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6話 流れ星と夜を結ぶ

 スピスが日記を読んでいるその一方。ミツホシは日課の飛行を終えて屋上へと戻ってきていた。

 これはスピスの知らないことであるが、ミツホシは毎日おおよそ一定の時刻になると、スピスへの文通とは関係なく街中を彷徨うように飛んでいた。

 その理由はいくつかある。たとえば馴染みの鳥医の元へ食事に行くため。たとえば運動のため。たとえば、主人に言いつけられた通り新たな主人を探すため。たとえばただ、寂しさを紛らわすために……。


 ――ミツホシ!


 主人の明るく凛々しい声が、ミツホシの脳裏に響く。

 飛行から戻ってきたあと、ミツホシは星空を見上げて懐かしい日々を思い返す。それもまた1つの習慣であった。ただ寂しさが増すだけだと分かっていようと、捨てられない習慣であった。

 しかしいつからか、そこにもう1人。


「ミツホシ!」


 弾けるように眩しい声も加わった。

 それからミツホシは遠き日の思い出ではなく、すぐ昨日を懐かしめるようになった。明日を楽しみに待てるようになった。

 ただしそれも、昨日までの話であった。


「ピィ……」


 ミツホシは小さく鳴いた。その声に応える声はどこにもなく――その代わりに、少女の両手がミツホシを、ぐわし!


「ピ!?!?」

「捕まえたっ!」


 屋根の上、星空の下。スピスはミツホシを掴んで高らかと掲げる。スピスの親指がミツホシの顔をぶにゅっと潰した。


「ピププププッ!」

「あなたって鳥類のくせしてびっくりするほど警戒心がないのね! 日常生活がちょっと心配になるくらい!」

「プピュー!」

「暴れても無駄よ! こんなこともあろうかと星文鳥の掴み方を勉強しておい、あっ爪、意外と刺さる! 痛い! でも……そんなことより単刀直入に言わせてもらうわ! ミツホシ――あなたには今から罰を受けてもらいます!」

「ピュ」


 途端、ミツホシは大人しくなった。

 ミツホシは『罰』の意味を知っている。それを知ったのは昔、お菓子をつまみ食いして太ってしまい、しばらくおやつ抜きにされたときのことであった。


『悪いことしたら、罰を受けなきゃいけないんだ。よって、私が大事にとっておいた星文鳥まんじゅう限定星屑餡(ほしくずあん)味を勝手に食べたお前には1週間おやつ抜きの罰を受けてもらう!』


 それが主人の教えであった。

 ゆえにミツホシはスピスにされるがまま床に下ろされ、水面杖を向けられてもただ黙って受け入れていた。


「造形を司る星神プロウスよ」


 スピスは水面杖の鏡に星を写す。鏡の真下ではミツホシが立ち尽くしている。


「その祝福を持って、仮初の姿を与えたまえ!」


 呪文を唱え終えると、鏡に赤と青の光が宿った。直後、スピスは水面杖をくるりと半回転。先端の鏡を真下にいるミツホシへと向けた。


「ピッ……」


 ミツホシは思わず体を震わせる。星文鳥の小さな体からすれば、水面杖から膨んでいく光はあまりにも大きい。鏡を飛び出そうとする光を前にして、ミツホシはただ瞳を閉じてうつむいた。

 やがて光は鏡を飛び出して、ミツホシの全てを覆って――


「……ピ?」


 光が止んだとき、ミツホシが最初に感じたのは違和感であった。


「……なんだろう」


 ミツホシは首を傾げて、視界に自らの手を収める。幼い子供の両手があった。


「…………」


 次に右足を上げてみる。灰色の靴を履いた、肌色の足がそこにあった。

 足がある。手もある。


「…………え」


 人の足がある。人の手もある。


「え、えええ」


 ミツホシは両手をおそるおそる握って、開いて、それから全身をわなわなと震わせて。


「うええええええ」


 瞬間、スピスが突っ込んできた。


「可愛いーーーー!!」

「ピーーーー!?」


 スピスはミツホシを両腕でぎゅっと抱きしめる。そう。ミツホシは今、スピスが両腕で抱きしめられるほどに大きくなっているのだ。スピスによって『変身の魔法』をかけられたことでミツホシは人間に変身していた。見た目はおおよそ10歳くらいの女の子。

