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5話 文に宿るもの

 スピスが『あの魔法』を会得した日の晩、ミツホシはスピスからこんな伝言を受けていた。


「明日の夜は屋根の上に来てね!」


 ゆえに次の日、ミツホシは言われた通りスピス宅の屋上へと飛んできた。今日も今日とて星の光を纏い、日記の1ページを咥えて、平べったい屋根の上に降り立った……と、そこにスピスはいなかった。

 その代わりに、見知らぬ星文鳥がいた。

 ミツホシは咥えていた日記を離し、それを足で器用に押さえながら前を見た。


「ピ?」


 こちらはミツホシの鳴き声。首をくるっとかしげたその先に、見知らぬ星文鳥が立っている。真っ赤なくちばしと深い青色の瞳。そして夜闇のごとくシミひとつない真っ黒羽毛。とても立派な星文鳥である。


「ピー、ピピピ!」


 こちらは見知らぬ星文鳥の鳴き声だ。その1羽はとてとて歩いてミツホシへと近づいてきた。

 目と鼻ならぬ、くちばしの先にミツホシ。そんな距離まで近づいて、見知らぬ星文鳥は再び鳴いた。


「ピピー! ピピピピ」

「……」


 ミツホシはきょとんとしている。一方で見知らぬ星文鳥はいきなり翼をばっさばっさ。そしてもう一鳴き。


「ピピピ! ピピ!」

「……ピ?」

「ピ、ピヨ、ピョー」

「ピー……」

「……」

「……」


 すると、見知らぬ星文鳥がいきなり光り始めた。なにの比喩でもなく、ピカッと光り始めたのだ。赤と青、2色の光が星文鳥の左半身と右半身から溢れ出す。


「ピュ!?」


 ミツホシは驚き飛び跳ね後退した。

 一方、謎の発光はついに見知らぬ星文鳥を覆いつくし、縦に膨れ上がり、人の子ぐらいの大きさにまでなったかと思うと、カッ!一際眩しく輝いて、そして全ての光が消えた。


「――ふぅ」


 静かな吐息に混ざった少女の声。

 光が収まったあとに残されていたのは、癖のあるショートの金髪。萌黄色の大きな目。オレンジ色のスカートに、星遊び伝統の黒マント。


「どっかの学者が言ってたわ」


 スピスが水面杖を握って、そこに立っていた。


「『世の生物はすべからく人の言葉を理解しうるが、人は人以外の生物の言葉を理解できない。人の知性などその程度に過ぎない』だったかしら」


 ――変身の魔法。

 それは『古星神プロウス』の力を借りて行う魔法である。生物の姿形を設計したと言われる神。その力を拝借すれば、生物に仮初の姿を被せることができる。

 つまるところ、先ほどの星文鳥はスピスが魔法で変身したものであった。


「あれって案外正しいのねー、残念。星文鳥に変身すれば、あなたの言葉が分かるんじゃないかなって思ってたんだけど」


 スピスは人の言葉をもってミツホシへと話しかけた。その一方で。


「…………」


 ミツホシはあんぐりとくちばしを開けて、固まっている。そんなミツホシを前にして、スピスは顎に手を当てて思案する。


「こっちを変えて駄目なら、やっぱりその逆で……でも試したことないのよね。理論上はできるはずだけど……」


 スピスはいくらか呟いたあと、我に返って首をぶんぶんと横に振る。


「それよりも今は渡すべきものを渡す方が先だわ。ねぇ……」


 ぐっ、と。一瞬だけ言葉を詰まらせて、すぐに押し出す。


「ミツホシ!」

「ピュイ!?」


 それまで唖然としていたミツホシは、急に呼ばれたことに驚いてぴょんと跳び跳ねた。

 一方、スピスはミツホシの前に座ると1枚の封筒を手渡す。そしていつになく真剣な顔で言う。


「今日の手紙は絶対に落とさないで、ちゃんと届けてね! とっても、とーっても大事なものだから。約束!」

「ピ……」


 スピスに若干気押されながらも、ミツホシはそのくちばしで封筒を受け取る。しっかりと挟み込まれた封筒を見て、スピスは頷いた。


「うん! それじゃあよろしく! ごめんね、今日はなにもおもてなしできなくて。最近魔法の練習で忙しかったのと、考えたいこともいっぱいあったから……」


 スピスは気まずそうに目を逸らす。一方、ミツホシは勢いよく翼を広げた。いつも通りの調子ではばたき、いつも通りの調子で飛び立つ。やがていつも通り、一筋の流れ星となって遠くへ飛んでいくその姿に、スピスはどこか励まされたような気持ちを感じる。


