2. 鳥から輪を贈られて、
カナメはどこからか錫杖を取り出した。
これはカナメが仕事のときに持っているもので、その先端には、金の輪が左右三つずつ付いている。いつ見てもその輝く金色には曇りひとつなく、きっと不思議な力が働いているに違いない。
カナメが錫杖を軽く地面に突き立てると、しゃんっと音が鳴り、そこから白い大蛇がずるりと飛び出した。
とぐろを巻いた状態でもシキミよりずっと大きいこの白蛇は、カナメの使役している蛇だ。その目はカナメと同じように赤い。
お呼びでしょうかと言うように、ちろちろと舌を出してカナメを見ている。
「シキミについて行け。俺が戻るまで、離れるな」
カナメの命令を聞いてしゅるしゅると巨体をくねらせて近寄って来る白蛇に、シキミは左腕を伸ばす。
すると、白蛇はみるみる小さくなり、シキミの左腕に巻き付いて収まった。不思議生物なので、重さは無い。
「蛇ちゃん、よろしく」
白蛇は応じるように、ちろちろと舌を出した。白蛇は喋ることはできないが、こうして返事をしてくれる可愛い生き物だ。
シキミの腕に白蛇が収まったのを見て、再びカナメが頭にぽすりと手を乗せた。
「大人しくうちに帰ってろよ」
「うん。カナメ、その人のことよろしくね」
カナメはシキミから離れると、青年を無造作に小脇に抱えた。
青年の顔が真っ青だが、少しの間我慢してもらうしかない。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
大きな羽をばさりと力強く鳴らして飛び上がったカナメを、シキミは手を振って見送った。
しばらく歩いて、何事もなくカナメの屋敷に戻って来た。
朝の散策はそれほど遠くまでは足を延ばさない。それでもひとりで行くなというのだから、シキミの鳥は心配性だ。
これでもシキミは、以前はひとりで旅をしていたほどなのに。
履物を脱いで屋敷に入り、人の気配のない廊下を歩いて庭に面した縁側へ向かう。
カナメとシキミの暮らすこの屋敷は、庭や縁側を備えたそれなりに立派なものだが、他に住人はいない。
シキミと一緒に暮らすことになって新しく調えたとカナメは言っていたが、そういえばそれまではどこに住んでいたのか、シキミは知らない。
「ありがとう、蛇ちゃん」
腕に巻き付いていた白蛇の頭を撫でると、ちろちろと舌を出して喜んでくれる。
この白蛇は、いつも仕草がなんとなく女の子めいている。カナメによれば性別など無いという話だが、シキミの中では絶対に可愛い女の子だった。カナメの使役するものには、他に狐もいるが、あちらはとても男の子という感じがする。
白蛇はするすると下に降りると、縁側でとぐろを巻いて目をつぶった。
シキミもその隣に腰を下ろし、そのままカナメを待つことにした。戻ったときにすぐ姿が見えるところに居た方が、心配性の鳥は安心するだろう。
縁側から空を見上げると、朝の空気は消えようかというように、きれいな青空が爽やかに広がっていた。
カナメは、シキミが飼っている鳥だ。
本当の鳥ではないが、なんの生き物かよく分からないので、鳥として扱っている。
普段は先ほどのように二足歩行の鳥姿でいることが多く、たまに完全な鳥になっていることもあった。
この南山を管理者として手入れして回るのが仕事であるらしく、それなりに忙しそうにしている。
シキミが旅をしていたときに見かけて、とてもきれいな生き物だとうっとりした。シキミはきれいなものにたいへん弱かったのだ。特に、あの無表情な鳥顔がたまらなく心をくすぐった。
そこで、カナメが油断しているところを詠み人の力で無理やり捕まえて、このとおり飼っている。
カナメは管理する南山から動けないとのことで、シキミは住む場所にこだわりはなかったため、このお山での生活が始まったのだ。
捕まえた手段はやや強引だったが、今ではカナメもシキミに飼われることに満更ではないようだ。
お互いが幸せでなによりだと思う。
さほど経たないうちに、ばさりと音がして、庭に見慣れた鳥が降りてきた。
「お帰りなさい」
「ああ、戻った」
ご主人様のために働いてくれた勤勉な鳥を労うために、履物を履いて立ち上がって出迎える。
「お願いを聞いてくれてありがとう。村の人は無事に山を下りた?」
「ふもとのあたりに置いてきたから、勝手に帰るだろう」
その言い方にはいくらか不安が残るものの、カナメの管轄であるふもとの村の住人にそれほどひどい扱いはしないだろうと、シキミは頷いておく。
「おい、…………」
そこで不自然に沈黙したカナメが、すいっとシキミの首元に顔を近づけてきたと思えば、すんっと匂いをかぐ仕草をした。
「…………よその匂いがするな」
「あ、」
不愉快そうな声を出したカナメは、ひょいっとシキミを抱え上げて腕の上に座らせると、すたすたと屋敷内へ入っていく。上がり口のところで、自分とシキミの履物を手早く脱ぎ去るが、そのときもシキミは降ろしてもらえない。
向かう方向の見当がついたシキミは、慌てて訴える。
「ちょ、やめて。そっちお風呂!」
「だまってろ」
抵抗空しく、シキミは浴室へ放り込まれ、丸ごと洗われてしまった。