 そんなミツホシに対してスピスは抱きしめるだけじゃ飽き足らず、頬擦りまでかましてくる。


「こういうときは魔法をかける側のイメージが重要って聞いてたからさ~、デザインしっかり考えといて良かったぁ~! もちろんミツホシは元から可愛いわけだけどぉ~!」

「むぴゅ~!」


 スピスは魔法の出来栄えとミツホシの可愛さに、心の底から浮かれていた。

 夜闇のごとき漆黒を湛えた長い髪。灰と黒のフリルが入り混じったモノクロのドレス。それになによりモチモチのほっぺた!

 スピスにひたすら愛でられて、ミツホシはぐるぐる目を回しながらも、なんとか叫ぶ。人の声で。人の言葉で。


「ス、スピスさん! なんですかこれ、なんですかこれぇ!」


 すると火に油を注ぐように、スピスはよりいっそう目を輝かせた。


「本当に喋ってる! ちゃんと言葉が伝わってる! 成功成功大成功ー!」

「え、いやぼくの言葉本当に伝わってむぎゅ!?」


 スピスは両手でミツホシの頬をむんずと掴む。それから五指をわしわしと動かして、思う存分その感触を確かめる。


「うわぁ~! 人になってもふわもちぷにすべ~! はー、至福……永遠に触れる……」


 スピスはいきなり声のトーンを落として、なにやら感じ入っている。少女の挙動不審が極まる一方、もう1人の少女もまた確かめていた。スピスの手から伝わる温もりを。


(おんなじだ)


 ミツホシは思い出す。自分が人の温もりに触れた、その初めてを。


 ――うっわぁお前柔らかいなぁ! 私おまんじゅう好きなんだよ!


 ぽろり。深い青の瞳から涙が一筋こぼれ落ちて、それを見たスピスがぎょっと目を剥く。


「うぇ!?」


 スピスは慌てて両手を離す。その間にも、ミツホシの目からはポロポロと涙がこぼれ落ちていく。


「ミツホシ、どうしたの!? 私またやり過ぎちゃった!?」

「え……?」


 そこでミツホシはようやく気づいた。自分の目からとめどなく落ちていく液体に。


「なにこれ。スピスさんの手があったかくて、ご主人様を思い出して、そしたら胸がきゅうってなって、目から水が勝手に出てきて、う……う、うぇぇぇん!」

「わー!」


 スピスは服のポケットから慌ててハンカチを取り出して、ミツホシの涙を慌てて拭い始めた。


「それね涙よ涙! 人は悲しくなったり寂しくなると泣いちゃうの! ほらとりあえずいっぱい泣いて、これで拭きなさいな! あ、鼻水も出てる!」

「うわぁぁぁん!!」



 色々拭いたり撫でたりあやしたりすること約10分。

 スピスは今、屋根の上でミツホシと隣り合って座っている。ミツホシはずずっと鼻をすすりながら、ぽつりと言う。


「……人間って不思議な生き物ですね。気持ちがワーってなると目や鼻から水が出てくるなんて」

「その言い方はどうなのかしら……でも、すっきりするでしょう?」


 ミツホシはこくりと頷く。


「はい。なんか、ずっと溜め込んでたものが少しスッキリした気がします」

「うんうん。それなら私も魔法を覚えた甲斐があったってものよ」

「魔法……」


 ミツホシは改めて自分の手を、人間の両手を見た。


「鳥を人に変えるだなんて……スピスさんってすごい魔法使いだったんですね」

「そんなことないわよ。この魔法は自分が変身するならともかく、別の生き物を人に変身させるには人に近しい知能や感性が必要なの。そこから遠ざかれば遠ざかるほど、成功率は低くなる。だからこの成功はどちらかと言えばミツホシが賢いおかげよ。あなたってほんとすごいわね!」


