小話:鳥たちの主張するところの物忌み
Twitter(@torikaitai_yo)に上げていた小ネタに、加筆修正したものです。
そろそろ本格的に暑くなろうかという、南山の朝。
いつもは出かけているはずのカナメが珍しくまだ屋敷に居て、支度をする様子もない。
「カナメ?今日は仕事に行かないの?」
「ああ、今日は物忌みだ。お前も外に出るなよ」
「……ものいみ、とは?」
「身を慎む日のことだ。俺たちの上司である神が決める」
「え、カナメの上司って、神様なの……?」
それがどうしたと言うようにカナメは首を傾げているが、シキミにとってはびっくりな事実である。
目を見張る飼い主を放置して、鳥は説明を続けた。
「この日は外に出ず、他者にも会わないようにする。だからお前も外に出るなと言ったんだ」
「私もなの?」
「これは俺たちの習わしだが、お前は俺の錫杖の輪を持っているからな。身内扱いだ」
「飼い主だものね」
「…………」
なぜかカナメが不満そうなため息を吐いて黙り、耳輪のあるシキミの左耳にふにふにと触れてくる。あまり触られるとくすぐったくなってくるのだが、シキミはひとまず物忌みの事情を理解した。
「じゃあ、今日はうちで大人しくしていればいいのかな。何かするべきこともある?」
「特には、」
そこでカナメが言葉を切り、じっとシキミを見つめてきたので、今度はシキミが首を傾げる。
なんとなく、何か思案しているような気がした。
「…………いや、待て。そうだな、まず風呂だ。身の穢れを落とす必要がある」
「なるほど」
シキミが頷いたところで、カナメがひょいっと抱き上げてきた。
「よし、行くぞ」
「え、待って。なにこの体勢」
「洗ってやる」
「ひとりで入浴できるよ」
「俺が洗う方が効果がある。穢れに触れないようにしないとならないからな」
抵抗してみたが、けっきょくシキミはカナメに洗われることになり、いつも以上に磨かれた。
「なんだかもう疲れた……」
入浴を終えて、朝からぐったりしてしまったシキミが呟く。
すると、ご機嫌でシキミの髪を梳いていたカナメが櫛を置いて言った。
「疲れたなら、昼寝をするか」
敷物の上で、カナメはそのままシキミを後ろから抱えてごろりと横になった。
掛け布がなくても、カナメの羽毛に包まれていれば寒くはない。
せっかくなので、シキミはくるりと体の向きを変え、カナメと向き合う。目の前の白い羽毛からは風呂上りのいい匂いがして、自然と頬が緩んだ。
「一緒に寝るの?」
「物忌みの日は、なるべく離れない方がいい。俺がお前の穢れを払えるからな」
「ふうん」
そう言われれば、そういうものかなと思い、シキミはカナメの首元に顔を埋めて目を閉じる。
さりさりと頭を撫でる手の感触に安心して、そのまま睡魔に身を任せた。
昼寝から起きた後、二人で昼食を取った。
食事はいつも一緒に取るので、ここは変わらない。
カナメを飼うことになったとき、そういえば食事はどうすればいいのかと、シキミは少し悩んだものだ。
だが心配は無用で、カナメは人間と同じものを食べた。むしろ自分で食料を調達してシキミに与えてくるくらいだ。初心者な飼い主にとても優しい生き物で安心した。
食後、シキミとカナメは縁側に並んでお茶を飲んだ。
こうしてカナメと共にまったりとした時間を過ごすのが、シキミは好きだった。
きれいなものが側にあるだけで心が和むが、そのきれいなものは自分の鳥なのだ。もうずっと一緒だと、石を渡して約束もした。
心のうちで満足げに笑って、シキミは隣を見上げた。
南山は、カナメが管理しているだけあって、清浄な空気に満ちている。その澄んだ陽の光を浴びてカナメの羽が艶やかに輝いていた。
カナメは、普段はこの人間の手を持つ二足歩行の鳥姿だが、たまに完全に鳥の姿になっていることもある。それもまたきれいな鳥なのだが、そのときは全身が真っ黒だった。
二足歩行の鳥姿のときはなぜ白い羽毛になるのかは分からないが、それでも背中に負う羽だけは見事に黒い。
その黒がきらきらしている様を見て、シキミはうずうずした。
「カナメの羽、きれいだね」
「……そうか」
声の響きが満更でもなさそうだったので、もう少し押してみる。
「……触ってもいい?」
「構わない」
許可を得たので、さっそくカナメの後ろにまわる。
背中から生えている美しい両翼をじっくりと眺め、その右側の羽に、そっと手で触れてみた。
「っ、ん……」
「あ、ごめん。痛かった?」
「いや…………」
びくりと息を詰めた体に、敏感な部分だったのだろうかと慌てて手を離したシキミへ、カナメは大丈夫だと返す。
いきなり触れたから驚いたのかもしれない。
次はびっくりさせないようにと、シキミは触れる前に声をかけた。
「触るね」
「ああ…………」
先ほどよりも気を付けて、指先で触れる。
(思ったよりも、しっかりした手応え……)
空で風を切る羽は、首元や胸元の羽毛とはやはり違うようで、意外にしっかりとした感触をシキミの手に伝えてきた。
しばらく触っていると、指先だけでは物足りなくなってくる。
カナメもそろそろ慣れただろうと、シキミはもう少し大胆に触ってみた。
「っ、」
一瞬、カナメが息をのんだような気がするが、シキミは手を止めなかった。
ふわふわの白い羽毛とは違うが、これはこれで、なかなか癖になる手ざわりだったのだ。
「背中の羽も、いいさわり心地だねえ」
「……そうか」
シキミはそれからしばらく撫で続けたが、しびれを切らしたらしいカナメに腕を掴まれ、縁側に戻された。
そうして午後の時間も、シキミとカナメはずっと共に過ごした。
ゆったりとした時間ではあったが、何をするにもカナメと一緒でなければならないと言われ、少しばかり大変だった。
さらに夕方になって、再び一緒に入浴して洗われもした。
その日、ずっとカナメは上機嫌だった。
カナメは南山の管理者としてそれなりに忙しいので、普段はこのように終日屋敷に留まっていることはない。
だから今日のようにカナメがずっと隣にいるのは、シキミにとってもなんだか新鮮で。少し大変ではあったが、たまには悪くないと思えた。
だが、一緒の入浴など、あのすべてが本当に必要だったのかは、いくぶん疑わしい。
次にヤマキが遊びに来たとき、本来の物忌みとはどういうものか聞いておかなければと、シキミは心に決めたのだった。
(おまけ)
「ヤマキ、この前は物忌みだったね」
「おー。そうか、お前もカナメの輪を持ってるから、物忌みだったのか」
「うん。それでね、物忌みって何をするものなのか聞きたいのだけど」
「あ?カナメと過ごしたんだろ?」
「ずっと一緒だった。でもちょっと過剰じゃないかと思った。本当に、そこまでする必要があるのかなと」
「……ちょっと、詳しく話してみろ」
「…………ああ、うん。間違ってないぞ」
「本当に?」
「ほんとほんと。輪を持った相手との過ごし方としては何も間違ってない。次の物忌みのときも、同じようにしてやれよ」
「ううーん」
「まあ、お前の意識が変われば、あいつも落ち着くだろ」
「ん?」
「気にするな。ほら、これ食っとけ」