鳥の思惑、詠み人知らず。
カナメの思惑。
「…………はやく、俺に惚れろよ。シキミ」
眠ってしまったシキミの頬を撫でながら、指先で自分が贈った耳輪に触れる。
こうしてカナメの力の一部をシキミが身に着けているのを見るのは、ひどく気分がいい。
つい、しつこく触れたままでいると、寝ぼけているのかシキミがふふっと笑った気がした。
「よっ」
そこへ、先ほど帰ったはずのヤマキが現れた。
この山から気配が消えていなかったので、再び戻って来るだろうとは思っていた。
足音を忍ばせて近づいて来るので、シキミを起こすつもりはないらしい。
そういえばこの男は、シキミとずいぶん距離が近いように見えた。種族性から、カナメの輪を持ったシキミに対してヤマキがそういった感情を持つことがないのは分かっている。おそらく、単純に気に入ったのだろう。お互いの気安そうな様子からすると、相性が良いのかもしれない。
そう考えて、カナメはやや気分を降下させた。
「ヤマキ。お前、なぜここに来た?」
「ん?お前の錫杖が五輪になったと聞いたからな。嫁を見に来たんだ」
カナメたちの持つ錫杖は、本来であれば六輪である。だが、伴侶となるものを得ると、その輪をひとつ渡す習わしがある。五輪になれば、伴侶を得たという印となるのだ。
シキミに輪を渡してから数日経つので、カナメの仕事中に錫杖を見かけた誰かが、ヤマキに話したのだろう。
「で、やっぱり嫁なんだろ?」
「今は違うが、いずれ伴侶にする」
シキミの意識がない今であれば、特に隠すこともないのでそのまま事実を口にする。この悪友とはそれなりに付き合いは長いが、不要なことを漏らすほど分別の無い相手ではないと知っている。
「お前がよけいなちょっかいを出したおかげで、思いがけず早くにシキミから留石をもらえた。それだけは感謝しなくもない」
「もう少し素直に感謝しろよ。こいつ、放っておいたらひとりで一の滝に突撃しようとしてたぞ?」
「お前に言われなくとも、シキミも最低限の危機管理能力くらいはある。そう簡単に死にはしないだろう」
それでも、ひとりで出かけるのは許容できないが。
「ふーん。……俺のことを、いいやつだとさ。お前の友達が俺みたいないいやつで良かったと言われた」
「詠み人の力は、人間の手に余る。あまり人間の世では馴染めないだろう。俺たちのようなものの方が、無駄な嘘をつかないから分かりやすいらしい」
詠み人の力は、カナメたち人外者から見ても魅力的なものだ。
特に、あの詠みあげるときの美しい旋律がいい。
そういえば、どこかの湖の主が詠み人を囲ってしまったと聞いたことがあるが、そういった事例があるくらいに詠み人は人外者からの人気が高い。
一方で、人間にとってはその評価は二分する。大きすぎる力は、敬われるか、恐れられるかだ。
そして人間は、善意や悪意で日常的に偽りを口にする。シキミに言わせれば、それはとても複雑な音で、いちいち判別しようとするととても疲れるらしい。
「錫杖の輪を渡しておいて、シキミはなんでまだ嫁じゃないんだ?本人に自覚もないようだし」
「…………神と誓約を交わした。あと三年のうちに、この姿の俺にシキミが愛情を抱くようになれば、伴侶にできると。そうすれば、シキミは俺と同じ時間を生きられるようになる」
「誓約!?そりゃお前、失敗したらえらいことだぞ!?はー、本気なんだな…………」
錫杖の輪と留石を交換した今の状態なら、シキミを伴侶として扱うことはできる。
だが、もしもシキミが詠み人としての力で全力で抵抗すれば、おそらく逃げ出すことも可能だろう。
今の暮らしに満足している様子のシキミに逃げ出す素振りはないが、人間は移り気な生き物だ。わずかな可能性でも潰しておくべきだった。
誓約のもとに結ばれた縁であれば、より深い部分までつなぐことができるようになる。
だから、神と誓約を交わした。
神との誓約は、恐ろしく厳格なものだ。
期限内にシキミがカナメに愛情を抱くようにならなければ、カナメの存在は消滅するだろう。だがそれゆえに、叶えられた場合はシキミに同じ寿命を与えることができるし、結んだ縁は必ず成就する。
万が一、シキミの思いが三年で育たなければ、そのときはシキミも道連れにして消滅すればいい。神の誓約の前には、詠み人といえど人間の力など無力に等しい。巻き込んでしまえばこちらのものだ。
カナメが伴侶にしたいということは、そういうことだ。
添い遂げるか、諸共に滅びるか。
シキミが先にカナメを捕まえたのだ。その責任は取ってもらわなければならない。
「本気でなければ伴侶になど望まない」
「そりゃそうか。ま、俺はシキミがお前の嫁になるのは賛成だわ。頑張れよ」
古くからの悪友は、そう言って西山へ帰って行った。
再びふたりだけの空間になった屋敷で、カナメはシキミの安心しきった寝顔をじっと見つめる。
シキミは詠み人であるために、カナメが発する言葉の音で、その心情を読み取っているようだ。
捕獲されたとき以来、カナメがシキミに対して害意を抱いたことはない。
