1周目 修学旅行その7
源義経所縁の首途八幡宮にお参りし、いよいよ清水寺に行くのだが、道中にも見所がある京都の市街地。さてさて次はどんなものが見られるのでしょうか?
親子丼を食べた老舗鶏料理店からすぐ東に智恵光院通があり、南へ折れてすぐ西側に首途八幡宮はある。
実はこの神社、本殿がちょっとした丘の上にあるという、全国でもほとんどない珍しいケースだそうで、この丘は実は古墳・墳墓ではないかともいわれている。しかし、神社の本殿があるため簡単に発掘調査も出来ず、真相が定かでない。
また、赤・白・ピンクの3色が入り乱れて花を咲かせる「源平枝垂れ桃」という「桃の木」が境内にある。そしてこの神社は「大分・宇佐八幡宮」を勧請したのが始まりと言われている通り、あちこちに八幡様のお使いである鳩の姿を見る。門や手水舎、絵馬にも鳩の姿が描かれている。
境内や本殿は、源義経ゆかりの地として歴女、歴史ファンの女性の姿も見られ、僕たちの団体も入ったので騒々しい状態になってしまった。
元々予定にない寄り道なので手水もお参りもササッと済ませてしまうがこれは致しかたない。特に絵馬やお守りを選んでいる他の参拝者にも迷惑が掛からないよう注意を払って早々に退散する。
鶏料理店で知り合った夫婦とは、参拝後に私たちも絵馬を選ぶからと、そこで別れる事となった。
智恵光院通からさらに南へ下り今出川通に戻ると「今出川浄福寺」バス停へ向かう。時刻は13時を少し回っている。残念な事に、ここには急行バスが止まらない。速達性で言えば「急行102系統⇒百万遍⇒206系統」が一番良いのだが、このバス停に停まらないのでは話にならない。
そう思っていたら前から急行102系統が来ている。さっき北野天満宮からここへ来る時に時刻表を見たら13時2分だったので昼食後に千本今出川まで歩いても間に合うだろうと考えていた。まさにそのバスだ。首途八幡宮にお参りしていたので乗れなくなってしまったのは仕方ない。
などと思っていたら栗田 豊たち男子が叫びながら走っていた。
それを女子や1班の生徒らも追いかけるため走り出している。今出川浄福寺バス停には栗田 豊が確かに早く着いていた。しかし、急行は止まらない。減速するどころか、所々に駐車車両もあるので急行バスは2車線ある今出川通の右側車線を走行し、バス停で手を振る栗田 豊をチラ見もせずに通過した。
またそれを見てバス停に向かって走る残りの皆が「まじかあ」「なんで~?」などと声にならない悲鳴を上げながら足を止めて息を切らしている。
1人2人がそれならまだ良いが、2班合わせて12人が同じように落ち込んでいるのだから思わず笑いがこみ上げて来そうだった。
僕は歩きながら、少し先の千本今出川の交差点を確認している。ちょうど赤信号で、交差点左側からこちらへ向けて右折しようとしているバスが見えている。あの千本今出川交差点を右折して千本通から今出川通に入るのは201系統のみなので、お目当てのバスとわかる。
途中で落胆して足を止めている彼らに声を掛けながら今出川浄福寺バス停へと急ぐ。
「皆、さっきのは急行バスだからこのバス停には止まらないんだよ。食後の運動には少しハードだったと思うけど、僕らが乗るのはあの201系統だからとりあえずバス停まで行こう。」
もうバス停まで距離はそんなになかったので、十分間に合って201系統に乗る事が出来た。
201系統は意外にも乗車客が多く、後部の2人掛け座席や最後部席もすべて先客がいるため僕らは前から後ろまでバラバラに立つしかなかった。
団体で乗っているので途中の乗降客に迷惑をかけるのでは?と考えながら後ろを見ると、後続バスが少し遅れて来ているのが見える。番号部分がオレンジなのと、千本今出川交差点をまっすぐ来たので203系統で間違いない。思わず「あちゃー」と声が出てしまう。
それを聞いて東雲 舞が尋ねてくるので、
「後ろからしばらく同じルートを走る203系統が来ているんだ。つまり、今出川通だけで乗り降りするお客さんも皆、先行しているこのバスに乗るだろうから、この先も混み合う可能性が高いんだ。後ろの203系統が先行していたら良かったのに。」
東雲 舞は納得したように頷きながらこう聞いてきた。
「では私たちが次で降りて後ろの203系統に乗れば良いとか?」
気持ちはわかるが残念な事に、
①この201系統は百万遍から右折して東山通を下る。つまり清水寺方面のバスと同じ道、バス停を走る事になるので乗換えが便利。
②運が良ければ河原町今出川で201系統と203系統はバス停の場所が違うので203系統が先行することがあるが、そこまでに追い付けなくなった場合、百万遍での乗換えの時に信号を渡っている間にバスを一本逃す可能性が高い。