「気にするな、ってことなのかな。なーんて、どこまで行っても想像なんだけど。私の気持ちは伝えられても、あなたの気持ちは分からない……」


 それからスピスは手を伸ばして、拾った。それはミツホシが置いていったコープリアの日記であった。日記とはすなわち、当人の想いを当人の言葉で綴ったもの。それをスピスは寂しげな目で見つめる。届けられた1枚に、寂しげな声音がぽつりと落ちた。


「あなたの言葉を聞かせてよ、ミツホシ」


 ◇


 その部屋を照らしているのは、窓から差し込む月明かり。それと窓のそば、机のへりで昼の間に日光をたっぷり吸った手乗り月だけであった。

 淡く白い2つの月に照らされている、その部屋は荒れていた。

 例えば本棚からは何冊もの本が抜けて床に落ちていた。それらは手当たり次第に開かれて、あるいは破かれていた。

 散乱していた本の中には日記帳やノートもあった。また、部屋の隅には小冊子が無造作に積まれてもいた。

 足の踏み場にさえ困るような部屋の中。唯一綺麗な机の上で、ミツホシはスピスから貰った封筒、その封を止める蜜蝋をコツコツと突いている……ぱきり。蜜蝋が割れると、ミツホシはくちばしを器用に使って封筒を開き、中から便箋を引っ張り出す。

 出てきたのは、1枚の便箋だった。

 静かな月光に照らされる大きな便箋。そこに書かれているのは、たった一言だけだった。


『あなたに会いたい』


 ◇


 次の日の晩。

 スピスが学校から自室へ戻ってくると、机の上には小さな小さな紙切れが置かれていた。そこに書かれていたのは、たった一言だけだった。


『ごめんな』


 スピスは一瞬呆然として、それからすぐに窓の方を見る。ミツホシと出会って以来、寝ているときと家に誰もいないとき以外はいつも開きっぱなしにしている窓。


「ミツホシ……!」


 窓の向こうでは、今日も満天の星が輝いている。スピスの脳裏に一昨日先生から教えてもらった『鏡目のコープリア』の逸話、その一節が過ぎる。


 ――優秀な星遊びだからこそ、星に逆らえなかったのかもしれないわね


 スピスはぎりっと歯を噛んだ。子供らしい大きな瞳に、ぎゅっと強い意志が宿る。


「……こんな形で、終わらせてたまるもんですか!」

 スピスは水面杖を鞄から取り出して部屋から飛び出す。その脳裏に、先生から聞いた話が過ぎる。


『『鏡目』という異名は、その特異体質から来るものです。本来、星遊びの魔法には水面杖や水晶など星を写すための鏡を使います。しかし彼女の赤い瞳。俗に『鏡目』と呼ばれる特異体質は、その瞳自体を鏡にして星を写すことができるのです』


 スピスは屋根へとすぐに上がった。右手の水面杖を大きく振るって先端の鏡に星を写し、間髪入れずに触媒を取り出す。スカートのポケットから出てきたのは灰と黒のまだらな羽。それを鏡の上に乗せてから、追跡の魔法を唱える。


(とばり)より生まれし黒鷲よ。その黄金の(まなこ)をもって我が求る獲物を……探して!」


 鏡はすぐさま光を放つ。それはぶわっと膨らみ、鏡から溢れて、やがては光の大鷲に姿を変えて夜空の向こうへ飛んでいき、夜の空に一筋の軌跡を描きだした。遥か遠くへと続いていくそれを、スピスは目で追う。脳裏で先生の話を何度も何度も繰り返しながら。


