3話 拝啓、まだ見ぬ憧れの貴方へ
淡い白色に部屋中が照らされていた。
壁一面を覆う立派な本棚、部屋の隅に平積みされた薄い冊子、そして窓際に配置された素朴な木製の机。それらを照らす光源は、机の上に置かれた手乗り月。昼にたっぷりと陽光を吸い込み夜に少しずつ月光を吐き出す魔法の道具の隣では、1羽の星文鳥がその深青の瞳に1枚の手紙を映している。
『コープリアさんへ』
『この前は素晴らしい1冊をありがとうございました。おかげでずっとできなかった魔法に初めて成功しました! それにあなたの星文鳥はちょっとおっちょこちょいだけど、そういうところも含めてとってもキュートで、飛ぶ姿はとっても綺麗!』
『だから私、あなたたちのことがとっても好きになったし、とっても気になっちゃうんです。あの子の名前を知りたい。あなたの仕事を知りたい。あなたとあの子が普段、どうやって一緒にいるのか……要するに、私はあなたたちと友達になりたいんです! それに偶然から始まった文通友達って、とっても素敵だと思いませんか!?』
『正直言うと、たまーに勉強を教えてもらえないかなとかあざといことも思ってますけど、でもそっちは嫌なら全然いいです。そんなことより、私はあなたたちともっと他愛もないことをお話ししたい。これは本当に本当です。』
『もちろんあなたが嫌なら、お返事をくれなくても構いません。でも、もしあなたが良ければ……私はいつでも待っています。毎晩部屋の窓を開けて、麦やお菓子を用意して。あの綺麗でキュートな流れ星が、いつ降ってきてもいいように。』
『スピスより』
◇
開け放たれた窓の向こうから、綺麗でキュートな流れ星が降ってきた。スピスはパァッと笑顔を見せて、机の上に降り立った星文鳥へと駆け寄る。
「いらっしゃい3日ぶり! 来てくれるって信じてたわ!」
部屋中には香ばしく甘い匂いが漂っている。その発生源も机の上にあった。
「これ見て! 小麦のビスケットを細かく砕いたの。私が焼いたのよ! ささ、いっぱい食べて!」
スピスがテンション高く誘えば、星文鳥はそのくちばしに咥えていた1枚の紙をぱさっと落とした。そのまま匂いに釣られるように、ビスケット入りの小皿に向かって歩いていく。
小さな足でとてとて歩いて小皿の前へ。
丸い顔を、そこに乗った小麦色の欠片へと近づけて。
そのままじっと見て、見て、見て、ぱくり。
「わ」
スピスが見守る中、赤いくちばしはもう一度。二度三度。ぱくり。ぱくり。またぱくり。
「わ、わ、わ!」
やがて小皿をかつかつと鳴らして、勢いよく食べ始めた。
「わ〜!」
スピスは歓声と共に慌てて小走り。壁際にある鞄の中からスケッチブックを取りだそうとして、そこでハッとする。
「あ、手紙を読むのが先よね! せっかくお返事くれたんだし!」
今度は机へと小走り。そこに置かれた“手紙”を見て……きょとんと首を傾げる。
「手紙……?」
星文鳥が届けてきたのは、たった1枚の紙だった。封筒にすら入っていないその紙には黒鉛筆でびっしりと文字が書かれている。
「どういうことかしら……」
疑問に思いながらもその紙を手に取って、その場で立ったまま読んでみる。書き出しはこうだった。
『10月12日 月すら見えない雨模様』
『雨降ってるから暇だし、思考の整理として最近分かったことを書き留める。どうも私のやり方は、案外ウケがいいらしい。』
なんでもない日となんでもない天気。それから誰に当てたわけでもないひとりごと。
「……日記?」
よく見れば、紙の一片には明らかに千切られたせいであろう、ギザギザの跡が残っていた。
(コープリアさんが自分の日記からこれを破ったってこと? でもなんで日記?)
