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トイレのミネルヴァは何も知らない  作者: 加瀬優妃
4時間目 身元調査・後編 ~秘密の手紙と隠し子騒動~
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第1話 相変わらずこんな感じ、でいいんです

「それにしても、合い鍵かあ。通い妻みたいだね」


 マンションのドアにカギを差し込んだところで、恵はそう言って、ぶふっと吹き出した。

 思わず扉にゴンと頭を打ち付けそうになる。

 いきなり何を言い出すんだ。


「掃除も洗濯も何もしてません。ご飯は作ってもらってるし」

「イバれることか」

「だから通い妻じゃない!」

「はいはい」


 恵の高校の文化祭から一週間が経ち、今日は月曜日。

 昨日、恵から電話がかかってきて


『今日の個別補習、一緒に行きたいんだけどいい?』


と聞かれたのだ。


 今週末には、マーク模試が控えている。これは県内の殆どの高校が受験するし、全国的にも受験者が多い。センター試験本番に向けて、実質的には最後になる模試なのだ。

 恵は県内の大学の看護科を目指しているので配点が高いセンター試験はとても重要。質問したいことが色々あるらしい。

 新川透に確認すると

『まぁ……いいけど』

と渋々了承してくれたので、今日は二人でやってきたのだ。


 私としては、文化祭のアレから何か居心地が悪いというかムズムズするから、二人きりよりも恵と一緒の方が気が楽だ。

 先週の月曜日と木曜日の個別補習はどうにか乗り切ったけど、それでも何かの拍子にスイッチが入るのか変な雰囲気になりそうになった。


 うう、私はお勉強を頑張りたいのです。ちょいちょいあんな調子で新川透の攻撃を食らってたら、そのうち思ってもいないことを口走ってしまうかもしれない。

 断じて! あのようなヒワ……違った、卑怯な攻めには屈しないのだ!


「はい、どうぞー」

「やっぱり通い妻だ」

「違うって!」


 そして本日は、あいにくの雨。二人で傘を差してプラプラ歩き、新川透のマンションまでやって来た。

 玄関の脇に、茶色い真四角の箱のような傘立てが置かれていた。入れておいていいよね、と思いながら傘を突っ込む。

 恵も私の真似をして入れようとして……ふと、手を止めた。


「あれ? この傘……」

「ん? どうかした?」

「マリアフランチェスコの傘だ」

「マリ……はい!?」


 恵が何か呪文みたいなことを言うので聞き返す。すると、「これだよ」と言って傘立てから1つの大きな傘を取り出した。パンっと軽やかな音を立てて広げて見せる。

 黒字に銀のストライプのオシャレな傘。ハンドル部分はこれまた黒のレザー。柄の部分も金属じゃなくて木……いや、竹?