『ゆえに星を通じて運命を視る『占星』がコープリアの得意な魔法でした。まぁ得意というか、当人からすれば『星が勝手に運命を視せてくれる』ということですが……』


 スピスは続けて、水面杖で別の星座を写す。それは赤い一等星を左手に、青い一等星を右手に掲げ、あらゆる生き物の形を定めたと言われる古き神。


「造形を司る古星神プロウスよ。その祝福を持って、仮初の姿を与えたまえ!」


 鏡に写った青と赤の光が煌めき、スピスをぶわっと包み込む。


『そんな、10年に1度現れるかどうかの特異体質ゆえに有名だったコープリアですが、しかし鏡目を抜きにしても彼女はとても優秀な生徒でした。常に学ぶことを楽しみ、面倒見も良かったものだから、下級生相手に家庭教師のバイトなどもやっていましたね。そしてなにより……彼女は星を愛していました。おそらくは星からも愛されてもいたのでしょう』


 赤と青の光が収まったときには、スピスは星文鳥へと姿を変えていた。深い青を湛えるつぶらな瞳で空を見上げれば、そこには未だ大鷲の軌跡が残っている。スピスはすぐにはばたいて飛び立ち、その軌跡をなぞり始める。


『彼女は2年前にここを卒業し、そして1年前に学校に戻ってきました……恩師や母校へと、別れを告げるために。私はその詳細を知りませんが、あとから聞いた話によれば彼女は星の導きを視たそうです。自分が歩むべき運命はここではない、遠き異国の空にあると。その導きに従ってみたい、と』


 軌跡を辿って飛ぶうちに、眼下に見える景色が変わってくる。街から郊外へ。そして平野へ。軌跡はやがて広大な麦畑へとスピスを導いていく。


『あと5年でもこの街で魔法使いを続けていれば、この街どころか世界に名が広まるような魔法使いになっていたでしょう。そう思うとあまりに惜しいものですが、しかし才能ある星遊びとは、えてしてそういう運命にあるのかもしれませんね』


 軌跡を辿りに辿ったその向こう。麦畑とのどかな道くらいしか存在しないような平野にポツンと1軒だけ、小さな家が建っている。平たい屋根の1階建て。その家の壁にぶつかって、光の軌跡は途切れていた。

 スピスは一軒家にたどり着くと、周囲をぐるぐる回って探りを入れていく。


(星文鳥を飼ってる魔法使いの家なら、星文鳥専用の出入り口がどっかにあるはず。多分この辺りに……)


 垂直な壁と平たい屋根の接合部を念入りに見て回っていく。すると程なくして見つけたのは、屋根の影に隠れるようにして壁に開いた丸い穴。それこそが星文鳥に文を届けさせる際よく使われる通り道だと当たりをつけて、スピスは迷わず飛び込むのであった。


 ◇


 暗闇を抜ければ、そこはリビングであった。そうと一目で分かる程度に部屋は明るかった。

 その光源は、室内に付けられたいくつかの窓だ。開け放たれたカーテンの間から星月の明かりが差し込み、それに加えて窓のへり、あるいはすぐそばの棚などの数カ所に置かれた手乗り月もその淡い光で部屋全体を照らしている。

 スピスは部屋をぐるりと見渡してから変身を解く。赤青の光が彼女を覆い、そして消えたときには人の姿に戻っていた。


「もっと荒れてるかと思ってたけど、案外綺麗ね。まるで今でも誰か生活してるみたい……まぁちょっと埃は積もってるけど」


 スピスはそう呟いて、すぐそばにある机を指でなぞる。指に灰色の埃が付いたので、それを服で払ってからリビングを歩き回っていく。

 小ぢんまりとした食器棚を見る。

 2脚の椅子に挟まれた机を見る。

 壁に貼られた世界地図を見る。その隣には天体地図もある。

 大きな暖炉が備え付けられていて、そのすぐ近くにはロッキングチェアがある。

 チェアの足元には茶色のバスケットが置かれていて、その中には数冊の本が積まれている。1番上の1冊には栞が挟まれている。スピスはその本を手に取った。

 タイトルは『常夏を旅する』。手乗り月のそばまで行ってから、ぱらぱらと開いて流し読む。中身をざっと把握して、それからむむむと眉を寄せた。


「ここよりずっと暑い国の紀行文……ここが、コープリアさんの行き先?」


 呟いたその疑問に答えるものは誰もいない。スピスは本を元の場所に戻すと、リビングを出て行った。

 