疑問を膨らませながらも、とりあえず読み進める。
『運命は必死こいて視るんじゃなくて向こうから勝手に視せてくるものだって、私はそう思ってる。なんとなく夜空を見上げれば星がふと教えてくれるから、それをその場で書き留めて、ミツホシに届けてもらう。それが私の仕事のやり方。』
「ミツホシ? もしかしてあの子の名前かしら……」
『そんなんだから一応しっかりした手紙セットなんかも持ち歩くようにしてるんだけど、わりとうっかり忘れちゃうんだ。でも運命は一期一会。すぐに書いて急いで届けないと機を逃すかも。だったらその場にある紙を使ってでも書くしかない。例えばメモ帳。その場で慌てて買った紙。なんならチラシや領収証の裏側に書くことだってある。それでそのまま送っちゃう。そりゃ私だって失礼だと思ってるさ。でもいつも考える前に書いて、ミツホシに渡してから気づくんだ。またやっちゃったなって。』
「……あの子もおっちょこちょいだと思うけど、ご主人様の方はスケールが違うわね。でも、そういうやり方ってなんか、なんだか……」
『だからもちろん、あとでちゃんと謝りに行く。こんなんでもお金貰ってる身だしな。で、今まで両手で数えられない程度には頭を下げてきた。最初の方は怒られたこともあった。格式とか、誠意とかで。うん、しゃあなし。でもそれは本当に最初の方だけで、いつの間にか全然怒られなくなっていた。むしろ前より依頼が増えたまである。特に私と同じくらいか、もうちょい年下の学生とかから。なんで?』
「学生がちょい下ってことは、結構若い? あと口調的に女の人かしら。で、そんな人がそういうやり方で運命を届けてくる……」
うずうず。スピスの体がちょこっと揺れる。
『素直に分からなかったから、この前謝りついでに聞いてみた。お相手は恋に悩んでたパン屋の娘。なんで私に依頼したのか、聞いてみれば返ってきたのは「かっこいいからです!」なんて、チラシの切れ端を大事そうに抱きながら力説されたわけだ。』
「うん……うんうん!」
『そのへんから察するに、私の適当さというのは今どきの若者には“かっこよく”見えるらしい。今どきの若者分かんねーな! でも、自分らしいやり方がウケてるならそれが一番良いと思う。なんて開き直っちゃうあたり、私はつくづく自分勝手な人間だ。我ながら困ったもんだよ。』
日記に残った文字はもう少ない。
『と、書いてるうちに雨が上がったな。私にしちゃけっこー長くなったけど、今日はこの辺にして星と遊んできますかね。もちろん手紙セットは忘れずに。あ、でも封筒を切らしてたような……ま、それも運命だな。運命!』
日記はそこで終わった。
スピスは読み終わると「はふぅ……」息を吐いて、天井を仰いで、それから思う。
(……かっこいい!)
スピスは今どきの若者であった。
「なんか……なんかいいわね、形式に捉われないクールな感じで! それに道具を使わず、星を見るだけで運命が分かるってどういうことかしら! それでズバっと当たってたらそれはもう、超クールじゃない!」
スピスは浮かれて手紙を掲げる。
「つまりあえて日記を送ったのも、文通の常識に囚われるなというメッセージね! 素敵!!」
称賛しながらその場でくるりと1回転。すると星文鳥と目が合った。星文鳥はスピスをじっと見つめていて、その視線がスピスに閃きをもたらす。
「そうだ!」
スピスはスケッチブックを取り出すと、いきなり鉛筆で絵を描き始めた。程なくして描かれたのは、灰と黒のまだらな星文鳥。
ただしそれは、現在机の上でぼけっとスピスを見つめている当人の模写ではなく、彼が翼を広げて降り立つ直前の姿であった。そしてその翼は3割増で立派に描かれていた。スピスは絵の出来栄えに満足したあと、ページの隅に文章を付け加えた。
『私、絵を描くのが好きなんです。心に残った一瞬を、自分らしく表せるところとか! そんなわけで今日は、直近で一番印象深かったことを描きました。あれだけ可愛い星文鳥でも、飛ぶ姿はどこか凛々しいんだから不思議ですよね。そんなところもギャップで可愛い!』
