後編 レニングラード
その後、多賀くんは會川くんにチョッカイを出す事はなくなった。少なくとも音楽の授業後に會川くんをパシリさせるような光景は二度と見る事はなかったのだけど、この顛末はかなり経ってから聞いた。というのもこの日は授業終了直後に古城さんが多賀くんと會川くんに声をかけて二人を引っ立てるように教室を出て行ったので話をする暇がなかったのだ。
6月。月曜日のお昼休みに私は古城さん、もうこの頃には冬ちゃんと呼ぶようになっていたけど、冬ちゃんを誘って一緒にお弁当を食べたりするようになっていた。
下旬の月曜日。梅雨で小雨模様。音楽の授業が終わると川上さんは教室を飛び出した。
「今日は私のDJデビューだから冬ちゃんも委員長もあとで感想聞かせてね!」
川上さん、満を持してのDJ登板らしく笑顔でそんな事を叫んでいる。
『頑張ってね!』
手を振って見送る冬ちゃんと私。そして冬ちゃんと二人で学食の一角に行ってお弁当を食べた。
校内放送、川上さんのDJでラヴェルのボレロみたいな感じで楽器が加わっていく管弦楽曲が掛けられた。
ボレロと同じような展開の演奏が始まる部分から曲を流し始めた川上さんはその上に声を重ねて熱くこのロシアの作曲家の偉大さ、そして歴史的な物語を語った。
「この曲は戦争の最中に世界的に名前を知られていた作曲家によって書かれ、現在はサンクト・ペテルブルグと呼ばれている激戦地で初演されました。そして連合国であったアメリカでは国内初演、ラジオ初演など争奪戦まで起きました。抵抗の歌なんです。音楽1の教科書にはラヴェルのボレロが載っています。ラヴェルはフランスの作曲家ですが、この曲に引用されてるんですよね!」
川上さん、DJやりたいって言ったてたけどまさかの意表を突いてクラシックだったとは驚いた。先入観で見ていたら間違うという良い例かもと反省。それにしても熱い、とっても熱い。よほどこの作曲家か曲自体が好きらしい。その事自体はよく伝わってくるけど大丈夫かな?、そんな事を思いながら私と冬ちゃんは机の上に弁当を広げた。
「陽子ちゃん、おかず交換しよ」
冬ちゃんの提案で私のお手製ミニハンバーグと冬ちゃんの豚の角煮を交換し合った。冬ちゃんの角煮、肉がホロホロ崩れそうなぐらいよく煮込まれていて味がお肉にしっかり染みていてご飯が進んだ。
「冬ちゃんの角煮、私も作った事あるけど冬ちゃんの方が美味しい。レシピは教えて欲しいなあ」
「そう言う陽子ちゃんのハンバーグ、冷めていても味付けが濃くて良いよね。お弁当向けアレンジ?陽子ちゃんがその秘密教えてくれるならうちのお父さん直伝の角煮の秘密について教えてあげなくもない」
「じゃあ、レシピ交換決まり」
ニッコリ笑う私達。
お弁当をあらかた食べ終わりお茶を飲みながら冬ちゃんの方を見た。スピーカーから流れる音楽は同じ旋律が繰り返されるたびに楽器が増えていた。たしかにこれはボレロっぽい。
「ねえ、冬ちゃん。多賀くんの縦笛って何があったの?」
どうして冬ちゃんが全容を見抜いたのか私、気になります。そんな言葉が頭に浮かんだ。
彼女はしばらく頭上の方に視線をやってどうしようかなという感じで考え込んでいた。そして周りをチラッと見回した後で私の方へ体を乗り出して来た。
「會川くんと多賀くんがそれぞれ教科書とかどうしているかたまたま記憶していたから」
私の頭の周りに?が乱舞しているのが見て取れたらしい。音楽はスネアドラムや管弦楽器が勢ぞろいしつつあり大いに盛り上がっている。でも音量大きくない、川上さん?