 スピスはミツホシをまた抱きしめた。すると人肌の温もりがミツホシの胸を締めつけて、1つの問いを絞りだす。


「どうして、そんなに優しくしてくれるんですか?」


 急に問われて、スピスは困惑しながらも答える。


「なんでって……あなたが好きだから?」

「え。でも、スピスさんはぼくに罰を与えるって。ぼくが悪いことをしたから……」

「え?」


 スピスは一瞬きょとんとして、それから「あぁー」と思いだす。


「そういえばそんな話だったっけ……」

「ピ?」

「うん、そうね。それじゃあ今までのことを話しなさい。あなたの想いを、あなたの言葉で」

「……ピ?」


 今度はミツホシがきょとんとする番だった。


「えっと、それは、どういう……」

「コープリアさんと出会って、別れて、それから私と出会って、今このときまで。その中であなたが感じたことを私に教えてちょうだい。それが私から下す罰よ」

「罰って……そんなことでいいんですか?」


 するとスピスは笑ってみせた。くすくすと、からかうように。


「言葉で伝えるのって意外と大変よ? だってミツホシはずっと、コープリアさんの言葉を借りてたんでしょ? 人の言葉で喋って伝えるなんて初めてじゃない。喋ってるうちにまた泣いちゃうかもだし」

「!」


 嘘をついていた罪悪感。それがミツホシの胸をどきりと弾ませた。


「そ、それは……」

「ありがとう、ミツホシ」

「――!」


 ミツホシが息を詰まらせ、そして静寂が訪れた。

 静かな星空の下。屋根の上で2人きり。スピスの言葉だけが月明かりに響き渡る。


「たとえ借り物の言葉だったとしても、それを選んでくれたのはあなたでしょ? 私のことを想ってくれてたのは、文通からもう充分に伝わってる。感謝こそすれ、恨みなんてあるわけない」

「で、でもぼくは、あなたに嘘をついて」

「そう。そこはちょっと怒ってる。『あなたに会いたい』って手紙を送ったのもちょっとした当て付けっていうか……あなたの方から教えてほしいって思ってたの」

「うう……」

「あるいはもし、コープリアさんを騙る誰かがあなたに手紙を届けさせてたりしても、その人が名乗り出てくれるかなって。『あなたに会いたい』っていう文面はコープリアさんじゃない。その奥にいる、私のためにいつも手紙を選んでくれていた誰かに会いたかったの」

「……ごめんなさい」

「ううん。私の方こそごめんね、あなたの事情もろくに知らないのにあんな当て付けみたいな真似して。でも今は全部知ってる。この家で、コープリアさんの日記を読んだわ」

「じゃあ、ぼくの言葉なんてもういらない――」

「でも事情しか知らないし、事情なんて二の次よ!」

「うえ!?」


 ミツホシが驚いたそのときには、スピスはミツホシへと顔を思い切り近づけていた。鼻と鼻がくっつきそうなほどの至近距離でスピスは語る。


「私が本当に知りたいのはね、あなたの気持ちなの。こんな裏事情なんて関係なく、私はあなたと話してみたかったの。変身魔法だって、そのために頑張ったんだから!」

「どうして……」


 ミツホシには分からない。自らが罰を受けるべきだという自覚はあっても、そこまでの好意を持たれる覚えはないのだから。


(ただ手紙を届けただけ。ご主人様の言葉を伝えただけ。ぼくなんて、単なる使い魔に過ぎないのに)

「どうして、ぼくなんかのためにそこまで……」


 答えはすぐに返ってきた。


「友達と話したいから?」


 スピスは自分であっさり言って、すぐに首を傾げる。


「うーん、我ながら単純すぎるかしら。それに友達って私が一方的に言ってるだけで……」


 ぽろり。

 ミツホシの目からまた涙がこぼれ落ちて、スピスはまたぎょっと驚いた。


「え。や、やっぱり友達だなんて押し付けがましかった!?」

「ちがくて、嬉しくて、なんで悲しくないのに、うわぁ~~~~ん!」


 ◇


 人は嬉しくても泣く。

 それを知ったのち、ミツホシは『罰』を受け始めた。


「ぼくはご主人様のことが大好きです。空を飛ぶことさえできなかったぼくをつきっきりで介抱してくれました。それにこんなまだら模様の汚い翼を、誰よりも綺麗だと言ってくれたんです」