 ◇


廊下にも窓があり、すぐそばに置かれた手乗り月が光っている。ゆえに迷うことなく片っ端からドアを開ける。

 トイレがある。風呂場がある。玄関があって、引き返して、次のドアを開ける。ドアの向こう。手乗り月らしき淡い光に照らされた部屋へ1歩、踏み込もうとして。


「うわっ!」


 思わず足を引っ込めた。

 スピスの薄暗い視界。その多くを占めるのは、床中に散乱している本、本、本。部屋いっぱいの本の海。壁際の大きな本棚からいくつもの本が落ちて、あるいはところどころで山積みになって、そして目に映る本という本の多くが無造作に開かれている。


「うわ~、なにこれ。まさか泥棒でも入って……」


 と、そこでスピスはふと気づいた。開かれたいくつもの本。そのうちの1冊のページが破られていることに。

 さらにもう1つ気づいた。破られたページから見える次のページに、花の挿絵らしきものが描かれていることに。


「あれって!」


 スピスは床に散らばった本を1つ1つどかして道を作り、果たして先ほどの1冊へと辿り着く。その1冊を手に取ってよく見れば、それが植物の図鑑であることはすぐに分かった。そして破られたページと前後の花の名を確認したその瞬間、パチっと閃きが走る。


「この破られた部分……ミツホシが送ってくれたところだ」


 急いで周囲を見渡す。薄暗さに慣れてくれば、さらなる事実がじわじわと見えてきた。散らばっているのは、本だけではなかった。

 例えば見覚えがありすぎるお手製の小冊子。例えばスピスも使っている、そして学校の購買でもよく売っている勉強用のノート……スピスは床に散らばった物の中から、ノートの1冊を手に取った。それもまたいくつかのページが破られている。薄明かりの中、無事なページを目を凝らして読んでみる。


『◯月×日。空気が澄んだ涼しい夜』


「もしかして」


 スピスはノートを一旦閉じて、表紙を見る。するとそこには『日記帳その5』と書かれていた。


「コープリアさんの、日記……」


 スピスは再びノートを開いて、その中身に忙しなく目を通していく。


『今日はミツホシが初めて飛んだ! あいつの翼は夜空の光を受けた途端、きらきらと輝いたんだ。明も暗も兼ね備えてこその星空。それをぎゅっと詰め込んだように色んな光を見せる翼は、それはもう本物の星空にも負けないくらいに綺麗だったんだ!』


『ミツホシがだんだん言葉や地図を覚えてきた。元は魔法使いが生み出した使い魔というだけあって星文鳥は賢いと聞いてたし、仕事の役に立つかと思って毎日教えていたわけだけど……どちらかといえば日常生活で捗ってるんだよな。たとえば私がうっかり道を間違えたら鳴いて引っ張って、正しい道を案内してくれるんだ。ちなみに今日は2回くらいそれをやったわけだが……』


『最近分かった。あいつは星文鳥の中でもかなり賢い。私は当たり前だと思ってたけど、ここまで人の言葉を正確に理解するやつは中々いないらしいんだ。でもその一方でここまでおっちょこちょいなやつも少ないらしい。たまに帰ってこないと思って探してみれば、壁に頭をぶつけて気絶したとか怪我したとかで鳥医の世話になっていた……なんてことがたびたびある。それでも懲りずに今日も元気に飛んでるあたり中々図太いやつだけど、やっぱり心配だし、いざというときのために街の鳥医を一通り訪ねて顔を覚えてもらおうと思う。』


「……あ」


 気づけば日記を読み終わっていた。スピスは辺りを見回して次の日記を探す。『日記帳その6』はほどなくして見つかった。

 読んでみれば、日々の何気ない出来事が綴られているページがしばらく続いて――不意にぴたりと、ページをめくる手が止まる。

 その日の日記に書かれているのは、たったの一言。


『星が視えた』


 次の日は、ページの空白がほとんどないほど文字でびっしり埋まっている。


『私は今まで星を見て、運命に従って人を導いてきた。それは良いことだと思ってきたし、今でもその気持ちは変わらない。だけど自分が導かれる側になって、改めて考える。星に自分の運命を決められる。それは星で遊ぶのではなく、星に弄ばれているだけじゃないだろうか。』