 とにかく、「タダモノじゃありません」という高級感が漂っている。


「へぇ、カッコイイ!」

「ブランド物だもん。さっすがだねー、と言いたいとこだけど」

「だけど?」

「この傘、見覚えがある」

「ふうん。珍しそうな傘だしね」

「そう。だから覚えてるんだけど……どこで見たっけ……」


 恵は傘を閉じると、名残惜しそうにしながらも元の通り傘立てに入れた。そしてうーん、と首を捻っている。

 玄関で立ち止まっていても仕方がないので、私は「ほら入ろうよ」と恵を急かした。


 とりあえず新川透が帰ってくるまで自習しようということになり、リビングのテーブルの上に問題集を広げる。

 さぁ、始めるかーとシャーペンを握ったところで、恵が

「ああ、思い出した!」

と大声を上げた。


「何が?」

「傘!」

「まさかずっと考えてたの?」

「まぁね」


 そう言うと、恵はなぜか少し得意気な感じでニヤッと笑った。


「これ、結構大事なことだよ」

「へ?」


 そして恵は、このマリア何ちゃらという黒い傘を見た時の話を始めた。

 今から1年半ぐらい前……まだ私も高校生だった頃のこと。駅の近くの時計台の前のベンチで、私と恵はお喋りをしていた。

 そのとき、私たちの隣のベンチに座っていた男の人が持っていたのが、この傘だったという。


「へえ……よくそんなこと覚えてるね」

「だって、あまりにも傘と不釣り合いだったんだもん」

「不釣り合い?」

「頭がボサボサで髭ボウボウでサングラスかけてて、恰好も薄汚いというかヨレヨレで。なのに傘だけブランド品だし」


 そして、恵が「変な人だなあ」と何となく気にしていると、男の人はその傘をベンチに忘れて歩き出してしまった。

 すると気づいた私が慌てて傘を持って追いかけ、その男の人に渡したらしい。


「全く覚えてないなあ……」

「私が『あ、傘』って言った瞬間、莉子がすぐに傘を掴んで走っていったよ。莉子の方が近かったからね。だから多分、莉子もすぐに忘れてることに気づいたんだと思うけど」

「へぇ、そんなことがねー。思い出せてよかったね」


 私が呑気にそう答えると、恵が

「……ちょっと莉子、全然わかってないでしょ」

と呆れたような顔をした。

 何がだ。意味がわからん。確かに、わかってないのかもしれないけど。


「つまり莉子は、だいぶん前に新川センセーに会ったことがあるってことなんだけど」

「はぁ? 何でそうなるの?」

「だって、全く同じ傘を新川センセーが持ってるんだよ?」

「え?」


 つまり何か? この珍しい傘を持っている人間は同一人物のはずだってこと?

 え~? それはさすがに都合が良すぎない?


 私は頑張ってそのときのことを思い出してみた。だけど私にとっては本当に些細な出来事だったらしく、全く思い出せない。その傘を忘れた男の人の風貌も、当然わからない。

 だけど恵が「変な人」だと思ったというなら、違うんじゃないの?


「でも、その男の人と新川センセーは別人でしょ?」

「だって人相なんて分かる状態じゃなかったし。でも、思えば背は高かった気がする」

「うーん……」

「だから、そのときに莉子に一目惚れしたとかさ!」

「ないない」


 恵の言葉を、私は左手をパタパタと振ってバッサリ否定した。

 時計台で恵と待ち合わせてお喋り、というのは、当時はよくあることだった。

 恵とは別の高校になったから、会いたくなったら私たちが共通して使っていた駅の時計台の前で、放課後に待ち合わせをした。お喋りして、甘い物を食べに行って、そのまま一緒に帰って……そんな感じ。

 学校帰りだから当然メイクなんてしていないし……何回も言うけど、私は一目惚れされるような容姿はしていません。これは絶対。


「ほら恵、ちゃんと勉強しようよ」

「もう、すぐに逃げる」


 逃げてないですー。これ以上考えたって無駄だと思ってるだけですー。

 おかしいな、恵って我関せずって感じだった気がするのに。玲香さんに触発されたんだろうか?


「ね、ね、最後に一つだけ聞いていい?」

「何?」

「文化祭の前まで、莉子、すっごくイライラしてたじゃん?」

「そう?」

「うん。何か不満そうだった。だけどさ、今日会ってみたら落ち着いてるよね。妙にスッキリしてるというか」

「そうかなあ……」

「何かあった?」

「へ!?」


 思わず声がひっくり返る。

 な、何か……何かって、えーと……。


 先週の日曜日の光景がフラッシュバックして、目がチカチカする。

 う、後ろからハグされて「独占欲がどうの」「所有欲がどうの」と洗脳されかかっただけだ! それだけ!

 そしてその洗脳から逃れてギリギリ生還したのに、思い出させないでよ!

 ただでさえ先週も微妙な橋を渡ってる感があったのに……。


「何もないよ!」


 全力で否定したけど、きっと例によって思い出し赤面していたのだろう。

 恵が「何もないって顔じゃないけど」とニヤニヤしている。


「えー、嘘だ。真剣な愛の告白でもされた?」

「されてない! そんなものはこれまでに一度だって無いし!」

「へ!?」


 今度は恵が素っ頓狂な声を上げた。

 目を真ん丸にして、ぱっかーんと口を開けている。


「え、無いの? 一度も?」

「なーいーでーすー。だから……」

「何してんだろ、新川センセー……」

「からかって遊んでるんだよ。ほら恵、もういいよね! ちゃんと勉強しよう!」


 私がそう言った途端、玄関のドアからガチャガチャと鍵を開ける音がする。どうやら新川透が帰ってきたようだ。

 時計を見ると、まだ六時過ぎ。随分早いな……補習は7時からなのに。


 「さて」と言って手にしていたシャーペンを置いて立ち上がると、恵が

「お出迎え? ますます通い妻っぽいね」

と言ってぶくくと笑っている。


「そうじゃなくて! お帰りって言わないといけないから!」

「義務かよ」


と、ゴチャゴチャ言いながら、恵と共に玄関に出て新川透を出迎えた。



 ……ちなみに、恵の前だというのに全く気にせず

「ただいま、莉子ー!」

と全力のハグをしてきたので、容赦なく蹴り飛ばしましたけど。

 少し後ろにいた恵が「こんな感じか……」と妙に納得した様子で頷いていた。


 そう、こんな感じです!

 私たちの間に『真剣な愛』なんてものは、これっぽっちもありません!

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加瀬優妃はかつて「リサイクル活動」というものをやっておりました。
よろしければ活動報告を読んでみてくださいね。作品の紹介をしております。
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