 コープリアの出会いから別れまで、少しずつ、たどたどしく話していく。


「旅に出るって、新しい主人を探せって言われたとき、ぼくはそんなの絶対に嫌だから、ご飯を食べなくなったんです。そうしたら、ご主人様が心配して残ってくれるかなって。でも……」

「でも?」

「あるとき、お腹が空きすぎて、我慢できずにお腹いっぱい食べちゃいました」

「あらら……見かけによらず食いしん坊なのね。それで?」

「お腹いっぱいになったら眠くなって、最後にご主人様の安心したような顔が見えて……次に目が覚めたら、ご主人様はもういなくて、置き手紙だけが残ってて、う、う、うぇぇぇ」


 時々泣いたりしながら、そのたびに慰めてもらいながら。


「ご主人様の最後のお願い。新しいご主人様を探さなきゃって思っていたけど、そんなのやっぱり嫌で。だから探すふりして、ただあてもなく街を飛び回ってました。そんなんだからよく壁にぶつかっては、通りすがりの人や鳥医さんに助けてもらってて……」

「それで、私と出会ったわけね」

「はい。最初はただのお礼だったんです。お世話になって、頼まれたのなら返さなきゃって。勉強で悩んでたみたいだったから、ご主人様がバイトでよく子供たちに配ってたあの本ならいいかなって……」

「はー……今更だけど、よくあの本持ってこれたわね。星文鳥の体には重くなかった?」

「大丈夫です! ぼく、力持ちなので! それにぼく、体も丈夫なんですよ!」

「壁にぶつかってもけろっとしてるのはそういう……あの、ところでちょっと気になったんだけど、あなた自分のこと“ぼく”って言ってるけど、それはどういう理由で……?」

「はい? えっと……人間の雄は自分のことをこう呼ぶと。一人称って言うんですよね。ご主人様に習いました!」

「…………なんか、ごめんね?」

「ピ?」


 たまに脱線しつつ、話は今へと近づいていく。


「スピスさんの喜ぶ顔を見て、ご主人様の手紙を運んでたときの気持ちを思い出したんです。手紙を運んでるとご主人様が帰ってきたような気がして、だから悪いことをしてると分かってても、どうしてもやめられなくて……!」

「なるほど。コープリアさんとの日々を思い出してか……でも私が『あなたに会いたい』なんて送ったものだから、嘘をついたのがバレるのが嫌で『ごめんな』なんて別れの言葉を送ってきたのね」

「……それもあります」

「……それも?」

「本当に嫌だったのはこの日々がなくなることよりも、スピスさんに嫌われることなんです」

「えっ……!?」

「だって、だって……ぼくもスピスさんを好きになってたんです! ぼくを嬉しそうに出迎えてくれること。手紙を読んでるときにころころ変わる表情。おいしいお菓子もだしてくれました。それに……ぼくの絵も、何度か描いてくれましたよね」

「え、ええ……」

「あれが本当に嬉しかったんです。昔のぼくは病弱で、今でも不格好な毛色で、あとよくドジもするし、そんな自分があまり好きじゃなかったんですけど、でも絵の中のぼくは格好良くて可愛くて、なんだか誇らしい気分になれたんです」

「……!」

「それに、スピスさんの両手はとても温かいんです。ご主人様はもうちょっと大雑把でじゃれあう感じだけど、スピスさんはとても優しい手つきで、安心して、ずっとここにいたいって、ご主人様以外で初めてそう思って……だから嫌われて終わるくらいなら、自分から離れようって……!」


 ミツホシはまた泣きそうになりながらスピスを見る――スピスはすでに、涙が溢れる直前だった。


「ミツホシぃ……」

「え」

「ミツホシ――!」

「ピ――!?」

「うわぁぁぁごめんねぇ! 私、あなたの気持ちを知ってたら、あんなこと、うわぁ~ん!」

「そんな、そんなこと、う……うわぁ~ん!」


 最後は2人で抱き合って、大声でわんわん泣きあった。


 ◇


 やがて2人は一緒に泣き止んで、それからお互い真っ赤に腫らした目を隠すことなく、満天の星々を眺めていた。スピスがぽつりと呟いた。


「スッキリしたわね」


 ミツホシは答えた。


「スッキリしました」

「……ならよし! それじゃあ掃除しましょうか!」

「ピ? どこを掃除するんですか?」

「あなたが荒らしたコープリアさんの部屋よ」

「!」

「察するに、文通のために本を引っ張り出したはいいけど星文鳥の体じゃ戻すことができなかったんでしょ? あれじゃ鳥は良くても人の足の踏み場がないわ。あと家中に積もった埃も払ったりしないとね」