 そこから先は、何日にもわたって葛藤ばかりが綴られていた。


『運命なんて大げさに言うけれど、要はちょっと運が上下するだけだ。べつに星に従わなくても、人は幸せになれるんだ。』


『夜風が気持ちいい。まんじゅうが美味しい。人は大らかで、街には流れ星が飛び交い、なにより空を見上げれば、満天の星がいつだってそこにある。この街でずっと生きていくのだと思っていた。』


『大事なもの、捨てたくないものだってたくさんある。この家だってそのひとつだ。夕方は小麦畑が金色に煌めいて、夜の空には遮るものがなにひとつない。みんなは街から遠くて不便だと言うけれど、この景色を独り占めできるんだから安いものだ。』


『星文鳥は繊細な生き物だ。病気や気温の変化に弱いから、年中涼しく穏やかな気候じゃないと生きられない。』


『眠れなくて、また筆を取ってしまった。常夏の大地。知らない世界。そこにはどんな人がいて、どんな星が見えるのだろう。かつて本で読んだ、遠い異国でしか見えない星々。それに憧れて眠れなかった日を、ふと思い出した。』


(コープリアさん、本当に何日も悩んでたのね。この人も迷うことってあるんだ……)


 スピスはそう思いながら、また何気なく次のページを捲って。


「……!」


 ぐっ、と息を飲んだ。飲まざるをえなかった。

 なぜなら最後の日記は、それだけは、他のものとは明らかに違った意図で描かれているのだから。


『この日記を読んでいるきみへ』


 それはもはや日記ではなかった。その言葉は明確に、日記を覗き見てる読者へと向けられていた。


『この日記を読んでるってことは、きみはミツホシに導かれたってことなんだろう。なんで分かるかって? だってあいつが心を許さないと入れないように、ちょっとした魔法を仕掛けてあるからね。やー、でも日記を読まれるのは普通に恥ずかしいなぁってそんなことは置いといて、早速本題に入ろう。結論から言えば、この日記を読んでいるきみにはこの家の、そしてミツホシの新たな主になって欲しいんだ』


「っ!」


『家の権利書はこの部屋の棚の一番左下にある辞書。そのブックカバーをダミーにして隠してある。それとそこにはミツホシと暮らすにあたっての注意点とか、家の中で唯一開けてはいけない隠し扉とか、まぁ色々書いた説明書も一緒に突っ込んであるから併せて読んでくれ。』


「なによ、それ……」


『それと、これを読んでるきみはきっと私のことを薄情な人間だと思っていることだろう。』


「うぇ!?」


 スピスは驚いた。日記をつい落としそうになってしまったくらいに。


『驚いた? だったらちょっと嬉しいな。』


「この人、本当にどこまで見えてるのかしら。鏡目って恐ろしい……」


『ああ、もし当たってても安心してくれ。私はきみのことを全く知らないし、リアクションが視えているわけでもない。ただ……私がきみの立場だったら、同じように憤ると思った。それだけさ。』


「…………」


『今は私がいなくてもミツホシが生きられるよう、私なりに最善を尽くしている真っ最中だ。それでも私が旅に出ることを選んだ事実は覆らない。そうだ。私は自分で決めたんだ。星の導きを言い訳になんてしない。私は私がそうしたいからこの街を、大切なパートナーを捨てるんだ。』


『だからこそ私はこの家とここにある全てを引き換えに、君にお願いする。どうかミツホシを幸せにしてやってくれ。たくさんの愛情を注いでやってくれ。こんな私のことなんて忘れて、自由に夜空を飛び回れる。そんな未来を与えてやってくれ。』


 そこで日記は終わった。まだノートのページ自体は余っているが、あとは全て白紙であった。

 スピスは日記を静かに、丁重に閉じた。それから元々置かれていた床に戻そうとして……手を止める。


(床なんかに放っていい物じゃない)


 そう思って顔を上げる。周囲を軽く見渡せば、日記を置くべき場所はすぐに見つかった。部屋の最奥。そこにある素朴な机の上では、手乗り月が淡く光っている。

 日記を手にその机へと近づく。机の上には1枚の便箋が置かれていた。シワひとつない便箋は、文鎮代わりに手乗り月で押さえつけられている。小さな月光に照らされた文章には、こう書かれている。