書き終えたあとはそのページをスケッチブックから丁寧に切り離して、四つ折りに畳む。それはコープリアの真似であった。
「……さすがに私から送るときは、封筒くらい要るわよね」
そんなわけで封筒に紙を入れて、月の蜜蝋で封をして、机の上の星文鳥へと手渡す。
「それじゃあ今日もよろしくね。えっと……」
少し迷って、呼んでみる。手紙にあったその名前を。
「ミツホシ?」
「ピッ!」
元気いっぱいの返事が帰ってきた。
「……!」
スピスはじわりと口角を上げて、もう一度呼ぶ。
「ミツホシ」
「ピッ!」
「ミツホシ!」
「ピピッ!」
「わ~~い! よろしくね!」
スピスの言葉に応えるようにミツホシは手紙を咥えて、すぐに翼を一度バッと広げた。それからバババと羽ばたいて、窓の外へと一気に飛び立つ。スピスもそれを追いかけて窓の外へ顔を出した。
窓の外、一条の流れ星は光をちかちか明滅させながら、平たい屋根が立ち並ぶ街の向こうへ飛んでいく。その姿が見えなくなるまで、スピスはずっと見送っていた。
◇
次の日、ミツホシは再びスピスの部屋へとやってきた。1枚の手紙を持って。手紙はまたも日記から切り取られた1ページであった。
『今日は星文鳥を買ってきた。というか引き取ってきた。この街で1番古い星文鳥専門のお店。その隅っこの小さな鳥籠の中で震えていた子だった。』
(ミツホシのこと、かしら……)
『店主によればこの子は生まれつき病弱で、今も病気に罹っているらしい。そこに加えて、なぜか羽色もおかしい。同種の星文鳥が綺麗な黒一色なのに対して、この子は黒と灰のまだら模様だ。そんなんだから引き取り手がいないし、そもそも長くは生きられないだろう。店主はそう言っていた。』
スピスは黙々と読む。
『でも私は、この子を一目見た瞬間に星を視たんだ。このまだら模様の翼は、飛んだらきっと誰よりも綺麗に光る。店主にそう言ったら「じゃあその目で確かめてみな」なんて言って、しわくちゃな顔でウッヒッヒと怪しく笑ってきたんだ。一体なにがそんなに面白かったのか、お代はいらないとまで言われた。こうして、私のパートナーが決まった。』
読み進める。
『この子の名前はすぐに浮かんだ。ミツホシ。遠い異国の空で見えるという、吉兆を示す星の名だ。きっとこの子はこの名に相応しい星になる。だから……早く元気になれよ、ミツホシ。』
読み終わった。
それからほう、と息を吐く。
次に隣を見た。吉兆の星は、机の上で呑気に小麦をつついていた。
「ミツホシ、あなたって結構な人生……鳥生? を送ってたのね」
話しかければ、ミツホシはスピスに顔を向けて首をくるっと傾げてきた。その愛くるしい丸顔に、スピスは今日も今日とて癒された。
「ふへ……私にとっても、あなたは幸せの星よ。ミツホシ」
そう言ってからスピスは机の引き出しを開けて、そこから封筒を取り出した。
「ふっふっふ、今日の手紙は今回は予め用意してたのよ。はい、これ!」
その封筒の中に入っているのは、1枚の絵であった。
「なんでもないような道端で妙に綺麗な花を見つけてね? これだ! って直感で思ったの。飽きるほど見慣れた街だと思ってたけど、まだまだ意外な発見ってあるものね!」
◇
3日後、ミツホシが持ってきた“返信”はどこかの図鑑の1ページであった。
「これ、植物図鑑から破ってきたの? コープリアさん、中々にワイルドなことするわね……」
そこに載っていた挿絵はスピスがこないだ描いた花と同じもの。この辺りではあまり見かけない花だが、魔法の媒体にもハーブティにも使えるのだとか。
「へー、風に種を乗せて繁殖するんだって。だったら私が見たのも、元は誰かが育てたものだったりするのかしら? だったら花屋に売ってるかも……」
一方、ミツホシはすっかり定位置となった机の上で、すっかりおなじみとなったカツカツ音を鳴らしている。今日のおやつは星文鳥でも食べられる果物の切れ端だ。