さすがに体は自分で洗ったが、髪の毛はカナメが丁寧に洗ってくれた。
お返しにシキミも洗ってやりたいところだが、鳥の体で洗えそうなところといえば腹部しか思い浮かばなかったので、以前そこに手を伸ばそうとしたら、やめろと叱られたのだ。
腹部くらいで照れる必要はないとシキミは思ったのだが。
一緒に入浴するのも、相手は鳥であるから人間ほどの羞恥はない。もちろん、お風呂はひとりでゆっくりするべき時間だと信じているので、好んで一緒に入ろうとは思わないが。
浴室から出た後、カナメは不思議な力でさっとシキミの髪の毛を乾かしてくれ、敷物の上で後ろに腰を下ろして、優しく梳いてまでしてくれる。
シキミの髪は背中の中ほどまであるため、自分ではなかなか乾かすのが大変で、こうしてカナメが手入れをしてくれると楽でいいし、カナメ自身も楽しそうにやってくれる。
シキミの鳥は、口調は乱暴なことが多いが、なかなかの世話焼きなのだ。いつもそれは甲斐甲斐しくご主人様の世話を焼いている。
「よし」
カナメはシキミの身づくろいをした後、座ったままその腕にシキミを収めてしばらく髪や背中を撫でていた。
それから、ようやく満足したのか頷いた。
この鳥は、ご主人様に自分以外の匂いがつくのが嫌なのだそうだ。動物としては飼い主に自分以外の印があったら我慢ならないのだろうから、シキミは大人しく従っている。
だから、腕の中に収められている間、シキミがカナメの胸の羽毛に自ら顔を埋めていたのは、決して風呂上りでいい匂いのするふわふわ羽毛を堪能するためではなく、飼い主としてカナメの印付け作業を手助けしていたのである。
「シキミ、ほら」
「ん」
呼ばれて振り向くと、目の前に黄色い実が差し出されたので、口を開く。すぐに甘酸っぱい実が放り込まれた。
「うまいか?」
「うん。美味しい」
カナメは、よくこうして山の実りを持って帰って来てくれる。
動物が主人に狩りの獲物を見せに来るようなものなのかもしれない。
どれもこれもシキミの好物なので、いつもありがたくいただいている。
もぐもぐと咀嚼しているシキミを、丸い鳥目が見つめている。
こうしてあらためて見ると、やはりシキミの鳥はきれいだった。
油断したように敷物の上に少し垂らされた背中の真っ黒な羽も、着込んだ白装束にも負けないくらい真っ白な羽毛ももちろんそうだが、なにより深い赤色に輝く瞳が素晴らしい。
いつまで見ていても飽きないと思う。
黄色い実を咀嚼し終えて、大事な鳥に手を伸ばす。
両手で包み込むようにカナメの頬に手を添えた。
「私のカナメは、ほんとにきれいだねぇ」
「…………あ、そう」
鳥顔はやはり表情が変わらないが、その声には照れている音と嬉しいという音が乗っている。
きれいな上に可愛いというその愛くるしさにたまらなくなり、シキミは白い羽毛に覆われたカナメの顔をわしゃわしゃと撫でまわした。
「…………っ、ばか、やめろ!」
「わっ、」
調子に乗ってやっていたら、カナメから制止の声がかかり、腕を取られる。
いつの間にか敷物の上に倒され、上に伸しかかったカナメを下から見上げる体勢になっていた。
撫ですぎたのが嫌だったのかなと、首を傾げる。倒されたことで敷物の上に広がっていたシキミの髪が、それに応じてしゅるりと動く。丁寧にカナメが梳かしたので、絡まる様子はない。
「………………」
「カナメ?」
なんとなく、カナメは何かを堪えるような表情をしている気がした。鳥顔に表情などないはずなのに。
カナメの発する音に注意を向けすぎてそう感じるのだろうか。
「……なんだか、カナメの顔に表情があるような気がしてきた。まるで人間みたいだね」
そんなわけがないのにと笑ってシキミが呟くと、カナメははっとしたように目を丸くした。
やはり、不思議と表情があるように見える。
「お前…………」
何かを言いかけたが、カナメは手を引いてシキミを起こしてくれた後、そのままどこかへ行ってしまった。
「おい、これを持っていろ」
「輪っか……?」
再び縁側に戻って寛いでいると、カナメから金属の輪のようなものを渡された。
曇りのない金色に煌めく輪には、見覚えがある。これは先ほども見かけた、錫杖の先端に付いていた輪ではないだろうか。
そう尋ねてみると、カナメは頷いた。
「そうだ。俺の錫杖のものだ。だから持っていろ」
「ん?意味がわからないな」
「俺の力を具現化したものだから、離れていてもお前のことが分かるようになる」
「……なるほど、迷子用」
この輪を持っていれば、シキミの居場所がカナメに分かるようになるのだという。さらに、シキミが呼べば、カナメに届くようにもなるらしい。
飼い主は迷子札を持つのではなく、持たせる方だと思ったが、カナメの好意なのでありがたくいただいておくことにした。
どうやって持っていようか悩んでいると、カナメが不思議な力で輪を小さくしてしまい、耳に着けてくれた。そこに穴は開いていないのに、なぜか固定されている。
シキミの左耳に着いた金の輪を見て、満足そうにカナメが頷く。
「よし。そうしてずっと着けていろ。外すなよ」
よく分からないが迷子札にもなるようだし、大事な鳥からの贈り物なので、シキミはもちろん大切にするつもりだ。