『ミツホシへ』


『我ながら卑怯だと思うけど、こうでもしないとお前は絶対に着いていくと思ったから、寝てる間にこれを書かせてもらった。今日まで散々言い聞かせもしたけど、改めて。お前には守ってもらいたいことがある。』


『まず1つ、健康には気を付けろ。お前もよく世話になっている馴染みの鳥医が庭にペレットを出してくれるって話だから、ちゃんと毎日食べに行くこと。あと家の前の麦も自由に食べていいって地主に許可は貰っといたけど、節度はちゃんと守ること。前みたいに太り過ぎるなよ?』


『もう1つ、新しい主人を探せ。この家にはお前が心を許した人じゃないと入れないように魔法を掛けてあるから、お前が主人に相応しいと思う人を見つけたらこの家に連れてきて、私の日記を読ませてあげてくれ。それからこの家で、あるいは別の家になるかもしれないけど、その人と幸せに暮らしてくれ。』


『それから最後に。ミツホシ、お前を捨てるのはお前のせいじゃないんだ。だからなにも気にしないで、私のことなんて忘れて、どうか健やかに生きてくれ。お前に出会えて本当に良かった。今まで私なんかと一緒にいてくれてありがとう。』


『不甲斐ない主人で    』


 最後の一文は、そのごく一部だけが切り取られている。そこにあった文字がなんなのか、スピスは考えるまでもなく分かった。


 ――ごめんな


 ぎゅっと、胸の奥が締め付けられる。スピスはぎりっと歯を噛んで、手紙から視線を外した。その頭に浮かぶのは、小さな親友1羽だけ。


(……探さなきゃ!)


 急いで部屋を出ようとして、机の片隅に積まれたものにふと気づく。スピスは思わず、積み重なったその1枚を手に取る。そこには真っ白な便箋に小さい文字で、たった一言だけ書いてあった。


『あなたに会いたい』


「私の、手紙」


 スピスは積み重なっていたものを片っ端から手に取って、見て、理解する。


(これ全部、私が送った手紙だ)


 萌黄色の瞳は、あっという間に涙で滲んだ。


「私の……馬鹿!」


 涙がこぼれ落ちるその前に腕で拭い、部屋を飛び出す。廊下を走る。まだ開けていない部屋はあと1つだけ。廊下の最奥にあるその部屋へとすぐ辿り着き、ドアを開ける……までもなかった。

 なぜならばそこはドアがない、出入り自由な部屋だったからだ。その部屋からもまた、淡い白光が垣間見えていた。


(なんでここだけドアがないの? こんな部屋、初めて……)


 無人の家。謎のドアなし部屋。今更ながらわずかに恐怖を覚えつつ、部屋にゆっくりと踏み入って……真っ先にそれに気づく。


「あら、ここに天窓があったのね」


 部屋を満たしている白光は、手乗り月ではなく本物の月光。天井に付けられた大きな天窓が、小ぢんまりとした部屋全体を照らしていた。


「それで、この部屋は……」


 スピスは照らされた部屋の中をじっくりと観察していく。

 例えば壁にかけられた木箱の中から綿毛のベッドがはみ出している。例えば部屋の隅には木棒を組み合わせて作られた止まり木が立っている。他にも星文鳥を模した小物。あるいは餌用の皿や給水器などが置かれていたりもして、スピスはそこで結論づけた。


「ミツホシの部屋、よね」


 そう思ったあとにすぐミツホシの姿を探したが、木箱の中を覗いて止まり木をぐるっと見て、それだけで探す場所がなくなってしまった。ちなみに家自体も狭いので、もう未知の部屋は1つもない。


「うーん。追跡の魔法がこの家を示した以上、ここに居たことは間違いないはずなんだけど……もしかして入れ違い? だったらいっそ戻ってくるまで待つか……あ。まだ探してない場所が1つだけあったかも」


 そうしてスピスは顔を上げた。その視線は月光差し込む天窓の真下へと向いていて、そこには1本の梯子が掛かっている。

 大抵の家では星を見るため屋根に登れるようになっている。それが満天の街プラネタの常識であった。

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