「あ、手紙はちょっと待ってね。ちょっと報告したい近況があったんだけど、さっきまで頭の中でこねくり回してて……今から描くからゆっくり食べててね! おかわり……は太っちゃうからダメなのよね。めちゃくちゃ甘やかしたいけど……我慢!」
◇
『あなたの教科書を見て、今までできなかった魔法ができるようになって。あれから私はよく星座にまつわる物語を調べ、そして自分なりに描いてみるようになりました。』
『すると少しずつですが、星空に絵が見えるようになってきました。今までただの点の集まりだと思っていたその向こうに、ほんの一瞬なにかがきらめく。それが不思議と嬉しくて、星空を見るのも悪くないなって最近思えるようになってきて、そうしたら星遊びの魔法も前よりどんどん上手くいくようになってきました。』
『そんなわけで、もしコープリアさんオススメの星の物語や本があれば、ぜひぜひ、教えていただけないでしょーか!』
そんな手紙を送ってから2日後。
ミツホシは1冊の小冊子を運んできた。スピスはいつぞやの花で淹れたお茶を飲みながら冊子を手に取る。それはまたも10ページくらいの手作りで、表紙には『天の川の旅人 作:コープリア』と書かれていた。それはスピスが聞いたことすらない物語であった。
『天の川。夜空を横断する光の霧は未だに謎が多い。その正体は小さい星々の群れ、あるいは巨星から漏れ出たエネルギーなど様々な説があるが、ぶっちゃけ分かってることはただ1つ。あの川は遥か昔から人々を魅了し、その周囲に多くの星座を、物語を生み出す源泉となったということだ。』
『君たちが星遊びの魔法使いなら、天の川の周囲にはさまざまな星座が、物語があることはもう知ってるだろう。でもこれは知ってるかな? そんな天の川を旅して、繋ぎ、それこそ川の流れのように物語を1本にまとめる。そんな役割を持つ青年がいることを……。』
『彼は始まりの春の空。月が頭のてっぺんに登った頃、天の川の下流に姿を現す。蒼き始まりの一等星『ヌル』を瞳として、5つの星で体を作る。彼の名前はずばりそのもの『旅人座』。この空で唯一、物語を持たない星座だ――』
それから始まったのは、旅人が天の川を下流から登りながら“星と神の物語”を巡る物語。スピスの中には、元からある星座の物語を巡るなんて発想すらなかった。ゆえにあっという間に引き込まれる。
「あ、黒鷲座! 知ってる星座も結構出てくるのね!」
「え、天女座と牛引座の間に割り込んで、三角関係……!? ドキドキするけどこれアウトじゃない色々と!」
「流浪の旅人が魔王座に囚われた姫の星を助けるなんて素敵! でもこの旅人、やっぱり女たらしねー!」
あーだこーだ言っているうちに、はたと気づく。今読んでいるのが最後の1ページであることに。
「もう終わり? まだ上流はずっと遠いのにどうするつもり……」
と、ページの終わりがけに書かれた一文。それがスピスの目を丸々と開かせた。
『さて。これが最後のページだということでお察しのことだと思うけど、この物語はここで完結しない。ていうか終わりがないんだ。だって旅人座は、私が考えた創作星座だからね』
「……へ?」
『先人は星から物語を生み出し、物語から魔法を引き出した。それに倣っていっちょ私も星座を、物語を考えてみたんだけどさ。あれだ、物語を終わらせるのって難しいね! 頭ん中でどこまでも広がって、例えこれが100冊あっても書き切れないのなんのって!』
「んまー、なんとも想像力豊かだこと……」
『それにあれだ。単純に結構こっぱずかしいし、うん。残りは私の頭の中に閉まっておこうと思う。じゃあなんでこれを書いたのかって? 理由はひとつだ。星で遊ぶとはどういうことか、体現してみたかったんだよ。それがどういうことなのか少しでも分かってくれたら、あるいは肩の力を抜いて笑えたのなら。恥ずかしくても、これを書いた甲斐があったのだと思う。今日の授業はここまで!』
読み終えて、スピスは「ぷっ」と吐き出した。思わず。堪え切れない。そんな笑みだった。
「ほんと、お茶目な人なんだから」
