞く限りだと実戦で使ったのは初めてだったんじゃないの? 不安とか無かったの?」
「曲がりなりにも俺も剣術道場に通う身だしな。自分の振る剣の威力くらいは測れるぞ。それに、いけるって確信を持つくらいには練習してたし」
東雲流で勝てない不満をバネにして、邪剣・東雲流は磨き上げられた。それだけで生半可な努力ではないということは二人には伝わったのだろう。
「邪剣のいきさつについては分かった……。しかし、それが何故婚約破棄に繋がるんだね?」
「邪剣なんてものを好んで使うような師範になるなんて外聞が悪すぎる真似はできるわけないっての……」
かと言って邪剣を使うなというのも無理な相談だ。東雲流のストレス発散としての手段が邪剣なのにそれを封じるなんてあり得ない。
逃げ場の無い状態で東雲流を振り続けられるほど俺は強くない。そんな奴が師範になる、なんてのもあり得ない話だろう。
「で、師範になれないのに結婚するなんて言語道断だよな。というわけで俺はさっさと東雲流から離反するしかないと。簡単な話だわ」
「待ってよ、じゃあ私はどうしたらいいの? 婚約者いなくなったんだけど」
「そりゃあ……師範になれそうないい人を見つけて結婚する……とか?」
後のことは、もっと上手くやれるちゃんとした人に丸投げするのが一番いい、と俺は思う。
「幼い頃からの付き合いでそれはダメでしょ……!? 無責任過ぎない!?」
「そうは言っても邪剣がバレた以上、妥協点なんてどこにもないぞ」
「そんなの知らないよ! よく分からない人と結婚させられるくらいならこのままでいるから!」
「伝統ある東雲流で師範がそんなの許すわけないだろ、現実見ろっての!」
本人が結婚したくないと駄々をこねて東雲流が途絶えたら大問題だ。歴代の殺人鬼みたいなご先祖に呪われたって文句が言えないレベルだ。
「じゃあ一緒に東雲流を継いでよ! 邪剣なんて捨ててさ!」
「無理! 嫌だ! もう婚約は無いんだし師範候補は別に探せっての!」
「なんで好きでもない人と結婚しないといけないの! 嫌だよそんなの!」
アカリが感情に任せて乱暴に刀で斬りかかる。少し前ならそのまま脅されて言うこと聞かされることもあったのだが、今は少し事情が違う。
「遅いっての!」
アカリの刀が最高速度に到達するよりも速く、こちらも刀を抜いて軌道を逸らす。力比べなら負けるにしても力を受け流すことはできる。
「……らあっ!」
攻撃を逸らすと同時にこちらの刀は一気に相手の喉元へと運ばせる。力を入れない分、軌道修正が容易なのが邪剣の強みだ。
「……っ!」
「邪剣を何と言おうと勝手だけどさ、東雲流より強いってことは覚えておきなよ」
口でも実力行使でも、俺に東雲流を使うとは思わせられない。
そう伝えたつもりだったが、ここに食いついた人がいた。
「ふむ……邪剣は東雲流よりも強い。だから、わざわざ弱い剣術を使うのは受け入れられない。そういうわけだな、ユウ君」
「え……まあ、そうなるけど……」
「だったらアカリ。東雲流を磨き、ユウ君を倒して力を示せばいいのでは?完敗してなお邪剣に縋り付くタイプではないだろう彼は」
「……そっか! そうだよね! そうすればよかったんだ! ユウ、それで文句ないよね? 私が勝ったら東雲流を継ぐこと!」
「や、勝手に決めるなっての! 第一、俺が勝った時はどうなるんだよ。俺に対して得はないのかよ」
「私が勝つまでやるから問題ないでしょ?」
「答えになってないだろそれ!」
勝つまでやるから負けはしない。だから負けた時に飲む条件なんて存在しない。
最初から最後まで屁理屈でできた一方的な勝負なんて受けるはずがない。交渉にすらなっていないが――
「いいや、ユウ君。君は受けるさ。なんだかんだ言っても。そもそもまだ迷いだとか未練だとか、そういうものがあるだろう?」
「や、別に東雲流にはもう用はないんだけど……」
「そこだ」
師範の目が鋭く光る。その眼光は剣筋と全く同じ。的確に獲物を捕らえるそれは、俺の見せてしまった隙を逃さなかった。
「――ユウ君。まだ、アカリのことは好きだろう? 婚約破棄だとか言いはしたが、別れようとは言わなかった。そもそも、終始貶しているのは東雲流だけじゃないか」
「――っ」
「東雲流は継ぎたくないが、破局は嫌だ。そんな我儘を押し通す方法を今必死に考えている最中ではないか?」
二の句が継げない俺にさらに追い討ちをかける師範。これでも飽き足らないのかさらにペラペラと捲し立てる。
「私としては大いに迷って結構だと思うがね。熟考の際に潔く継ぐも良し、アカリを口説き落として邪剣の道に引き摺り込むも良し」
「ちょっとお父さん!? 私はそんなことしないから!私がユウを東雲流に引き摺り込むんだから!」
「はは、あくまで可能性の話だ。しかしこれは私の問題ではなく、二人の問題だ。二人できちんと決着をつけなさい」
「「…………」」
ここまで俺を攻め立てていたのが嘘のように声色が変わる。それは責任ある大人の声とでも表現すべきか。
アカリにとっては父親、俺にとっては師範。どちらに対しても見守る者としての接し方だった。
「ねえ、ユウ。お父さんもこう言ってることだし、今すぐ私達の身の振り方を決める必要はないよね?」
「それもそうだな。……ま、俺のスタンスは変わることはないけど。東雲流なんて知ったこっちゃないから!」
「私だってユウを後継者にすることは諦めないからね。――だからまずは! 邪剣を倒して東雲流の方が強いってことを示すから!」
言って、愛刀の切っ尖を俺に向けて距離を取る。ここまで言い合って逃げるわけにはいかない。
武士道も何も学んではこなかったが、何が野暮な真似かくらいは理解できる。
「だったら俺は全勝して返り討ちにしてやるよ。力づくでも東雲流を継がせられないってことを思い知らせてやる!」
勝って勝って勝ちまくって、退けている間に上手い抜け道を作ってやる。邪剣と同じだ。自分の欲しいもの、結果なんてものは自作してしまえばいい。それだけだ。
「今度こそ勝つから! ――東雲流・桜!」
「何回やっても負けないっての! ――邪剣・東雲流!乱れ紅葉!」
こうして、東雲流の存続がかかった、無益な斬り合いが幕を開けたのだった。その結果、東雲流がどのような方向へ進んでいくのか。それが分かるのはもう少し先の話だ。