だから、シキミはカナメのことを絶対に安全な存在だと安心しきって、こんな風に寝顔をさらす。
「………………」
その信頼を改めて見せられると、どうも体の奥がざわりとして、カナメは自然とシキミに顔を寄せようとした。
だが、そこで自分の姿を思い出す。口づけをしたくとも、今の鳥姿ではくちばしが邪魔でできはしない。
本来カナメは、鳥姿の他に人間の姿も持っている生き物だ。しかしながら、人間の姿であればシキミが愛情を抱くのは容易であると、現在は神に封じられている。
普段は人間の姿などなくとも不都合はないが、こういう場合は不便だった。
そこでふと思いついて、今の姿でも人間と同じ指先で、その柔らかい唇にふにふにと触れてみる。
「これはこれで、」
指先の薄い皮膚を通して、シキミの感触が伝わってくる。
やはり自分の口を押し付けたくはなるが、手慰みにはいいかもしれない。
そう考え、親指で唇をなぞったり、指先で少し強めに押してみたりした。
「っ、…………」
すると、何を寝ぼけたのか、シキミが指に食いついてきた。
むぐむぐと食まれ、その唇の柔らかさとわずかに触れる舌の熱さに、内からこみあげてくるものがあり、慌てて指を引き抜く。
「………………」
しばし無言で衝動を抑え、触れた感触の名残をどう処理すればいいのか分からなくなり、八つ当たり気味にシキミの頬を軽く引っ張った。
これはさすがに嫌がって、シキミは眉を寄せてむずがるように首を振る。
その様子を見て少しは気が晴れたところで。
「っ、…………おいっ、」
シキミは逃げ込むようにカナメの胸元へ顔を寄せ、襟元にぐりぐりと顔を擦り付けてくる。しっかりと着込んだカナメの装束が少しはだけ、シキミは胸元の羽毛に顔を埋めて安心したように再び落ち着いた。
その様子に、カナメは唖然とした。これでは素肌の胸に顔をつけているようなものだ。少なくとも、カナメにとってはそうでしかない。
「少しは警戒しろ……」
シキミを害するつもりはないので安心するのは構わないのだが、男としてまったく警戒されないのも、少し気になるところではある。
人間は外見に重きを置く傾向があるので、鳥姿のカナメにそういった感情を抱くのは簡単ではないのだろうが。
「まあ、おいおいだな」
それでも、今後は人間の世界に関わらせるつもりはないので、価値観も変わるだろうし、変えていく自信もある。
そう考えて、先日迷い込んで来たふもとの村人を思い出す。あれはシキミに無遠慮に触れた上に、人間の世界まで連れ帰ろうとしていた。本来であればその場で消してしまっても構わないくらいだったが、一応はカナメの管轄内の人間であったために、シキミの願いを聞くかたちでふもとに放り出した。少々脅しておいたので、もう山に近寄ろうとは思わないだろう。
腹立たしさもぶり返してきたが、誓約が叶えられた後のシキミとの長い時間を思って、なんとか留飲を下げた。
再びシキミに手を伸ばし、胸元に顔を埋めている無防備な相手の髪を梳いた。
人間と同じ手から、薄黄色の髪がさらさらとこぼれる。
誓約を交わした神によれば、カナメに異性としての愛情を抱けば、シキミにはカナメが人間に見えるようになるのですぐに分かるのだそうだ。
(あのとき、シキミは俺の顔を見て、まるで人間のように表情がある気がすると言った……)
それが単に比喩的表現なのか、本当にそう見えたのか。
実際のところは分からないが、その言葉を聞いて、カナメは錫杖の輪を渡そうと決めた。
いずれ近いうちにとは考えていたが、あの言葉はそのきっかけとなった。
おかげで、思いがけず早いうちにシキミから留石を返してもらえた。
「…………」
虚空から扇を取りだして、その留石を眺める。
シキミが探し出して来た石。
ヤマキによれば、詠み人の力で得たものであるらしい。
シキミの瞳のような、灰がかった薄い青色。もともとそこにあったかのように、しっくりと扇と調和している。
これを見ているだけで、くちばしは動きはしないはずなのに、口角が上がるような気がする。
これはシキミの返答だ。
シキミの差し出した、心。
今は飼い主のものだけで我慢してやるが、遠くないうちにそこへ伴侶のものも上乗せさせてやろう。
そんなことを考えながら、そのままシキミが目覚めるまで、カナメは飽きることなくその寝顔を堪能したのだった。
鳥が神との誓約を持ち出してまでその身を縛りつけようとしていることを、詠み人はまだ知らない。
という、カナメの思惑でした。先に手を出してきたのはシキミであるということで、カナメに遠慮はありません。
ひとまずこれで、予定していたお話は完結です。お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
いつもはこの後、Twitter小ネタまとめを投稿していたのですが、今回はその予定はありません。以前から、小ネタのページは短文がちょこちょこして見にくいなと思っていたので。きれいにレイアウトできるセンスが欲しいものです……。週末あたりに小話は投稿します。