スピスは冊子をぱたりと閉じて、それから目も閉じて想像する。この奇妙な文通の向こうにいる、コープリアという魔法使いのことを。
(お茶目で、賢くて、ワイルドで、クールで、それになにより優しい。病弱だったミツホシや困っていた私に手を差し伸べてくれた女性……女性よね? 手紙の口調的に。いや男性でもそれはそれでいいかもだけど……)
とりあえず、女性の姿を思い浮かべてみる。
(見るだけで星を占えるってくらいだし、神秘的な瞳をしてるかも。黒とか青みたいな普通じゃない……金とか緑、いっそ赤とか? それで大人の女性だから背が高くて、でも笑うとちょっと子供っぽい……)
気づけばスケッチブックを手に取って、イメージを絵に描き出していた。コープリア(※想像)がミツホシに手紙を手渡している、そんなワンシーンをごりごり描く。やがてすぐに書き終えたら机の上へと視線を投げる。そこでは今日も今日とてミツホシが、スピスの作ったポップコーンをついばんでいた。
「ねぇねぇ、これ見て!」
スピスは描いた絵をミツホシの前に立てて置いた。
「あなたとコープリアさんを描いてみたの! ってまるっきり想像だけどね。どう、似てる?」
「……」
「ミツホシ?」
反応はなかった。ミツホシはじいっと、夜空のような深い青の瞳に、スピスの絵を映している。
「あ、やっぱり似てなかった? そりゃ想像だもんね……」
と、スピスはそこで気づいた。ミツホシがぽてぽてと歩いて、絵に近づいてきていることに。
「おお?」
スピスが見守る中ミツホシは絵のそばまで来ると、すり……と身体をこすりつけ、全身を絵に預けて目を閉じた。ミツホシはスピスが声を掛けるまで、ずっとそうしていた。
「……ええと、もしかして、この絵が欲しいの?」
呼び掛ければミツホシは絵から少し離れて、スピスに向き直り、そしてこくりと頷いた。少なくともスピスにはそう見えた。
「わぁ……」
スピスは少し驚いて、
(もしかして、コープリアさんに案外似てたりするのかしら?)
考えて、それから。
「よし分かった!」
決断。スケッチブックから丁寧にページを切り離すと、折りたたんでミツホシへと差し出した。
「ただし、コープリアさんには見せないこと! 妄想だけで描いたなんて知られたら恥ずかしいし。そのへんちゃんと約束できるなら、これはあなたにあげる!」
するとミツホシはもう一度、こくりと頷いた。そのようにスピスには見えた。
◇
そのあともスピスはコープリアとの文通を続けていた。
スピスが絵や文を送れば、その数日後にはミツホシが日記の1ページや小冊子などを小さなくちばしに咥えてくる。ずっとそれの繰り返し。
その文通の中で、スピスは封筒はおろか便箋さえも受け取ったことがない。
はたから見れば奇妙な文通だということをスピス自身も自覚していたが、むしろ彼女にとってそれは良きユーモアであった。お洒落であった。
それにスピスは感じていた。コープリアとの文通を経て、日常が明確に変化してきていることを。
手作り教科書のおかげで星を学び、空を見上げる楽しさを知った。手紙のネタを探していたら、今まで通り過ぎていた景色にも目が向くようになった。コープリアの日記から彼女の人柄を感じ取り、気づけば憧れるようになっていた。
(私の知る中で1番素敵な女性。1番素敵な星遊びの魔法使い)
深い知性を持ちながらも、茶目っ気を忘れない。飾らず自由に生きながらも、他者への愛情に溢れている。
(コープリアさんみたいな魔法使いに、私もなりたい)
ゆえにスピスは、今宵も学校で学んでいた。星遊びの魔法使いとして一人前になるために。憧れに少しでも近づくために。
「造形を司る星神プロウスよ。その祝福を持って、仮初の姿を与えたまえ!」
水面杖の鏡で星座を映して、星遊びの魔法を引き出す。鏡の中で結ばれた星座の左手からは赤き一等星の、右手からは青き一等星の輝きが膨れ上がり、それはスピスを覆い尽くして――ボン!
「びゃわー!?」
スピスを包み込んだ途端、光は爆発へと変わり、その手に持っていた水面杖がすぽーんと空高く吹っ飛んだ。