 言われた途端、ミツホシは思い出す。

 『新しい主人を探せ』主人の最後の命令を。


(ぼくが選んだ新たな主人にこの家を託すと、ご主人様は言っていた)


 考えるだけでずきりと胸が痛む。その気持ちを、ミツホシは1度だけ瞳を閉じて受け入れた。再び目を開いたときには、ひとつの決心がついていた。


「あ、あの。スピスさん!」

「なあに?」

「もし……もしあなたが良ければなんですけど、その、ぼくの……新しい、ご主人様に」


 言い切る前に、スピスの人差し指がミツホシの口に蓋をした。


「あなたのご主人様はコープリアさんだけ。そうでしょ?」

「あ、う……」


 ミツホシの目が、しゅんと寂しく伏せられる。


「そう、ですよね……」

「そうよ。だって離れてなきゃ、文通にならないじゃない!」

「……へ?」


 ミツホシはぽかんと口を開き、スピスはさも当然のように言う。


「人になる魔法はそのうち解けちゃうけど、そしたら何度だってかけてあげる。それで今度は私が教えてあげる。人の手で人の文字を書く方法を。そして手紙の送り方を!」

「ぼくが、手紙を……?」

「ええ! そしたらもう離れてても、会えなくても、あなたの気持ちをどこへだって届けられるわ。この街中どこへだって、もっともっと遠くだって!」

「もっと、遠くへ」


 呟いたその瞬間、ミツホシは感じた。自分の中でなにかが動き出す感覚を。


(もしかしたら、もっと遠くへ届けられれば、いつかまた)


 想いに急かされ顔を上げれば、スピスが手を差し出していた。


「だから私と、文通をしましょう!」

#未来

 あちこちで人と船が行き交い、鮮烈な光があちこちで灯る。眠らぬ夜の港。そのへりに彼女は立って、細長い手指で便箋を持って、読む。


『そうしてぼくは、スピスさんと文通を始めました。それがだいたい1年前の話です。』


 指の間で何枚も重なっている便箋は、全部合わせて1つの手紙である。その長い長い手紙はどういうわけか、ある日人づてに彼女のもとへと届いてきた。


『あれから家はすっかり綺麗になったし、ぼくはこうして手紙を書けるようにもなりました。郵便ポストの使い方を覚えましたし、他の星文鳥に頼んで届けてもらうことだってあります。』


 海の向こうから吹いてくる、(しお)の香りが混じった風が、折り重なった手紙と彼女の長い黒髪を揺らす。


『1羽の星文鳥として、自分で手紙を届けないというのはもどかしい感じがあります。相手の顔が見えず、読まれたどうかすらお返事が来るまで分からないのはソワソワします。でもその時間が。待って、期待して、思いを馳せることが本当にワクワクして、楽しかったりもするんです。不思議ですね、手紙って。』


 丁寧に綴られたいくつもの文字、文章。それを赤色の瞳に映して、彼女は微笑む。


(下手したら、私より字が上手いな)


 便箋を1枚めくった。まだ読んでいない便箋の残りはあと2枚。


『ちなみにスピスさんに送った手紙の中身は、主に自分の近況やご主人様との思い出話です。あとはその昔ご主人様が「内緒にしてくれ」と言ってた失敗や、こっそり隠してある方の日記帳のことなんかもたまに書きます。これはぼくを置いていった仕返しです! あの家をぼくに託したのはご主人様なんだから、そこらへんを好きにする権利もある。と、スピスさんに教えてもらいました!』