「えーとね。會川くんは学校の個人棚に縦笛を置いてない。彼は教科書とかと一緒に持って帰るタイプ。そして多賀くんの個人棚はいつもはちきれんばかりの状態だっていうのはクラスメイトとして知ってた」
重低音のドラム、金管楽器が盛大に立ち上がれ、負けるな、抵抗しろとばかりに響き始めていた。お昼休みにこの曲は川上さんってチャレンジャー。学食内でダベっていた2年生男子が「うっせーぞ、放送委員会」なんて言ってる。
「會川くん、パシリさせられて愉快じゃないし多賀くんの個人棚はどうやったら縦笛が入っていたのか分からないぐらい荷物があふれている」
怒涛の管弦楽が高らかに抵抗を歌い上げた。吠える金管楽器。耳を押さえる子まで出て来たけど。
「だから會川くんは手っ取り早く多賀くんのスクールバッグに縦笛ケースを戻した。単に机の上じゃまた彼から文句言われそうだしね。そうするしかなかった」
川上さん、曲はいいと思うけど、これは。
「家でもロクにバッグの中身確認せずに最低限詰め替えているだけなんだろうね。その時バッグの下の方にでも紛れ込んだのかなあ。そしてあの日から次の授業まで毎日家と学校の間を持ち歩いていた。それが推理できただけ」
さて最後までやり切れるかなあと思っていたら急に音楽がフェードアウトした。抵抗する川上さんと放送委員会の先輩らしい人の声が少し入った。
「……え、こんな良いところで」
「ちょっ、川上さん。音大きすぎだよ」
そして2年生のアナウンサーの人と交代になった。
「……はい。良いところでしたが全曲掛けると1時間近いですし興味のある人は図書室のオンラインクラシックリスニングサービスで聞けるそうですから是非。DJは1年生デビューの川上未来さんでした」
ショパンのピアノ曲、夜想曲が掛かった。お昼の放送のオープニング/エンディングタイトル曲に使われているのでこれで終わりになるみたいだ。
最後はやっぱり止められたらしい。川上さん、落ち込んでないといいけど。
「冬ちゃん、すごいね」
「そう?同じクラスメイトだったから知っていた事が役立っただけだし」
いじめを止めるのは難しい。何か明確な機会っていうか有り体に言えば口実がないと無理。口実を思いついたってそうそうやらない。失敗したらいじめの標的にされかねない。
これだけでは冬ちゃんの動機が分からない。すると冬ちゃんがもう少し話を続けた。
「會川くんは帰宅部だから。うちのクラス、運動部、文化部、帰宅部で三分していて運動部の中には自分達が上だって勘違いしている子がいる。多賀くんはバスケ部なんだけどそういう姿勢は少し考えて欲しかったし、説得できるかもって思ったから」
そういえば冬ちゃんも帰宅部だった。そこからの仲間意識なのか。実際のところ、見つけにくいようにバッグの底の方に入れるように冬ちゃんが會川くんへ入れ知恵したか冬ちゃん自身でやった可能性はあると思った。いくら多賀くんが杜撰でもそうそうバッグの中ぐらい普通なら気付くと思う。川上さんと萩生くんの夫婦漫才でも「5限目は体育」って言っていたから教室に誰もいない瞬間はあった。
……この辺りを冬ちゃんに問い詰めても何も言わないだろう。そう思いながら冬ちゃんの方を見て少し笑みを見せた。冬ちゃんはほんの少しだけ頷いた。
「さ、教室戻ろう。川上さん、大丈夫かなあ。陽子ちゃん、ちゃんとフォローしてあげなよ」
「もちろん。戻ったらあの子の話は聞いてあげるつもり。あの爆音は無茶だったね。やりたくなる気持ちは分かるけど」
「確かに。川上さんってアバンギャルド?」
「何それ、冬ちゃん?」
「前衛って意味なんだけどね。クラシックでロックまがいの爆音ってこの高校じゃ初めてかもしれないしさ」
そういって冬ちゃんは微笑んだのだった。