という理由により乗換えを諦め、しばらくの間僕らも他のお客さんも我慢してもらわなくてはならない。
そうこうしているうちに、バスは堀川今出川交差点を通過し堀川今出川バス停に着いた。
このバス停の真ん前には白峯神宮がある。ここの説明というか案内は忘れてはいけない。しかし、あまりにも皆がバラバラなので仕方なく近くにいる東雲 舞たち女子や1班の男子のみに聞こえる程度の声量で話す。
「この神社は白峯神宮と言って、有名なのは鞠の神様、精大明神を祀っているので、スポーツの神様ってことなんだけど、みんなは日本の三大怨霊って知ってる?関東の平将門。北野天満宮の菅原道真そして、この白峯神宮に祀られている崇徳天皇なんだ。」
説明を聞いていたみんなは、平将門、菅原道真は知っているようだが、崇徳天皇と言われても「へえ~」くらいの反応で、怨霊としての知名度が少し追い付いていないようだ。しかし、その怨霊がなぜスポーツの神様なのかという質問は出てきた。
「えっと、ここには元々蹴鞠や和歌の先生をしていた飛鳥井家の屋敷があり、飛鳥井家が先祖代々祀っていた精大明神という神様を、蹴鞠の神様だからスポーツの神様として祀っているんだ。そこへ怨霊だった崇徳天皇もここで供養しますのでお静まり下さい。と懇願してここで祀っているんだ。だから別の神様だよ。」
と、完全ではないかもしれないが京都検定を受ける時に入れた知識を総動員する。
説明に時間もかかったため、終わった頃にはバスは発車し白峯神宮はもう後ろの方だった。
バスは大きく左右に揺れて次のバス停で止まり、ドアが開くや否やまたドヤドヤと乗客がなだれ込んでくる。ここは上京区総合庁舎前。区役所と保健所などを集約した施設のため、当然地元客の乗り降りが多い。
入口に人が溜まり、運転士もドアを閉めるためスイッチを入れるものの、光電管(人を挟まないよう検知するセンサー)が作動しているため、ドア閉めブザー音と、「扉が閉まります」というアナウンスだけが鳴り響く。ようやく入口が閉まる頃には後続の203系統が追い付いて来た。
烏丸今出川交差点を渡ると、今出川通の左右には長く荘厳な壁が続く。左側は同志社大学の白壁、右側は京都御苑の石垣と鬱蒼とした森の壁だ。
地下鉄との乗換バス停だけあって車内の前から後ろまであちこちから降りようとする人が前へ進んでくる。僕たちは必死で通路を開けながら降車客を通していく。
「近くの席が空いたら座って、通路を開けて。」
僕は後ろに立っている修学旅行生たちに伝えると、納得したように他のお客さん達もすぐそばの席に座ってくれる。ホッとしたのも束の間、今度は入口が開きまた乗車客でごった返す。とは言っても今度は満員になるほどではなく、通路分くらいのスペースは確保できている。
バスが発車すると、後部の左側座席に座れた栗田 豊が聞いて来た。
「神崎よお、この壁、ずっと続いてるけどなんだよお?」
「左側は同志社大学で右側は京都御苑だよ。たまにこの道を天皇、皇后陛下や皇太子さまが車列で通られるんだよ。」
と答えると、宮村 久美が反応し、天皇陛下や皇太子さまを見た事があるか?などと質問してくる。
僕は、5、6回車列に遭遇したことがあり、一度、このバスに乗っている時に天皇皇后両陛下が反対車線を通られた時には車内の乗客皆で手を振ったら、振り返して頂いた事があるとも答えたら、やはり定番の「羨ましい~」だの「すご~い」だのと返って来た。ちょうどバスは信号待ちから発車し交差点に入ったので、僕は左側の窓を指を差しながら相国寺を紹介する。
修学旅行生にとっては今一つピンと来ない相国寺だが、実はすごいお寺なのである。
もちろん、相国寺マニアではないのだが京都検定の勉強をしているとあまりの歴史や壮大さに魅かれてしまった。
相国寺は十四世紀末、室町幕府三代将軍の足利義満により創建された。現存する法堂は日本最古の法堂建築として一六〇五年に再建された物が残っている。
「相国」とは国をたすける、治めるという意味で、中国からきた名称だが、日本でも左大臣の位を相国と呼んでいたそうで、相国寺を創建した当の義満は左大臣であり、相国であることから、義満のお寺は相国寺と名付けられたそうだ。しかも山外塔頭として金閣・銀閣を管理している。
ついさっき金閣寺へ行ってきたのだから、みんなには関連付けて学んでおくべきだと説明すると、何人かは再び「修学旅行のしおり」を出してメモしていた。
そうしているうちにバスは河原町今出川バス停を越え、いよいよ出町柳へと進んでいく。
車窓から京都観光をしながら清水寺へ向かう一行はいよいよ鴨川を渡り東山通へと進んでいく。
この先、清水寺までの車窓はどのような景色を見せてくれるのか?