 彼女はむっと眉根を寄せて、苦言を漏らす。


「まったく、悪い友達に悪い遊びを教わりやがって。あいつ、今度会ったら思いっきりむにむに……」


 苦言が止まり、苦笑に変わった。


「できないんだったな。そういえば」


 ここはプラネタとはなにもかもが違っていた。

 夜闇を切り裂く人工の光。黙っていても汗が出るような暑さ。肌に絡みつくような湿気。つんと鼻を突く潮の香り。なにもかもが、星文鳥には適さない。

 そんな現実を振り返って彼女は自嘲気味に呟く。


「選んだことに後悔はしない。そう決めたのに、まだまだ修行不足……」


 と、自嘲はそこで途切れた。そうさせたのは手紙の続きであった。


『他にもたくさん色んなことがありました。書きたいことがありすぎて、書ききれなくて、いっそ会って話したくて……だからぼくは決めたんです。』


 その次の一文を読んだ。

 その瞬間、鏡のように澄みきった真っ赤な瞳が大きく開いた。


『ご主人様、ぼくはあなたに会いに行きます。』


「ミツホシ」


『確かに星文鳥はあなたが今居る場所じゃ生きられないかもしれませんが、でも世の中には魔法で冷える鳥籠や、湿気や塩から羽を守る軟膏など色んな方法があります。為せば成る! とスピスさんも言ってました!』


『だから待っていてくださ』


 その一文だけには斜線が引かれて、書き直されていた。


『やっぱり待たなくても良いです。ご主人様はご主人様の自由に生きてください。ぼくも自由に、何度だって手紙を送って、何度だって会いに行きますから。ぼくを選んでくれたお礼。勝手に置いていったことへの文句。あなたとスピスさんがくれた思い出。その全部をいつか、ぼくの言葉で伝えるために。』


『それではまた会う日まで、お体には気をつけてください。ミツホシより』


「また会う日まで……か」


 手紙を読み終えた彼女はどこか寂しげに口端を上げて……はたと気づいた。あと1枚だけ手紙が残っていることに。

 彼女は不思議に思いながらも最後の1枚を読もうとして、驚く。読むまでもなく目に飛び込んできたのは、1枚の絵であった。

 片や癖のある金髪に萌黄色の瞳の少女。片や長い黒髪に深青の瞳の少女。そんな2人が並んで笑っている絵。その下には、短い文章が添えられている。


『追伸。ミツホシは“いつか”だなんて言ってたけど、そんなの悠長だって思わない? 会いに行きたいと思ったらすぐ会いに行けばいいのよ、こうしてアポも取ってるんだしね。』


「は?」


 彼女は怪訝そうな顔をした。手紙にはまだ続きがあった。


『ところでコープリアさん。あなたがこの手紙を読んでいるとき、そこは海の前かしら? 雲ひとつなく、晴れ渡った夜かしら? もしもそうだったらぜひ空を見上げてみてちょうだい。そしたらきっと、異国の夜空に懐かしい流れ星が見えるから!』


 コープリアは思わず空を見上げた。天の川がない夜空。人の光に掻き消され、星が散り散りになった夜空。故郷とはなにもかもが違う夜空……


「!?」


 赤き鏡目が不意に捉えたのは、双子の流れ星であった。

 片や一定の光度を保ち続ける見慣れた星。その傍らで飛んでいるのは、ちかちかと瞬く吉兆の星。

 コープリアは考えるより先に、つい笑ってしまった。


「ははっ。星に導かれて離れたのに、まさか星の方から追いかけてくるなんて、こんな未来は見えなかったよ」


 2つの星は円を描いて、コープリアの元へと近づいてくる。コープリアもまた星に向かって手を伸ばす。


「私もまだまだ修行不足だな!」


 舞い降りてくる2つの星に先んじて、1枚の羽根が舞い落ちる。空に伸ばした手が掴んだのは、白と黒のまだら模様の羽根だった。

これにて完結。ここまで読んでくれた方が何人いるのかわかりませんが、この作品を見つけてくれた貴方へ感謝を。ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
ここにミツホシたちに古代中国の詩を贈りたい❤️ 但愿人长久 願わくば、愛する人の久しく恙(つつが)なきことを 千里共婵娟 千里離れても、今宵の月、共に望めんことを
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